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「夢は叶わない」と明言する児童書が話題、作者が込めた想いとは?「“自分なりの希望”を見つける術を得て欲しい」
子どもがわからない内容も忖度なく入れる 「わからないもの=つまらない」ではない感性
──最新刊『かみはこんなに くちゃくちゃだけど』に込めたテーマを教えてください。
ヨシタケシンスケ 世の中、どうにもならないことってたくさんありますよね。この本にも出てきますが、災害のような大きな悲劇から、思う存分スリッパを噛みたいのに、親に取り上げられてしまった赤ちゃんの「大人はわかってくれない!」という嘆きまで。どんな状況であっても、自分なりの希望を発見して生きていくしかない。そうした小さな喜びが手掛かりになって持ち直すことって現実にあると思っています。
──たしかに。本書に登場する世間に溢れる暗いニュースに気持ちが沈みながらも、冷蔵庫に入ってるプリンが楽しみな女性会社員の気持ち、すごくわかります。
ヨシタケシンスケ 僕自身が人一倍打たれ弱い性格で、世界にも人類にもすぐに絶望してしまうほうなんです。普段から自分を喜ばせる方法をちゃんと集めておかなきゃなと、そんな自戒も込めて「諦めながらも前を向いている」みたいなエピソードをいっぱい集めたら、何か1つのメッセージになるんじゃないかというのは常々考えていたことでした。
──たくさんのエピソードの中には、子どもが「?」と思ってしまいそうなものもあります。
ヨシタケシンスケ 僕にとって良い絵本というのは、子どもが「キョトン」としてしまう内容が入っているものなんですね。「僕にはわからないことで大人が笑っている。なんでだろう?」という。それは、「僕も早く大きくなりたい、大人になりたい」という成長することへの希望にもつながるんじゃないかと思うんです。
──意図的に子どもが「?」となる内容を入れているわけですね。
ヨシタケシンスケ はい、「児童書だから」といって変に忖度することなく。そして結構忘れがちなのですが、子どもには「意味はわからないけれど、なんか面白い」みたいな枠がちゃんと備わっているんですね。大人は「わからないもの=つまらない」と切り捨ててしまいがちです。そういった子どもの感性をもっと信じていいんじゃないかなと思っています。
親や先生が立場上伝えられないことを補完するのが、フィクション(絵本)の役割
ヨシタケシンスケ まさに僕がこの本で形にしたかったことでした。物は言いようというか、良いことも悪いこともあるけれど、どっちを先に言うかで受け止め方がぜんぜん変わってくる。結局、順番でしかないんだよな、ということを伝えたかったんです。読者が好きな順番で読めるのは紙の本ならではの特性であって、一方向にしか流れない映像などではできないこと。そこを活かした仕掛けができたのは、本を作る人間としてうれしかったですね。
──たくさんのエピソードの中でも、タイトルにもなっている「髪がくちゃくちゃな歌手になりたい女の子」を最初と最後に登場させたのは?
ヨシタケシンスケ この子の憧れの歌手は、自分とは違って髪がサラサラなんです。世の中にある「どうにもならなさ」の中で髪がくちゃくちゃなことって、それほど大したことじゃないけれど、この子にとってはコンプレックスであり大きいなことなんですね。だけどこの子はまだ幼くて、未来の可能性がたくさんある。そんな子どもたちが、僕はとても羨ましいし、希望を感じています。
──この女の子も髪はくちゃくちゃだけど、歌手になれるかもしれないということなのでしょうか?
ヨシタケシンスケ そうではなく、僕はどんな本でも「信じていれば夢は叶う」みたいなことは描きたくないんです。それはウソなので。この本には、夢が叶わなかった人も出てくるし、それはこの女の子の未来の姿かもしれない。もちろんこの女の子が歌手になっている未来だってないわけじゃない。いずれにしても、どんなにもがいても自分の思い通りにならないことがあるのが、現実ですよね。そんなたくさんの「思い通りにならないこと」の中でも、なるべく余白の多いシチュエーションを、本書を貫く象徴に持ってきました。
──児童書で「夢は叶わない」と言い切るのは勇気のいることだと思います。
ヨシタケシンスケ 僕も自分の子どもに面と向かって、「世の中は不公平なものだよ」とは言えない。そうした親や学校の先生が立場上伝えられないことを補完するのが、フィクションの役割だと思っています。だからこそ責任を持って、どうしようもない現実をせめて面白おかしく伝えたい。そうすれば現実世界で辛い出来事に直面したときにも、「まあ、そんなもんだよね」と受け入れながら、そのなかでも自分なりの希望を見つける術を得られるんじゃないかなと。そうした絵本を僕は描きたいですね。
絵と言葉がセットになると、思いも寄らない読み解き方ができる
ヨシタケシンスケ 僕は大きな絵を描いたり、きれいな彩色ができるといった絵本作家としての王道のスキルを何ひとつ持っていない。絵も単純な線でしか描けないし、ネガティブなことばかり考えているし。だけどこの絵柄なら毒を吐いた言葉を添えても怒られないかなとか(笑)、絵と言葉がセットになると思いも寄らない読み解き方ができるなとか、そんな自分の少ない手持ちのものをかき集めて工夫したら、絵本作家と呼ばれるようになりました。というひとつの選択肢を提案したかったところも、今回の展覧会ではありました。
──展覧会では絵本作家になる前の立体造形なども展示されています。ヨシタケさんが絵本作家デビューしたのは10年前、40歳と意外に遅咲きなんですね。
ヨシタケシンスケ 僕自身、びっくりしています。立体やイラストレーションではぜんぜん届かなかった人たちに、絵本という形に変えたらこんなにも受け入れてもらえるとは思ってもみなかった。世の中を斜めに見てばっかりで、未来への不安がいっぱいで、いろんなことから逃げてきた先に40歳すぎて作家になりました。そんな僕自身の歩みそのものも世の中のどうしようもない有り様でもあるし、かつての僕みたいな心配性の子どもに、「もっと気楽に悩んでいいんだよ」ということをなんとなく感じてもらえる展覧会になれたらいいなと思っています。
──今後描きたいテーマはありますか?
ヨシタケシンスケ 思いがけずこんなにも多く方に届いただけで、何も思い残すことはないです。ただ僕の手持ちの範囲でできることの最大値を探していきたい気持ちはありますね。日本語の50音でどんな小説でも書けるように、僕の限られた表現力も組み合わせ次第でまだ可能性はあるんじゃないかという希望は持っています。
(文/児玉澄子)
【価格】1100円(税込)
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