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清原和博、野茂英雄との20年ぶり対談特番で“清原スタジアム建設 ”構想明かす

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 1990年代にプロ野球で名勝負を繰り広げた清原和博野茂英雄の両氏がこのほど、大阪・関西テレビの特番『レジェンド 清原和博×野茂英雄 甦る平成の名勝負』(8月1日 後4時〜 ※関西ローカル)で、20年ぶりに番組での対談に臨んだ。共に真っ向勝負を好んだ2人は、大阪城が見えるグランドで久々にキャッチボールを行いながら現役当時や現在の心境を激白。カリスマ性が高く、今後の去就が注目される清原氏は、将来の夢の1つとして「自分の生まれ育ったところに球場を作りたい!」と“清原スタジアム”建設プランを明かしていた。

 PL学園時代に甲子園のヒーローとして一大旋風を巻き起こした清原氏は、1985年のドラフト1位で当時の西武に入団。翌年、ルーキーとして31ホーマーを放ち新人王を獲得した。当時、若手のエースだった工藤公康投手、渡辺久信投手らと共に称された“新人類”は、当時の流行語にもなるなど、現役引退まで、常に球界のスター街道を走ってきた。

 野茂氏は1989年のドラフトで当時史上最多の8球団が1位に指名。競合の末、仰木彬監督率いる近鉄に入団した。プロ入り後は、独特のトルネード投法と伸びのある直球、落差のあるフォークボールで三振を奪う“ドクターK”として大活躍し、その後、活動の場をメジャーリーグに移して、2度のノーヒットノーランを達成。日米通算200勝をマークしている。

 共に大阪出身で1歳違いの2人は、若手選手同士だった1990年11月、同局制作の特番で対談している。それ以来、およそ20年ぶりの“対面”を実現すべく、今年1月の放送を目指して準備を進めていたが、清原氏が昨年11月末に背中の痛みを訴え緊急入院したことから企画はストップ。一時は暗礁に乗り上げたが、2人は関係者を通して対談を強く望んだこともあり、晴れて実現する形になった。

 同特番では20年前の対談時などの秘蔵映像をはじめ、若手選手として出場したオールスターゲームの最中に2人が交わした“引退後”をテーマにした会話の詳細にも触れる。収録時、野茂氏とのキャッチボールで「この球筋、懐かしい〜(ボールの回転が)真っ直ぐやねん」と笑顔をみせた清原氏は「こんなに彼と話したのは初めて。野茂は変われへんかった。よかった…」と安どの表情をのぞかせた。

 2008年7月の現役引退から2年が経過している野茂氏も「今は肩の調子がめちゃくちゃエエんですよ〜」と上機嫌。清原氏からは、45歳でボクシングの世界ヘビー級王者に輝いたジョージ・フォアマンの名前を挙げて「野茂も45歳で復活するとちゃうの?」と突っ込んでいた。



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  • 引退後、初対談が実現した(左から)清原和博、野茂英雄 
  • 数年ぶりのキャッチボールで当時を懐かしむ2人 
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  • グローブを片手に数年ぶりのキャッチボールで当時を懐かしむ2人 
  • 引退後、野茂英雄の対談が実現した清原和博 
  • 引退後、清原和博の対談が実現した野茂英雄 
  • 20年前、野茂英雄に手紙を書いた当時の清原和博 
  • 20年前、野茂英雄に手紙を書いた清原和博直筆の手紙 

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