ドラマ&映画 カテゴリ
ORICON NEWS

バッファロー吾郎、コンビ結成から天素時代、東京進出の真相などを告白

■その他の写真ニュースはこちら

 お笑いコンビ・バッファロー吾郎が、昨年デビュー20周年記念として行われた舞台『ガンガンいこうぜ! 1ヶ月31公演』のDVD発売を記念し、ORICON STYLEのインタビューに応じた。バッファローといえば、自身主宰の舞台から多くの若手芸人たちを輩出してきており、これまでにケンドーコバヤシ友近、南海キャンデーズ、天津などの世に出るきっかけを作ってきた“名伯楽”。そんな彼らに、コンビ結成から“天然素材”時代、さらにこれまで拒み続けてきた東京進出の真相などを語ってくれた。

意気込みを語るバッファロー吾郎 (C)ORICON DD inc. 

意気込みを語るバッファロー吾郎 (C)ORICON DD inc. 

写真ページを見る

【写真】その他の写真を見る


 バッファロー吾郎のコンビ結成20周年を記念して行われた『1ヶ月31公演』。この前代未聞のライブにはケンドーコバヤシ、小藪千豊、ダイアン、野生爆弾、中山功太ザ・プラン9、笑い飯、東京ダイナマイトタカアンドトシなどそうそうたる面々が日替わり出演し、ホストであるバッファローと様々な笑いを提供するという前代未聞の舞台だ。バッファロー吾郎・竹若元博は「大変だったんで、達成感もあるのかなと思ったんですけど、実はそんなに無く(笑)。成功させたぜ!っていうより、皆さんへの感謝の気持ちのほうが強いですね」と振り返れば、相方の木村明浩も「長距離走だったんで、飛ばしたらダメという思いが強かったですね。自分たちが好きな人だけ出てもらって、スケジュール的にキツかったと思いますけど、良く出てくれましたよね」と感慨深げ。

 同公演には若手芸人のみならず、ナインティナイン雨上がり決死隊FUJIWARAほっしゃん。宮川大輔など元“天然素材”メンバーも忙しいスケジュールの合間を縫って参加。中でもナイナイとは約10年ぶりの舞台共演ということもあり感慨深いものがあったようだ「お互い成長した部分を見せ合おうぜ!っていうノリではなくて、当時を再現した感じですね。良い意味で時間が止まっていた感じで」と竹若。ナイナイとの4人だけの舞台では、おもちゃの刀だけで、時代劇の殺陣シーンを披露するというシンプルな演出だったが、「2人のためにわざとしょうも無い企画を立てたんで(笑)。きっと喜んでくれたんじゃないかなって。本当に昔4人で遊んでいた当時のような感じになったと思いますよ。今だったらああいう感じのは出来ないでしょう。きっとナイナイのスタッフが止めるでしょう(笑)」と語る木村。どうやら久しぶりの“同窓会”を堪能したようだ。

 1991年に雨上がり、ナイナイらと共に結成された若手芸人ユニット・吉本印天然素材。笑いと共にダンスパフォーマンスを取り入れ、瞬く間に10代の女性を中心に人気を獲得し、一大ムーブメントを巻き起こした。だが“当事者”たちにとっては苦悩する日々が続く。木村は「天然素材って、一歩外に出たら誰からもキャーキャー言われないんですよ。あくまで舞台の中だけで。むしろメチャクチャ悪口も言われましたから。あんなダンスして何がオモロいの?って。それは僕らも思ってましたからね。その流れのまま東京行っても仕事なんかある訳ないなって思ってたんです」と当時を回想。竹若も「メンバー全員、天然劇場に対してわからんことも多かったし、フラストレーションもたまっていたんです。でも、だからこそメンバー同士の結束は強くなったし、皆で切磋琢磨できたんですね」と当時の内情を明かした。

 その後しばらくして、ナイナイが東京に進出し、瞬く間に全国区の人気者に。その流れに乗るように雨上がりやリットン調査団も東京へと拠点の場を移してしまい、大阪で独自の地盤を築いていこうとしていた木村にはショックだった。「ナイナイや雨さん、リットンさんとかが東京に行って、同期の人間も芸人辞めたりして、凄く寂しい時期があったんです。いろいろな事があって、ボクの考える面白いと思ったことって間違ってるのかな?って思うようになって……」と自暴自棄になっていたことを告白。だが、地道に自分たちの主宰する舞台を続けていくうちに“新たな出会い”が次々と訪れた。「そんな時、天津とか友近とか中山功太とか面白い子らが周りにたくさんいて。『この子らが売れたらボクの目は間違ってない!』って思って、自分らのイベントに出てもらったんです。そしたら急にバーン!ってブレイクしてビックリした。いやそこまで行かんでも(笑)。僕の中では大阪でメシ食っていける位で考えていたのに、まさか全国ネットのドラマ出るわCDでるわ、映画出るわで!」と笑顔で語る。

 事務所の垣根を越えて後輩芸人から慕われるバッファロー。あのケンドーコバヤシもバッファローのためだったら「死ねと言われたら躊躇するかもしれないけど、銃弾が飛んできたら迷わず盾になる」と珍しく真面目に公言しており、友近もすでに全国区になっていた頃、バッファローが主宰する年末カウントダウンイベントに出演するために全国放送の年末特番を断ったこともあった。食えない時代から舞台に呼んでもらい、経験を積ませてもらったという恩義は、ブレイク後にも決して色あせるものではないのだ。「僕らが育てたなんてことは無いんです。でも一番救われたのは、僕らのイベントに出ている若手芸人を見ていれば後々ブレイクする芸人が分かるっていう流れになったのは凄く嬉しい」と木村が語れば、竹若も「僕らもリットンさんから『イベントに出てくれよ』って言ってくれたのが凄く嬉しかったんです。自分たちがやってもらったことを、そのまま後輩に返している感じですね」と目を細める。

 長らく“大阪の実力者”として君臨してきた彼らに転機が訪れたのは2008年、コント日本一を決める『キングオブコント2008』での優勝だった。ついに東京進出を決心した2人だったが、その目的は決まっていた。自分たちで10年以上に渡り行っている大喜利日本一決定戦『ダイナマイト関西』規模拡大のためだ。“ゴチャゴチャ言わんと誰が一番おもしろいんか決めたらええんや”をキャッチコピーとし、与えられた御題に対していかに面白い答えで返すかを競う同大会には並々ならぬ想いがある。「このために上京してきたようなもんですから。K-1のような格闘技イベントにしたいんですよ。年に4回大きい大会やって、その間に別大会もやる。もちろんいろんな事務所から出てもらってね。大会が多くなればスターも生まれるし、“因縁”も生まれる。競技として大会を確立させるために僕らは東京にいるんです」と強い想いを明かす。木村も「“お祭り感覚”ではなく、純粋な競技として確立させるのが僕らの今後の課題ですね」と気合十分だ。

 大みそ日の『HNK紅白歌合戦』の裏番組として『ダイナマイト関西』を放送することを悲願としている彼ら。「そのためにも名前を売らないとダメ。デビュー当時は知名度なんてどうでもよかったんですけど。名前売らないと会社も動いてくれない(笑)。面白くても日の目を見ない子らのためにも知名度上げないと!」。まるでデビューしたての若手芸人のようなコメントだが、その言葉の重みは20年もの間、芸人として歩んできた彼らならではの“重み”だということがわかるだろう。

 3月13日には、東京・HMV渋谷にて後7時よりバッファロー吾郎芸歴20周年記念DVD発売記念イベントを開催する。




関連写真

  • 意気込みを語るバッファロー吾郎 (C)ORICON DD inc. 
  • バッファロー吾郎の木村明浩 (C)ORICON DD inc. 
  • バッファロー吾郎の竹若元博 (C)ORICON DD inc. 

オリコントピックス

あなたにおすすめの記事

メニューを閉じる

 を検索