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草刈正雄、17歳で上京は「5万円につられた」 4畳半間借りで母の呼び名は「ママ」

 俳優の草刈正雄(66)が23日、都内で行われた『母の日参り』パートナーシップ活動発表会に出席。それにちなみ「ママ」と呼んでいた亡き母親との思い出や17歳で上京した当時のことを振り返った。

『母の日参り』パートナーシップ活動発表会に出席した草刈正雄 (C)ORICON NewS inc.

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 母との思い出は「母子家庭でございまして、母との繋がりが強かった。小学校3年生の時に担任の先生が『母親に手紙を書きましょう』と言われて、(自分は)チビのころからママと呼んでいて、『ママへ』と書いたらクラスのみんなにからかわれたりした記憶があります」と告白。

 そんな母は「強くて怖い母でしたね。ちょっと悪いことをしたらバットで追いかけてきました」と笑いながら「2人で暮らしているのですが、おばあちゃんがたまに来て、おばあちゃんっ子だったので来るのが楽しみでしたね」としみじみ。

 「母は大変だったと思います。父がアメリカ人で当時は差別的なこともあったのかも知れません。僕は感じませんでしたが、母はそういうのがあったのかなと想像しています。ただ、そういう姿を見せなかった…」と強い母親に守られていたのだと明かした。

 そんな中17歳で上京したことについては「自立がしたくて仕方がなかった。4畳半の間借りで、(自分の体が)チビの時は良かったのですが、だんだんと大きくなるので…」と説明し「学生時代は新聞配達を3年間、高校は夜学部(定時制)に通って昼は働いて…、(部活の)練習が終わったらスナックの厨房で働いていましたね」と回顧。

 そのスナックのマスターから「正雄は見てくれがいいから、モデルになったほうが稼げるかもよ。俺が紹介してやる」と博多と東京のモデル事務所を紹介されたそうで「モデルは興味なかったのですが、お金につられて…。どんな仕事もするのかわからず、昼間の仕事が当時手取りで1万9000円。それがモデル事務所に入ると5万円くれると。この5万円に釣られて東京に出てきました」と5万円が人生を変えたと笑いながら伝えた。

 その後、CMなどでの活躍もあり約2年で母を東京に呼び寄せて「(母の反応は)最初は『東京に住むのか、キツイね〜』と言っていましたが、実際はうれしかったのではないでしょうか」と振り返った。

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  • 『なつぞら』での名言連発に自身も涙したことを明かした草刈正雄 (C)ORICON NewS inc.
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