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『オールドルーキー』を地でいく元Jリーガー、4度の“戦力外通告”の先で見たセカンドキャリアの現実
4度の戦力外通告を乗り越えプロで10年…向上心がなくなり引退を決意
伊藤氏は、中学校でサッカーを始めると、強豪校である前橋育英高校で本格的にゴールキーパーとしての指導を受けて、メキメキと頭角を現す。早稲田大学に進学すると、2008年には在学中にJ1の京都サンガF.C.に特別指定選手として登録。まさに順風満帆なエリートとして競技生活を送っていたが、以降、ザスパ草津(J2)、アルビレックス新潟シンガポール、ゲイラン・インターナショナルFC(共にシンガポールSリーグ)、ラインメール青森FC(JFL)とさまざまなリーグを転戦。引退を決意したのは、2017年、ラインメール青森FC4年目のことだった。
「移籍はすべて“ゼロ円提示”、いわゆる戦力外通告を受けてのことでした。でも、体と心が動いていたので、まだ上を目指せるという思いが強く、海外やJリーグでプレーしたいという希望を持って、毎年、英語と日本語のプロフィールと自分のプレー動画を作って売り込みをしていました。でも、その気持ちがなくなっている自分に気づいたのが2017年。上を目指すことを諦めてしまったら、それはもうプロとしてやっていけないということですから、プロ10年目となる翌年に引退しようと決心しました。妻には相談をせずに、心を決めてから話したのですが、自分がプレーしている姿をずっと応援し続けてくれたので『本当にいいの?』と何度も聞かれましたね」
サッカーから離れた生活に覚えた“恐怖”「自分に何ができるか分からない」
「サッカー以外の社会経験はほぼゼロ。その後の人生では『一度別の道を歩みたい』と思ってはみたものの、サッカーしかやってこないで30歳を超えた自分に何ができるかわからないし、そもそも何がわからないかすらわからない。就職活動中も就職してからも、恐怖しかなかったです」
それから2年半、初めてのサラリーマン生活で「たくさんつらい経験もしましたが、サラリーマンとしての立ち居振る舞いから会話の仕方まで、一から勉強させてもらいました」と語る伊藤氏。しかし、サラリーマンのかたわら、母校・早稲田大学のキーパーコーチや、サッカーに関わる活動をしているうちに、再びサッカーに携わりたいという思いが再燃。運よく、アンダーアーマーの日本総代理店であるドームがサッカー担当の人材を求めていることを知り、エントリー。ドームに10年勤務している大学の先輩から聞いた企業方針も転職の熱を高める決め手となった。
「『スポーツを通じて社会を豊かにする』というドームのミッションに心惹かれました。現役時代は、常にプレーをする自分に意識が向っていましたが、選手をサポートする側は、サッカーを通じて、広く社会に貢献することができる。それを知って、自分の経験がその役割の中で力になれたらいいなと強く思いました」
一方のドームも、一般的な会社と比較すると、元アスリートの採用が多い方。その理由を同社スポーツマーケティング Head of Divisionの古谷晋也氏はこう語る。
「アスリートは、誠実さ、コミュニケーション、リスペクトする気持ち、謙虚さ、感謝、礼儀、チャレンジ、敗北を受け入れる、仲間を大切にする、仲間と勝利を目指すなどなど、スポーツを通じて多くのことを学んでいます。スポーツと仕事は共通することが多く、アスリートは仕事をするうえで大切なことを身につけており、結果として、そういった精神が我々が大切にしているバリュー(ドームを構成するヒトの姿勢と価値観)と一致することから、結果的に、採用に繋がり、入社後も活躍してくれているのではないかと思います」
日本の特有の“美徳”がセカンドキャリアの可能性をせばめている
「海外のサッカー界では『デュアルキャリア』といって、選手が副業(将来を見据えた準備を含む)をやるのは当たり前です。でも、日本は一つのことに集中することが美徳とされ、そう指導されてきているため、幼少期からサッカーしかやっていないという選手がほとんど。加えて、セカンドキャリアの知識を選手に授けようという意識を持ったチームも、昔よりは増えたと思いますが、まだまだシステム化されていない印象。チームとして、講師を招いて講義…のような時間を作るようなことをしていないので、現役時代からセカンドキャリアを考えるという行為がほとんど浸透していません。チームとしてはプレーだけに集中できる環境を整えるという“プレイヤーズファースト”の考えを大事にしているのだと思いますが、選手のことを長期的な視点で考えるのであれば、チームがセカンドキャリアに対する知識をしっかりサポートしていくことも必要なのではないかと個人的には考えています」
そしてそれは結果、「選手の不安をなくし、プレーヤーとして幅を広げることにもつながる」と伊藤氏は語る。先の話にもある通り、海外では「デュアルキャリア」が先進的に実施されているが、それは完全実力主義で同じ収入が毎年得られる保証がないスポーツの世界において、副業をすることで、お金の悩みにとらわれることなく、競技に集中できるから。現役時代にセカンドキャリアのための準備をしておくのも同じことを意味する。
「将来に不安があるために、選手はケガをしたらどうしようとか、チームがなくなったらどうしようとか考えて恐怖が募りがちです。でも、世の中にはどんな仕事があって、自分には何が合うのか、現役時代のうちからセカンドキャリアに備えて知識や経験を積んでおけば、その不安は軽減する。結果、思いっきり練習に取り組めて、プレーヤーとしても幅が広がり、チームにもいい影響が出ると思います。僕自身、それをやっておけば、選手時代に、引退後に対してあんなに恐怖を感じることはなかったですし、もっと気持ちよくプレーができたのではないかと思っています」
伊藤氏は現在、ドームのスポーツマーケティング部において、大宮アルディージャや青森山田高校サッカー部などを担当。チームに関するすべての窓口として、アイテム提案や生産管理などを行っている。また、『オールドルーキー』でも、主人公の所属するチームのユニフォーム制作に携わったり、初回にエキストラとしても出演するなど、裏でドラマを支えている。表舞台から選手をサポートする側へと移った今、その仕事に「やりがいを感じている」と目を輝かす伊藤氏。サポートされる側からする側の意識の変化についてはどうだろう。
「選手時代のことを思い出して、本当に自分のことをしっかり見てくれて、サポートしてくださっていたんだなと、サポートする側に立って、今、強く感じています。それだけに、自分自身も、選手時代の経験を活かして、さらにもっともっと企業人として力をつけて、この仕事を通じて、頑張っている選手たちを精一杯、応援していきたいと思っています」
取材・文/河上いつ子