先月28日に亡くなった俳優・菅原文太さん(享年81)の代名詞とも言える映画『トラック野郎』シリーズ(東映、1975年〜)で菅原さん演じる主人公・星桃次郎が乗ったデコトラ「一番星号」を運転し、東日本大震災の被災者を勇気づける活動を続けるトラック運転手がいる。
全国のトラック運転手やデコトラ愛好家で作る「全国歌麿会(うたまろかい)」会長で、埼玉県本庄市の運送会社会長、田島順市さん(66)。同会は元々、東映が同作を製作した際に立ち上げた協力団体だが、シリーズ終了後に解散。1979年に田島さんが会を引き受け、現在は災害援助や交通遺児支援などの活動をしている。田島さんは、全国各地で人助けをした桃次郎の“精神”を引き継ぎ「『一番星号』で全国の被災地を回りたい」と意気込んでいる。
東映が手放した「一番星号」は長く田島さんとは別のトラック運転手の元にあったが、今年3月に田島さんが譲り受け現在は装飾の修理中。完全復元まで約1年かかるという。
会は震災発生9日後の2011年3月20日に初めて東北入り。以降、約2ヶ月に1度のペースで被災地の仮設住宅を回り、援助物資の提供や炊き出し、歌謡ショーなどを通じて被災者と交流し続けている。“未完成”の「一番星号」はこれまで宮城県山元町と石巻市に足を踏み入れているが、田島さんは「(被災者は)まさか『一番星号』を見られるとは思っていないから反応はよかった」と今後に手応えを感じている。
20歳からトラックに乗り始め、全国各地を飛び回っていたころ『トラック野郎』に出会った。「かっこよかったね。寝ないで働くトラック運転手に大きな体の人はいないから、文太の“ガリガリ感”がよく合っていた」。
シリーズ上映当時は交通規則が緩く、警察が違反を取り締まろうとしても運転手が車中にこもって応じないなど“トラック野郎”の世界は「俺たちが普通にやっていること」だったという。「当時、地方ではトラックというだけで嫌がられる時代。トラックに乗ることが“誇り”と思えるようになったことが映画の功績」と語る。
会の活動にはこれまで、桃次郎の相方・松下金造役を演じた愛川欽也や監督を務め今年5月に亡くなった鈴木則文さんも参加してくれたが、生前の文太さんが田島さんたちと行動を共にすることはなかった。
田島さんは「いつか、文太が『よっ!』ってチャリティー現場に来てくれるかもしれないと思ってきた。死んでしまったらもう実現できない…」と突然の訃報に肩を落とす。それでも、文太さんが演じた桃次郎はいまだに生きているように思う。
きらびやかに電飾が施された「一番星号」が全国の被災地を回る日は近い。
全国のトラック運転手やデコトラ愛好家で作る「全国歌麿会(うたまろかい)」会長で、埼玉県本庄市の運送会社会長、田島順市さん(66)。同会は元々、東映が同作を製作した際に立ち上げた協力団体だが、シリーズ終了後に解散。1979年に田島さんが会を引き受け、現在は災害援助や交通遺児支援などの活動をしている。田島さんは、全国各地で人助けをした桃次郎の“精神”を引き継ぎ「『一番星号』で全国の被災地を回りたい」と意気込んでいる。
会は震災発生9日後の2011年3月20日に初めて東北入り。以降、約2ヶ月に1度のペースで被災地の仮設住宅を回り、援助物資の提供や炊き出し、歌謡ショーなどを通じて被災者と交流し続けている。“未完成”の「一番星号」はこれまで宮城県山元町と石巻市に足を踏み入れているが、田島さんは「(被災者は)まさか『一番星号』を見られるとは思っていないから反応はよかった」と今後に手応えを感じている。
20歳からトラックに乗り始め、全国各地を飛び回っていたころ『トラック野郎』に出会った。「かっこよかったね。寝ないで働くトラック運転手に大きな体の人はいないから、文太の“ガリガリ感”がよく合っていた」。
シリーズ上映当時は交通規則が緩く、警察が違反を取り締まろうとしても運転手が車中にこもって応じないなど“トラック野郎”の世界は「俺たちが普通にやっていること」だったという。「当時、地方ではトラックというだけで嫌がられる時代。トラックに乗ることが“誇り”と思えるようになったことが映画の功績」と語る。
会の活動にはこれまで、桃次郎の相方・松下金造役を演じた愛川欽也や監督を務め今年5月に亡くなった鈴木則文さんも参加してくれたが、生前の文太さんが田島さんたちと行動を共にすることはなかった。
田島さんは「いつか、文太が『よっ!』ってチャリティー現場に来てくれるかもしれないと思ってきた。死んでしまったらもう実現できない…」と突然の訃報に肩を落とす。それでも、文太さんが演じた桃次郎はいまだに生きているように思う。
きらびやかに電飾が施された「一番星号」が全国の被災地を回る日は近い。
2014/12/06