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自己発信のためのSNSが…“つぶやき”から“議論の場”への変化にタレントも辟易?

  • インスタグラムで”SNS疲れ”について投稿した石田ゆり子(C)ORICON NewS inc.

    インスタグラムで”SNS疲れ”について投稿した石田ゆり子(C)ORICON NewS inc.

 “炎上”や“バズる”といったネット発の言葉が一般的になり、毎日のようにバズっては炎上…が繰り返され、こうした話題が常にトレンド入りしている。同時に、華原朋美が突然アカウントを閉鎖したり、女優の石田ゆり子がInstagramの休止をほのめかしたりするなど、人気タレントの“SNS疲れ”も目立ってきた。一方で、本来は“つぶやき”として自己発信する場だったSNSが “同意なき議論の場”へと変わり、ときに社会を動かすことも。しかし議論が高じ、意見が過度に攻撃的になり、芸能人のみならず一般ユーザーが突然“炎上”に巻き込まれてしまう事例も少なくない。

SNSの多様化で“自己発信の場”へ やがて“SNS疲れ”が顕著に

 インターネット黎明期、2000年代は「2ちゃんねる」(現5ちゃんねる)などの大型掲示板や「mixi」、「GREE」といったコミュニティーサイトが“議論の場”として機能していた。閉鎖的な一面が問題視されることもあったが、こうした掲示板やサイトはあくまでも同じ趣味・嗜好を持った者同士が集う場。不慣れな新規ユーザーのためのルールや注意書きがあったり、議論の場を極端に乱すようなユーザーは「荒らし」と呼ばれコメントを削除される。“自浄意識”が全体的に働いており、ひとつの社会的空間として成立していた。その後、例えば2ちゃんねる発の『電車男』に代表される“オタク”がメジャーになり、“文化”としても発展していく。

 時代が進み、スマートフォンが普及するようになると、爆発的に流行したのが、FacebookやTwitter、InstagramなどのSNSだ。これらは基本的に“議論の場”ではなく、“自己発信の場”。Twitterにしても、誰かがひとりごとのように“つぶやき”を投稿し、そのつぶやきに共感すれば“いいね(ふぁぼ)”や“リツイート”をする。ときには“リプライ”することでコミュニケーションの輪が広がっていく場合もあるが、それまでのネット掲示板やコミュニティーサイトとは異なり、ガチガチなルールは存在しない。幅広い層の人たちが、お互いに共感したとき“だけ”関わるという温度感で人気を得たのだ。

 同時にちょっとやんちゃな“つぶやき”(=ツイート)を「素行不良ツイート」として糾弾したり、Twitter自体を「バカ発見器」として揶揄する風潮も出はじめたが、当初は気の利いた意見やオシャレなことをサラッとつぶやき、共感した人が“いいね”や“リツイート”を利用していた。だが、やがて自己の“承認欲求”を満たすアイテムとしても機能していくことになる。

 一般ユーザーはもちろん、芸能人の間でも人気のバロメーターとして“インフルエンサー”性が重視されるようになり、“フォロワー”や“リツイート”、“いいね”を増やそうと気を遣うことに。また、ユーザーが気軽にコメントできることで、一方的な批判も数多く届くようになった。前述の通り、華原朋美が突然「みんな元気でね! ばいばーい!」と投稿してアカウントを閉鎖したり、石田ゆり子が「最近やはり疲れてきたのは事実です」と投稿した他にも、剛力彩芽が投稿の全削除をしたり、宮沢りえ、満島ひかり、真木よう子などもSNSを閉鎖。“SNS疲れ”を自覚するユーザーが増えているのが現状だ。

健全な議論の場としての機能も、“同意のない議論”が問題に

 そうしたSNSの流れの中、活発な議論の場としても機能。先述の「保育園落ちた日本死ね!!!」などは、匿名ブログに投稿されたエントリーがTwitterで拡散されると、政治家までが国会で言及してデモにまで発展。2016年の『新語・流行語大賞』にも選ばれた。SNSがこうした個人の意見をタイムリーな社会的問題の議論へと発展させた一例だろう。

 だが、発信者が問題提起を意図していなかった投稿で“同意のない議論”が起こり、発信者自身が攻撃対象とされる場合もある。例えば、先日トレンド入りしたハッシュタグ「#ママ閉店」(「家事をする=ママとしての役割」を休んで、子育て中の息抜きをすること)は、ある男性ユーザーがツイートした日常的な子育ての一コマ。それが、賛成派と反対派の意見に分かれ、平行線のまま大きな議論に発展した。

 先月28日、アメリカのデューク大学などの研究グループが、Twitterで政治的立場が違う人の意見を読むという実験の結果を科学雑誌『アメリカ科学アカデミー紀要』に発表して話題を呼んだ。それによれば、お互いに反対の立場を受け入れる傾向は見られず、かえって自分の意見に凝り固まる傾向があるとし、SNSで異なる立場の意見を伝えることは逆効果だと結論づけている。客観的な意見で視野が広がる議論はいいのだろうが、お互いに理解し合うのではなく、対立を深めてしまうだけでは意味がないのではないだろうか。

 芸能人の炎上もそうだが、忘れてはならないのは、かつての2ちゃんねるやmixi、GREEなどのような「閉ざされた場」ではなく、TwitterやInstagramなどは比較的ルールも少ない自由な場であり、幅広い層が参加・利用できる「開かれた場」ということである。

 すべて自己責任と言ってしまえばそれまでだが、自分にとって不快なコメントに対しは「気にしない」か「ブロック」するぐらいしか手立てはない。だが、そもそも本来の“つぶやく”という意図から大きく外れた“議論”が活発になる現状は、余計に“SNS疲れ”を助長することになっていないだろうか。今一度SNSの在り方を考える必要がありそうだ。

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