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霜降り明星・せいやが切り開く“新世界”「テレビの歴史を早めた!」 鬼の“じゃない方”から始まった芸人人生も激白【オリコンライターズ】
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チャレンジングな番組に「スタッフさんの愛を感じます」 今のテレビに求められるもの「誇張しすぎず等身大」
「この番組の良さって、いろいろあるんですよ。1個のVTRを30分かけて、めっちゃ長く見て、V終わりにスタジオでトークするみたいな番組ってあると思うんですけど、1個のVTRが20〜30分あるみたいなものも多いじゃないですか?この番組はそのVがね、15秒とかで終わるんですよ。バンバンバンバン手数打っていくんで、若い人とかは特に『このテンポ、今までになくて面白いな』と思ってくれるんじゃないかな。1個のネタがスベったとしても、弱くてもすぐ取り返せるんです(笑)。この番組の最大の強みで。なんか形をなしてないというか。特番の時から、説明が難しい番組なんですよ。いろんな要素が詰まっているんで。でも、逆を言えばそこがいいんですよね。強みがいっぱいあるし、逆に『なんやねんあれ!』って言われる要素もいっぱいあるんで、賛否両論巻き起こりやすいなと。弱さと強さがいっぱいあるんです。挑戦してくれているなと、スタッフさんの愛を感じます」
さらに、今のテレビ界についてもトークが及んだ。「レギュラーになると、うれしいのと同時に『毎回当てなアカン』ってなって、怖いじゃないですか?この番組は、いい意味で、ちゃんと抜いてるとこ抜いていて、なんや今のみたいなもんもあるんですよ(笑)。そこもすごくいいなと思っています。今なんかテレビってもう行くとこまで行って、変にこっちが『面白いですよ!』みたいに盛り上げすぎると、逆に視聴者の人、冷めるじゃないですか?今のテレビの難しいところって、誇張しすぎずに等身大で、くだらないけど視聴者を巻き込めるかっていうことやと思うので、けっこう本音でやらしてもらってるかもしれないです。スタジオも、これ間違っていると思ったらそう言える空気なので、そういうところもすごくいいですね」。
日本テレビの“本気”も感じたと声を弾ませる。「(レギュラー出演も)芸人はオレとヒコロヒーだけなんですけど、芸人その2人だけで新番組なかなかゴールデンで始まらんなって思うんです。だから、日テレさんよく挑戦してくれたなって感じで、うれしいっすね。しかも、特番2回でレギュラーが決まったんです。そんな番組は珍しいってめっちゃ言われます。ホンマに夢のような、まさにホップ、ステップ、ジャンプで、3回でレギュラー化するってないんで。すぐレギュラーにして、すぐ終わるみたいなこともあるじゃないですか?テレビ、マジ怖いんすよ(笑)。オレ、いっぱい傷ついているから。でも、この番組は、みんなで頑張ろうみたいなものが久々に…すごく熱いものを注げるなと」。
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芸人レギュラーはヒコロヒーと2人という点についても、再び問いかけると、せいやの目がさらに輝いた。「この世界、まだ本当に夢あるなって。今はもう芸人も、YouTube目指して養成所入る子も多いらしいんです。それぐらい、ネットの影響力が大きい時代で。僕ら、大学時代から一緒なんですけど、もちろん入った時は『いつかこういう番組を持ちたいな』っていうビジョンを描いていましたけど、その通りの仕事をやっとできたというか。さんまさんとかって、みんな自分の番組を20代とかで持っていたり、若いじゃないですか?僕らは、それがなかなかかなわなかったんですよ。『テレビはお金ない、高齢化、上が詰まっている』とか、もうそんなんばっかり、居酒屋でしゃべって、ずっと永遠しゃべって、やっときた」。
キャスティングもテレビ界の“新世界”を切り開くものとなった。「僕がテレビマンなら、40代の芸人さんでやります。脂が乗っているし、編成にも文句言われない。小峠さん、千鳥さん、川島さんとか、その世代のみなさんがもう…ほとんどやっているんですよ。僕らは、もうちょい待たないと、こういうの来ないと思っていたんです。仮に僕が入れたとしても、せいやだけやったら不安やから、伊集院光さんとか、ヒロミさんとかがしっかり固めてくれるというのが、テレビの歴史ですよ。そこも同世代で埋めてくれたっていうのが、もううれしくて…。僕は、皆さんが思ってるより2倍うれしいと思ってください(笑)」。
せいやの言葉は、さらに熱いものになっていく。「日テレの火曜10時ですよ。僕、2013年から始めたんで、芸歴12年なんですよ。自分で言うのもなんですけど(声を潜めて)12年で、なかなかたどり着けないっすよ。12年で決まりました。本当に感謝です。スタッフさんが信じてくれたっていう。だから、ここはもう熱く書いてほしいんですけど、この番組はテレビの歴史を早めたよ!これはもうテレビマンの挑戦でもありますから。だから、毎秒本気で期待に応えなアカンなと思っています。お笑いはもう、本当に40代からじゃないと、いいチャンス来ないと思っていたんですけど、僕、25歳ぐらいからずっとテレビ出さしてもらってきて、やっと報われてきたなって感じです。去年ぐらいから、テレビの下積みが、ようやく終わってきたみたいなのがあって、この番組で、光見えたぞみたいな感じです」。
テレビ局のメイクに流派? 順風満帆ではなかった芸人人生
番組タイトルに絡めて、最近自身が感じた「新世界」についてのトークでは、耳より?な情報が飛び出した。「テレビ局って、メイクさんのマッサージがあるんです。収録前に、ホンマにちょっとだけヘッドスパみたいなのをやってくれる人がいるんですよ。このメイクのやり方が、局によって流派があるなと。日テレさんは、前からやるんです。テレ朝は深かったり、TBSは目を攻めがちとか、なんかあるんすよ。NHKは手がうまいっすね。局によって、ちょっとマッサージが違うって、メイクさんのそういう流派がありますね」。
番組恒例の人生グラフでは、芸人人生が詳らかになる。「僕、この世界に変な入り方していて。みんなはNSCとか、養成所に行って、芸人なるんですよね。僕、養成所とかなんも行ってないんですよ。実は高校生の時、ハイスクール漫才っていう漫才の大会に、粗品とはお互い、違う高校から出ているんです。そこで(粗品と)知り合うんですけど、その時に『おもろいなぁ』みたいなんで、知り合うんですけど。そこから、粗品はプロになって、僕は普通に(教員免許を取って)、先生になろうと思って、大学行っているんです。でも、その後、粗品から『お前が一番おもろい』みたいにずっと誘ってくれて。こんな必要とされることは、この先ないかもなと思って、コンビを組むんです」。
すぐに順風満帆…とはいかなかった。「粗品が先に3年やっているから、ピンでも大阪でちょっと有名やったんすよ。オレは一切技術ないのに、もう同じく3年目スタートみたいになって。皿洗いとか、冷蔵庫のどこにどの野菜があるとかの勉強なしに、急に『じゃあお前作ってみろ』みたいな、すっ飛ばしたんですよね、劇場レベルの下積みを。オーディションとかもすっ飛ばして、粗品の相方として、なんか最初はデビューしたので、もう逆風。なにもわからんまま、とにかく前出て、1年スベリ続けるんすよ。みんなが4年とか、5年かけてやっと劇場って出るんですよ。オレ、デビューしたその日が劇場メンバーやったんですよ。だからもう、何回もやめかけたというか、もういつ飛んでもおかしくない状態が毎日続いたみたいな。霜降り明星として、地獄のスタートというか。最初は、鬼の“じゃない方”としてのスタートでした」。
泣きながら解散話→大逆転で『M-1』王者 一生懸命に駆け抜けた先に見えた景色
解散の2文字がチラついたこともあった。「ずっと劇場でダメで、テレビとかも縁がなくて、ここで解散しかけるんですよ。22歳で売れんかったらやめようって約束していて。1回、泣きながら解散やなみたいなのがあって。でも、ボケとツッコミ変えてやってみようとか、ここで耐えて、もうちょいしたら、24歳ぐらいでやっと『M-1』の準決勝とか行き出すんすよ。ここで変わりましたね。『M-1』の準決勝で、けっこう芸人人生変わるんです。下積みレベルで言うと、準決勝でけっこう変わるんですよ。そこから大阪のABCお笑いグランプリとかで賞を取り出して。あとは、個人的に言うと『すべらない話』。初めてゴールデンの全国の、チャンス大城さんと僕がオーディション枠で。それで、24歳の時にMVSを取るんです。あれだけ大阪で粗品が連れてきた素人みたいに扱われていたのが、これで『オレ、芸人でやっていけんねや』って、本当に思った瞬間というか。そっから『R-1』決勝行ったりとか、全国でちょっと呼ばれるようなって。このまま上り調子で『M-1』優勝するんですよ、26歳の時に」。
若くして目標を達成した2人だが、新たな目標を胸に歩みを進める。「元々もう組んだ経緯というか、目標がもう『M-1』しかなかったんで、1個達成して燃え尽きましたね。そこからは各々の目標も、いろいろあるわけですよね。僕で言うと、やっぱりテレビのスーパースターになりたいみたいなんがあるんですよね。『M-1』優勝して、めっちゃ番組出るじゃないですか。でも、やっぱり、チャンピオンとして出ているだけで、今考えたらテレビの実力で出てるわけじゃないんですよ。だから、チャンピオンとして、ひたすら名刺配る期間というか、売れてるようで売れてないというか」。
「第7世代」発言が、にわかに注目を集めた時期もあった。「これ、僕が悪いんですけどね。でもそれは、ポロって言ったんですよ。そんなブームにしましょうとか言ってないですよ。ラジオで『第7世代』っていうくくりで、僕ら当時26歳とかやったんで、そんな年齢で『M-1』チャンピオンになった人がその当時いなかったんですよ。それで、サッカーの20代、野球の20代、こんなんを集めて第7世代みたいなのにして、若い人らで番組始まらんかなみたいなことを言っていたのが、メディアが『お笑い第7世代』って言い出して。オレ『お笑い』ってつけてないんですよ。『第7世代』っていうのがあってもいいんじゃない?みたいな感じだったのに、先輩とかが『お笑いを勝手に世代でくくるなよ』とか『せいやが言ってんのか』みたいなことにもなり。ほんで急にメディアが持ち上げたのに、第7世代は結局終焉みたいな」。
そんな中にあっても、着実に自身の夢をかなえるためにまい進してきた。「有吉さんとレギュラー始まったり、バカリズムさんとレギュラー始まったり、うん、なんかいい仕事も、それぞれ1人の仕事がどんどん増え出すんですよ。レギュラーが多くなったりとか、ひな壇のゲストいっぱい行ったり、テレビの下積みが始まるんです。これまではコンビでいっぱい回っていたのが、次は1人で試される期間。霜降り明星、せいやはどうやねん。せいやとしてテレビで勝負しだした時期が、28歳ぐらいから始まって。Vとかでコメントしっかり頑張っていたら、違うまた仕事につながって…とかが、どんどん(積み重なって)仕事いただけるようになってきました。『M-1』優勝した後に、テレビの下積みありました。その時はその時でずっと一生懸命で、実はずっと満足度100なんですけど、こうやって引きで見た時にこういうグラフになります。だから、ホンマ今回はうれしいんです!」。鬼の“じゃない方”芸人だった男がX秒後にかなえる夢物語は、これからも色濃いものになっていくだろう。
(取材・文/ファンタスティックムラオカ)
※取材の模様は、12日深夜放送の『ライターズ!』(日本テレビ/日曜 深1:50)でもご覧いただけます。