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“容姿いじり”への女芸人の思いとは? たんぽぽ・川村エミコが編み出した「ポップ自虐」
父親から「あまり綺麗なほうじゃない」と言われた幼少期
川村エミコ 人生は、他人と自分を比べるところから始まるのかなと思ったので、そのへんの感情が伝えられたらと、このタイトルにしたんです。人と違うところを受け入れた上で、「暗かったり静かだったりするのは、別に悪いことではないよ」ってことも言いたかった。本の内容としても、「私の生き様はこうで、これからもこう生きていきます!」みたいな主張は特にないんです。迷子のまま始まって、迷子のまま終わる本になりました(笑)。
――川村さんが、自分の気持ちと冷静に向き合ってきた歴史ですね。
川村エミコ 自分で自分の気持ちをどうしていいかわからない、生きづらさみたいなものにどう対応していくか。私は暗くて静かな子だったけど、友だちになりたい子に自分から「お友だちになりたいです」と言うなど、自分なりの前向きさで行動してきました。その記録でもあるんです。黙っている子でも、いろんなことを考えているということも、伝わったらいいなと思っています。
物静かな少女が舞台を志すまで、「アナウンサーの夢はあっという間に打ち砕かれた」
川村エミコ ずっと同じ夢を持ち続けていたわけではなく、アナウンサーになりたいと一瞬思ったこともありました。でも、「私、アナウンサーになりたいなぁ」とぼそっと言ったら、大学生のいとこに「絶対に無理」とバッサリ言われてしまった(笑)。あっという間にその夢は打ち砕かれたわけなんですが、他にもいろんなことに興味を持ち、そのうちのひとつが舞台に立ちたいという夢なんです。
――人前に立つというのは、なかなかハードルが高かったのでは?
川村エミコ 大学の演劇部で舞台に立ったとき、観客からのアンケートで「良かったです、涙が出ました」と書いてあって、ものすごくうれしかったんです。普段、人と心を通わすのが得意ではなかった分、そういった声があると、心で繋がれた気がしたんですよね。舞台っていいな、生でお芝居するのって楽しいなと思って、ハマりました。
お笑いは挫折からのスタート、陽気なギャグをやめた転機
川村エミコ たまたま、さまぁ〜ずさんが学園祭のライブに来たんです。大竹(一樹)さんが講堂に入ったときに、「なんだここ、公民館みたいじゃねーか!」と言ったら、会場が揺れるくらいウケた。お笑いってすごい!って感動しました。
――笑いの力を目の当たりにしたんですね。
川村エミコ はい。しかも、そのとき『ホリプロお笑いジェンヌ』の募集要項のチラシが並べられていて。楽しいこと、面白いことに出会えるかもしれない!と思って、履歴書を送ったんです。
――行動するときは早いですね!
川村エミコ はい(笑)。興味が勝ると、すぐ動いちゃいますね。あと、できないことをできるようにするんだっていう、M気質なんだと思います。初めてピン芸人として舞台に立ったとき、「声が小さい」とダメ出しされたので、すぐにワークショップに申し込みました。できないならやれるようにしなくちゃ、という部分では、ポジティブなんですよね。
――特に、お笑いに向いているわけではなかった?
川村エミコ 全然。むしろ、声が小さいという、挫折からのスタートです。そのままずっと、これでいいのかな?と思いながら今に至っている。もう17年目ですけどね(笑)。結局、答えなんてないんですよ。はじめは、芸人なんだから明るくなきゃいけないっていう思い込みがあった。だから、陽気なギャグを一生懸命やっていたんですが、全然ウケなくて。あれ、違う?と思って、ある日「二十歳になれば、キレイになれると思っていた…」と低いテンションで言ったら、すごくウケたんです。そうか、普段思っていることをネタにすればいいんだ! 無理をして明るくしなくてもいいんだ!とわかってからは、すごくやりやすくなりました。