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大杉漣インタビュー『俳優人生40年、苦労という言葉はあてはまらない。今なお迷いっぱなし(笑)』
食わず嫌いをせず、触れることによって見えてくることがある
大杉漣実写とゲームのコラボと聞いていたのですが、どういうふうにゲームが実写に入っていくのかというイメージが最初は湧かなかったんです。でも、『光のお父さん』というタイトルのおもしろさやテーマをうかがい「これはぜひやらせていただきたい」と思いました。
大杉漣息子が小学生の頃『スーパーマリオ』とかは一緒にやったことはありましたが、基本的にはほとんどなじみはないですね。ただ、ドラマでもゲームを知らないお父さんが徐々にゲームになじんでいく設定だったので、逆にリアルかなとは思いました。ゲームのなかで知らない人と会話をしたり、コミュニティができたりというのは驚きました。僕は、完全なる初心者です。
――バーチャルなコミュニケ―ションというのは、俳優のお仕事で接する人とのつながりとは全く違うものなんでしょうね。
大杉漣ドラマは脚本というフィルタを通してはいますが、生身の人間が向き合って、剥き出しの感情を表現するなかでリアルで正直な関係性を築いていくものだと思っています。この作品のお父さんもゲームを通してですが、正直に過ごすという気持ちは一緒なのかなと感じました。ゲームの世界は未経験でしたが、食わず嫌いをせず、触れることによって見えてくることもありました。
僕は器用な俳優ではない。不安を感じてもがき苦しんで表現する
大杉漣僕にとっては思わぬオファーでしたね。65歳でこういうことをやらせていただいていいのかなという思いはありました。でも勘違いしてはいけないのは、どんな仕事も、僕が選んでいるのではなく、まずは選んでいただいているということです。そのなかで、どう仕事に向き合うか。1970年代に「見る前に跳べ」という言葉が流行っていたのですが、まず考えるのではなく、やってみる、飛んでみる。そのあとにどう感じたのかを味わえばいいというのが、僕の生きるベースになっている気がします。『ゴチになります!』も『光のお父さん』も、正直に向き合い“一生懸命”をそこに置いていきたいと思います。
――何事も経験ということですね。
大杉漣僕は器用な俳優ではありません。これまでもこれからも、もがき苦しみ不安を感じつつ表現していくのが自分の仕事だと考えています。僕の俳優としての出発は、“沈黙劇”という特殊なメソッドからでした。俳優になり40年以上に経ちますが、取材等で「劇団時代は苦労されましたね」とよく言われるんです。正直に言えば、僕はこれまでの自分の歩んだ時間を苦労だったと感じたことはありません。苦労という言葉にあてはまらない時間です。だって僕が選んだ道ですから。
大杉漣迷いがないなんてありえません。今なお迷いっぱなしです(笑)。転形劇場に16年在籍したのですが、劇団が解散したあと、僕が経験してきた演技のメソッドが映像の世界でも通じるのかなと思っていた時期もありました。1990年代、仕事はVシネマ中心、数多くの出会いもあり濃密な時間でしたが、自分のなかに演ずることの迷いも生じていた頃でした。そんな時期に、北野武監督の映画『ソナチネ』のオーディションを受け合格、出演することになりました。そこでの経験は、とても大きな刺激になりました。