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「フレンチが世界一なのはなぜ?」→美食家の歴史解説が納得すぎた


現代の外食は「失敗したくない」という思いから、他人の評価やコスパに縛られがちです。しかし本来、食は自分自身の価値観で楽しむべきもの。話題の書籍『美食の教養』は、イェール大卒・世界128カ国・地域を食べ歩いた浜田岳文氏が、歴史や経済、文化、また作り手であるシェフの視点から「食の本質」を解き明かす一冊。単なるガイド本ではなく、情報過多な時代に「人生をより豊かにするための美食」を提示します。今回はそのエピソードを特別公開します。(ダイヤモンド社書籍編集局)

「貴族」がフランス料理を進化させた

世界にはいろんな料理がありますが、世界中に影響を及ぼしたという意味でひとつ挙げるとすれば、やはりフランス料理ということになるでしょう。

フランス料理を専門としていなくても、西洋料理をやっていれば、意識している、いないにかかわらず、なんらかの影響を受けている料理人がほとんどだと思います。

なぜ、フランス料理がこれほどまでに世界中に広まったのか。

それは、フランスという国が昔から中央集権国家で、王様や貴族に富が集中していたという歴史的背景が大きかったと考えられます。富が集中することで、文化が育まれていったのです。

職を失った宮廷料理人たちが「レストラン」を作った

富の集積が起きると、持つ人と持たない人が出てきます。

持つ人は、自分で食事を用意する必要がなくなり、人を雇って料理を作らせたり、食材にこだわったり、贅沢をすることができるようになった。

社会としてそれがいいかどうかは全く別として、富が偏在する社会のほうが、食をはじめ音楽や絵画、舞台などの文化が進展したという側面は否定できないかと思います。

宮廷文化の中で、貴族たちが自らの権力を誇示したり、外交を有利に進めたりするために、お抱え料理人が味を競い合った。

フランス料理を作り上げた1人、アントナン・カレームも、こうした中から出てきたシェフでした。

その後、宮廷で育まれた料理の文化は、フランス革命などを経て、街場や庶民に降りていきました。

王様や貴族に雇われた人たちが職を失い、食べていかなければならず、レストランを始めるケースも多かった。これは、王様や貴族のために音楽を作ったり絵を描いていたアーティストが、自分で食い扶持を見つけなければならなくなったのと全く同じです。

そして次に登場したのが、オーギュスト・エスコフィエ。

彼はフランス料理を体系化し、膨大なレシピを編纂した料理本を世に送り出しました。そして、ブリゲード・システム(キッチンにおける料理人の組織化)を確立するなど、キッチンの近代化を進めました。

誰でも学べて、参考にできる、その結果としてフランス料理は普遍性を獲得することにつながっていったのです。

「ヌーベル・キュイジーヌ」とは
一体何だったのか?

フランス料理の歴史を語り始めるとそれだけで一冊の本が必要になるので、ここでは手短にまとめますが、エスコフィエが確立した古典料理のあと、1970年代にはヌーベル・キュイジーヌが脚光を浴び、1980年代以降はキュイジーヌ・モデルヌ(ジョエル・ロブションらの近代的な料理)が台頭します。

これらは、必ずしもお互い相容れなかったり断絶があったりするものではありません。

ヌーベル・キュイジーヌの傾向はもっと早い年代から表れていて、古典料理の基盤を踏まえたうえで軽さを追求したり、より食材自体の持ち味を生かしたりとしているうちにそう呼ばれるようになった、ということだと僕は解釈しています。

キュイジーヌ・モデルヌは、ヌーベル・キュイジーヌほど明確に定義されてはいませんが、古典への部分的回帰という側面が強いと思います。

つまり、古典料理もヌーベル・キュイジーヌもどちらも踏まえたうえで、新たな料理に昇華させている、といえるかと思います。

(本稿は書籍『美食の教養 世界一の美食家が知っていること』より一部を抜粋・編集したものです)

提供元:ダイヤモンド・オンライン

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