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“魂のピアニスト”最後のドキュメンタリー『フジコ・ヘミング 永遠の音色』公開 「フジコさんはいま、天国でツアー中です」【小松莊一良監督インタビュー】

 2024年4月21日、92歳で新たな世界へと旅立ったフジコ・ヘミング。情感あふれるダイナミックな演奏から“魂のピアニスト”と呼ばれていた彼女の壮絶な生涯と、豊かな音色に迫る最後のドキュメンタリー映画『フジコ・ヘミング 永遠の音色』が10月24日に公開された。メガホンをとったのは、2013年から12年間、フジコと交流を続けた映画監督・小松莊一良だ。

『フジコ・ヘミング 永遠の音色』より

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■チャーミングなフジコ・ヘミングの“ありのまま”を映した『フジコ・ヘミング 永遠の音色』

【小松】フジコさんと初めて会った時のことは鮮明に覚えています。2013年にフジコさんをクローズアップしたドキュメンタリー番組を制作することになって、彼女のコンサートに伺ったんです。演奏終了後にフジコさんにお会いできることになって、舞台裏に行ったら長い廊下の奥から歩いてくる彼女の姿が見えました。すると、彼女は僕を見て、少女のようにはにかんだんです。

 フジコが脚光を浴びるきっかけとなった1999年のドキュメンタリー番組を見て、彼女に魅かれるものを感じた小松監督は、いつか彼女の映像作品を撮りたいと思っていたという。しかし、彼がクラシックの音楽家と向き合ったのはこれが初めてのこと。それまで小松は、ロックミュージシャンやストリートダンサーをモチーフとした映像作品を数多く手がけていた。

『フジコ・ヘミング 永遠の音色』より

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【小松】子どものころ、『小さな恋のメロディ』や『サタデーナイトフィーバー』といった1970年代の音楽映画や、映画と音楽が密接にリンクした角川映画の初期の作品を観て育って、いつしか音楽がカギとなる映画を撮りたいと思うようになりました。1980年代に入ると、新しいカルチャーのMTVやヒップホップが日本にも押し寄せて来て、僕と同世代の尾崎豊が登場するわけです。高校生だった僕は、尾崎の音楽とブレイクダンスを融合させて、学生服のミュージカル映画『ハイスクールRock'n'Roll』という作品を作り、映画コンテストで賞をいただきました。

 その後、R&BシンガーのGWINKOをフィーチャーしたダンスフィルムで注目されて、ダンスアクション映画『Heart Breaker』を制作し、映画監督としてメジャーデビューを果たす。

【小松】『Heart Breaker』は日本や韓国、中国のストリートダンサーたちのカルトバイブル的な映画として話題となったそうです。そんな『Heart Breaker』をきっかけに、アーティストのミュージックビデオやライブビデオを作るようになりました。これまでに同世代・同郷の吉川晃司さんをはじめ、DA PUMPケイティ・ペリーさん、安室奈美恵さん、藤あや子さんなど、いろいろな方たちとご一緒しています。最近では新しい学校のリーダーズのライブ映像を作っていて、彼女たちは新しいことを一緒になって作ってくれるので非常に刺激的です。

 さまざまなジャンルのアーティストとタッグを組んでいた小松監督が、クラシックのピアニストであるフジコに挑んだ。

【小松】クラシック音楽というとどこか敷居が高いイメージがありましたし、僕はクラシック音楽の世界に精通しているわけでもなかったので、フジコさんに会う前は「怖い人なのではないか」と思っていました。でも、実際にお会いしたらチャーミングで、その一方でかっこよくタバコを吸っていた姿が印象的だったんですよね。まるでロックのアーティストのようで、僕は最初から親近感を覚えたんです。

小松莊一良監督

小松莊一良監督

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 ベルリン生まれのフジコと、ロサンゼルス生まれの小松監督は、幼いころに船で日本へ帰国。初めて日本に降り立った地はふたりとも横浜港だったという。そんな偶然もあって、小松監督はフジコと意気投合し、年に2〜3回、世代を超えた茶飲み友達のように会うようになったと振り返る。小松監督が交流を始めた2013年当時のフジコは80代。1999年にブレークしてから約15年が経とうとしていた。

【小松】フジコさんは当時、日本はもちろん、フランス・パリ、ドイツ・ベルリン、アメリカ・サンタモニカにも住まいがある売れっ子ピアニストでした。ところがフジコ・ヘミングというと、難聴であまたの苦難を乗り越えた悲劇のピアニストという肩書がいつまでもついて回ってしまう。僕が最初に撮ったドキュメンタリーのテレビ番組も、彼女の苦難の物語の焼き直しに過ぎませんでした。僕の目の前にいるチャーミングなフジコさんの姿をそのまま伝えたいという想いはあったのだけれど、その企画には入れられず、僕自身不完全燃焼だったんですよね。それで、いつか機会があれば、僕が感じたものを表現できたらいいなと思いながら、友人として交流を続けていきました。

 ドキュメンタリー作品は通常、ある程度構成を作りこみ、結末も決めて撮影していく手法がスタンダードだ。小松監督も映像を学び始めた当初、そのセオリーに従って作品を制作していたが、ある時ミュージシャンが被写体となったときにトラブルが発生した。

【小松】「決めつけないでほしい!」と突っぱねられたんです。実は僕もうすうす「セオリー通りに撮るのは違うよなぁ」とは思っていたのですが(笑)。そこからは自由に作り始めました。スタートとゴールは考えますが、あとはターゲットに体当たりして、その中で僕が感じたことをやっていくというスタンスに切り替えたんです。ですから、出会ってからその日別れるまではカメラは回しっぱなし。そうするとありのままの姿が撮れて、極上のシーンを撮影できるんです。ただ、それはお互いにツライんですよね。ありのままをさらけ出してもらうわけですから。でも、そうしないと人間はカメラの前で演じてしまうんです。

 “ありのまま撮影”を初めて試みた作品は、吉川晃司の『HOT ROD MAN DOCUMENT』だ。

【小松】それこそ吉川くんと何度ケンカしたことか! 「もう二度と会わないからな!」と言って別れたことも数えきれませんが、7ヶ月2人っきりでやっていくうちに、心が通じ合う瞬間があって最後にはふたりで腕を組んで歩いていたこともありました。結果、苦労した甲斐があって、誤解やイメージに覆われていた時代の吉川晃司というアーティストの、人間らしい瞬間を映像に刻むことができたと感じています。あの時、心からぶつかり合ったからこそ、長く信頼し合える関係になったのだと思います。

■フジコから託された日記を柱に、彼女の足跡を追う

『フジコ・ヘミング 永遠の音色』より

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 小松監督は、フジコ・ヘミングも体当たり撮影法で追い続けた。そして2018年、彼が手がけたフジコ・ヘミング初のドキュメンタリー映画『フジコ・ヘミングの時間』が公開された。

【小松】2016年にニューヨークの国連本部会議場でフジコさんがピアノを弾くことになって、僕もニューヨークに同行取材しました。その際に「タイムズ・スクエアに行きましょう」とフジコさんをお誘いしたんです。タイムズ・スクエアといえば巨大な看板や広告がひしめく、ニューヨークを象徴する場所。そこへ向かう路地を歩いていたら、フジコさんが急にかがんだんです。すると、彼女は道端に落ちていた植栽の花の苗を拾って鉢に戻したんですよね。ニューヨークの中心地で、普通ならキラキラしたショーウィンドウや輝く電飾に目が行くと思うのですが、フジコさんの目は路地の片隅で気づかれずに落ちていた花の苗を捉えていたわけです。衝撃でした。ほかのアーティストさんにはない目線だなと。

 世界を駆けまわるフジコの名演とともに、ニューヨークの片隅で踏まれそうになっていた花に愛情をかける優しい一面もフォーカスしている『フジコ・ヘミングの時間』。この作品に収めきれなかった素晴らしい素材が残っていたこと、そしてフジコから新たに日記を託されたことから、続編のドキュメンタリー映画が制作されることとなった。それが、結果的にフジコの最後のドキュメンタリー作品となった『フジコ・ヘミング 永遠の音色』だ。

【小松】ある時、「あなたに託すから何とかして」と言って、18歳のときの日記と40歳のときの日記をフジコさんから渡されました。それらの日記を読むと、フジコさんから聞いていた苦労話がよりひりひりする言葉で伝わってきて、ピアニストとして夢に向かってもがいていた様子がありありと目に浮かんだんです。この日記を柱とすれば、フジコさんの人生の匂いのようなものが伝わるのではないか、そして映画として共感してもらえるのではないかと考えました。

 フジコの日記を読んで、欠落した家族によって傷ついた心が彼女の音色を作りだしているのではないかと、小松監督は分析する。

【小松】1938年、フジコさんが7歳の時に彼女の父でスウェーデン人のゲオルギー・ヘミングは家族を日本に残して母国に戻ってしまいました。その後、日本は太平洋戦争に突入して、フジコさんは13歳の時に疎開先の岡山で終戦を迎えたわけです。その翌年に東京に戻ったのですが、終戦から5年後の1950年には朝鮮戦争が勃発します。その当時、フジコさんの18歳の日記を読むと「朝鮮戦争が始まって第3次世界大戦がはじまるのではないか。早く平和の国スウェーデンに行ってみたい。お父様、手紙1通でもください」とあって、戦争に対する恐怖を訴えているんですよね。太平洋戦争が、いかに彼女を傷つけていたかが伝わってきました。その一方で、日記には「お父さんがいたあの頃に戻りたい」という記述がたびたび出てきます。太平洋戦争は恐ろしかったけれど、戦前の父親がいた家族の形がフジコさんにとって完璧な家族だったのでしょう。父親が去ったことに彼女は深く傷ついて、心に穴が開いていた状態だったのだと思います。その切なさが彼女のピアノの音色に表れているように僕には聴こえるんです。

『フジコ・ヘミング 永遠の音色』より

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 多感な少女時代に心に傷を負ったことは、その後のフジコの人生に大きな影響を及ぼした。フジコ自身「人生は苦しいことがあるほうがうまくいく」と語っており、苦しみを知っているフジコだから人間や動物、自然にやさしくなれたのだろうと、小松監督も感じている。

【小松】日記の朗読は、以前ドラマでフジコさんの役を演じた菅野美穂さんにお願いしました。菅野さんが日記を読んでくださっておかげで、フジコさんの過去の日々が立体的に表現できたと感じています。菅野さんは、覚悟を持って録音スタジオに来てくださったと思うんです。フジコさんがこの世からいなくなって、彼女の日記を読むということの責任の重さを痛感していたのでしょう。

 『フジコ・ヘミング 永遠の音色』には、もちろんフジコの演奏シーンも収録されている。

【小松】いまは超絶技巧で圧倒するようなピアニストが人気ですが、フジコさんは1930年代の演奏スタイルを貫いていらっしゃるんですよね。そのクラシカルでロマンティックな演奏を追求するピアニストは稀有だから、ヴァスコ・ヴァッシレフさんをはじめとする海外のアーティストが彼女のピアノを絶賛するんです。彼女のピアノがなぜ人を惹きつけるのか、理由はわからなくても聴けば伝わるものがあると思います。特にヨーロッパの歴史のあるホールで聴くフジコさんの演奏は最高です。

『フジコ・ヘミング 永遠の音色』より

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 さらに、映画にはスウェーデンに住むフジコの異母妹のインタビューや、フジコが生まれたベルリンのアパートの映像も収められているのだが、それらの映像を見ることなく、フジコはこの世界から旅立ってしまった。

【小松】異母妹のエヴァさんのインタビューや、フジコさんが生まれたベルリンのアパートの室内の映像をフジコさんが見たときの反応も撮影したかったのですが、叶いませんでした。特に、ベルリンのアパートはフジコさんの思い入れのある場所で、彼女自身、何度も足を運んでいたんです。でも、家主の許可がいただけなくて、フジコさんは中に入ることができずにいて…。今回ようやく許可が下りて、フジコさんも映像を楽しみにしてくださっていたので、お見せできなかったことは切ないですが、「できることはやったよ、フジコさん」と胸を張って言いたいですね。

 「死は悲しいものではなく始まりであって、天国に行ったらまた大好きな人たちや動物たちに会える」と語っていたフジコ。きっと天国で家族一緒に『フジコ・ヘミング 永遠の音色』の公開を喜び、ベルリンのアパートの思い出を語りあっていることだろう。

【小松】フジコさんはいま、天国でツアー中です。こちらの世界でフジコさんの演奏を生で聴く機会はないので、ぜひ映画館に足を運んでいただいて、大きな映像と素晴らしい音響で本作を鑑賞していただきたいですね。映画の中で、動物たちと交流して笑顔を見せるチャーミングなフジコさんに再会して、唯一無二の演奏スタイルを追求するフジコさんの熱演をどうぞご堪能ください!

取材・文:森中要子

『フジコ・ヘミング 永遠の音色』より

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■『フジコ・ヘミング 永遠の音色』
2025年10月24日(金)公開
出演:フジコ・ヘミング
ナレーション:菅野美穂
企画・構成・撮影・編集・監督:小松莊一良
配給:日活

フジコ・ヘミングの最後のドキュメンタリー映画『フジコ・ヘミング 永遠の音色』(10月24日より全国順次公開)

フジコ・ヘミングの最後のドキュメンタリー映画『フジコ・ヘミング 永遠の音色』(10月24日より全国順次公開)

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■小松莊一良
ロサンゼルス生まれ、広島県呉市で育つ。大阪芸術大学 映像学科在学中より自主映画製作で注目され、映画『Heart Breaker』で映画監督としてデビュー。おもに音楽やストリートダンスをモチーフにした作品をテーマとし、ドラマの他にもドキュメンタリー、ミュージックビデオ、ライブ映像など幅広いフィールドで活動を続ける。吉川晃司、HYDE、安室奈美恵、ケイティ・ペリー、DA PUMP、藤あや子などの音楽映像作品を手がけるほか、2024年、WOWOWで世界配信された、新しい学校のリーダーズの初武道館ライブ『青春襲来』を監督し、第14回衛星放送協会オリジナル番組アワードにてグランプリなど2冠を受賞。2025年、劇場公開されたAdo × 新しい学校のリーダーズ × YOASOBI 『matsuri '25: Japanese Music Experience LOS ANGELES』で総合演出を務める。一方で、世界的人気のピアニスト、フジコ・ヘミングの映像やコンサートの演出も長年手掛け、企画・監督したドキュメンタリー映画『フジコ・ヘミングの時間』(2018年)が感動を呼び異例のロングランヒットとなった。母校・大阪芸術大学 映像学科では客員教授も務める。

フジコ・ヘミング『赤いカンパネラ〜フジコ・ヘミング スペシャルソロコンサート2023〜』

フジコ・ヘミング『赤いカンパネラ〜フジコ・ヘミング スペシャルソロコンサート2023〜』

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フジコ・ヘミング『赤いカンパネラ〜フジコ・ヘミング スペシャルソロコンサート2023〜』(Blu-ray)
16:9スコープサイズ(1080) 96KHz/24bit
発売日:2023年10月25日
品番:MHXC-1/価格5000円(税込)

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