ついに興収212億円を突破。現在、日本歴代興収第3位のメガヒットとなっている『アナと雪の女王』。映画の歴史を作ったといっても過言ではない、映画シーンにおける同作のヒットの意義とは。“映画は可能性の産物”とする映画ジャーナリストの大高宏雄氏が綴る。
◆ヒットの引き金をひいた配給宣伝の手法
映画は、可能性の産物である。5月下旬に、興収200億円を超えた『アナと雪の女王』(以下『アナと雪』)のメガヒットぶりを見て、改めてそう思った。200億円突破は、『ハリー・ポッターと賢者の石』(203億円、2001年公開)以来、歴代で4本目だ。その『ハリー・ポッター〜』もすでに上回った。可能性の意味は、洋画低迷の折り、アニメといえどもここまで数字が伸びたことのなかに、映画の底知れなさが垣間見れたからにほかならない。
引き金は何だったのか。それは、宣伝である。配給会社は、映画からいわゆるファミリー向きの“ディズニー色”を消して、アニメのミュージカル映画としての側面を大きく売り、大人向きにした。4分ほどのフッテージ映像が、公開前のかなり長い期間、全国のシネコンで上映されていたことを知る人は多いだろう。通常の予告編にあるような物語性を排除し、歌のシーンを全面展開した。これが功を奏した。
いつの頃なのか、この歌のシーンがネットなどで流れるようになり、さらに多くの人の目に触れる。ネットでは、アカデミー賞の歌曲賞受賞の情報も大きかった。歌のインパクトの強さは、計り知れないものになった。英語版、日本語版双方の歌のシーンが、ほぼ均等に受け入れられたのも、全く珍しいことであった。
もちろん、歌だけが引き金になったのではない。“ディズニー色”を大きく打ち出さなくても、それは自然と知れていく。Wヒロインのお姫様物語も、とくに女性たちの関心を高める役割を大きく果たしただろう。つまり、ディズニー映画への安心感、日本の女性好みのお姫様物語といった要素を背後にひかえ、その上に立った日米双方の歌の素晴らしさが、巨大な時空間のなかで関心の度合いを高めていったのである。
◆受け手側の観客にもたらした重要な意味
蓋を開ければ、そこから先は、映画興行の分野でときどき使われる“一人歩き”となった。口コミ効果、リピーター増加、社会現象化の循環のなかで、マスコミ論調が盛んになり、それを知った人々がまた関心をもつ。この想像もつかない情報量、人々の関心の高まりが、公開10週目の土日にして、興収8億円を超えるという前代未聞の興行に行き着いたのだった。
洋画にいい風が吹いたと思う。メガヒット云々はもちろんのこと、その宣伝手法に学ぶことは多いのではないか。日本人が、何に関心を寄せるのか。そのことを用意周到に考え抜いた末に、今回の宣伝が展開されたからである。米国押し付けの宣伝手法を、日本人に丸投げしていたら、その効力が弱まるのは自明の理だ。
映画のどこに、日本人の目を引く要素が隠されているか。それを、頭脳と、ある種の勘と、データ分析などを織り込みながら、模索してみる。『アナと雪』のメガヒットは、数字を超えて、そここそをしっかりと見るべき事例のように、私には感じられた。
今指摘したのは、映画を送り出す側の話であるが、受け手たる観客にとっても、とても重要な意味をもたらしたと思う。それは映画の、あらゆる世代横断型とも言っていい幅広い観客層を生んだ。ふだん映画を観ない人も多かったと思われ、これらの人たちは、これで映画への親近感が一段と強まってくれたと、勝手に判断したい。『アナと雪』は、そうした期待感を強烈に抱かせた点も特筆すべきものだった。
観客では、とくに『アナと雪』を観た幼児の心持にワクワクする。『ドラえもん』などは観ているかもしれないが、洋画では初めてアニメを観たという子どもたちも多かったのではないか。映画館を出ても、多くの場所で子どもたちが主題歌を唄う光景が見られた。YouTUBEには、アナとエルサのいちシーンを唄って踊りながら、楽しそうに役を演じる子どもたちの家での様子が数多くアップされている。『アナと雪』は、思い出として、映画の“原風景”として、子どもたちの心のなかで生き続けることだろう。
冒頭で述べた映画の可能性とは、数字を超えて、まさに子どもたちに計り知れない心の豊かさを与えたことでもあったろうか。『アナと雪』は、映画の歴史を作った。
(文:映画ジャーナリスト・大高宏雄)
◆アナと雪の女王『メガヒットの意義―子どもに与えた計り知れない心の豊かさ』
◆アナと雪の女王『ヒット考察:アナとエルサを現代女性に置き換えてみると』
◆『アナと雪の女王』モデル座談会レポート☆愛を心で感じて女子力アップ!
◆ヒットの引き金をひいた配給宣伝の手法
映画は、可能性の産物である。5月下旬に、興収200億円を超えた『アナと雪の女王』(以下『アナと雪』)のメガヒットぶりを見て、改めてそう思った。200億円突破は、『ハリー・ポッターと賢者の石』(203億円、2001年公開)以来、歴代で4本目だ。その『ハリー・ポッター〜』もすでに上回った。可能性の意味は、洋画低迷の折り、アニメといえどもここまで数字が伸びたことのなかに、映画の底知れなさが垣間見れたからにほかならない。
いつの頃なのか、この歌のシーンがネットなどで流れるようになり、さらに多くの人の目に触れる。ネットでは、アカデミー賞の歌曲賞受賞の情報も大きかった。歌のインパクトの強さは、計り知れないものになった。英語版、日本語版双方の歌のシーンが、ほぼ均等に受け入れられたのも、全く珍しいことであった。
もちろん、歌だけが引き金になったのではない。“ディズニー色”を大きく打ち出さなくても、それは自然と知れていく。Wヒロインのお姫様物語も、とくに女性たちの関心を高める役割を大きく果たしただろう。つまり、ディズニー映画への安心感、日本の女性好みのお姫様物語といった要素を背後にひかえ、その上に立った日米双方の歌の素晴らしさが、巨大な時空間のなかで関心の度合いを高めていったのである。
◆受け手側の観客にもたらした重要な意味
蓋を開ければ、そこから先は、映画興行の分野でときどき使われる“一人歩き”となった。口コミ効果、リピーター増加、社会現象化の循環のなかで、マスコミ論調が盛んになり、それを知った人々がまた関心をもつ。この想像もつかない情報量、人々の関心の高まりが、公開10週目の土日にして、興収8億円を超えるという前代未聞の興行に行き着いたのだった。
洋画にいい風が吹いたと思う。メガヒット云々はもちろんのこと、その宣伝手法に学ぶことは多いのではないか。日本人が、何に関心を寄せるのか。そのことを用意周到に考え抜いた末に、今回の宣伝が展開されたからである。米国押し付けの宣伝手法を、日本人に丸投げしていたら、その効力が弱まるのは自明の理だ。
映画のどこに、日本人の目を引く要素が隠されているか。それを、頭脳と、ある種の勘と、データ分析などを織り込みながら、模索してみる。『アナと雪』のメガヒットは、数字を超えて、そここそをしっかりと見るべき事例のように、私には感じられた。
今指摘したのは、映画を送り出す側の話であるが、受け手たる観客にとっても、とても重要な意味をもたらしたと思う。それは映画の、あらゆる世代横断型とも言っていい幅広い観客層を生んだ。ふだん映画を観ない人も多かったと思われ、これらの人たちは、これで映画への親近感が一段と強まってくれたと、勝手に判断したい。『アナと雪』は、そうした期待感を強烈に抱かせた点も特筆すべきものだった。
観客では、とくに『アナと雪』を観た幼児の心持にワクワクする。『ドラえもん』などは観ているかもしれないが、洋画では初めてアニメを観たという子どもたちも多かったのではないか。映画館を出ても、多くの場所で子どもたちが主題歌を唄う光景が見られた。YouTUBEには、アナとエルサのいちシーンを唄って踊りながら、楽しそうに役を演じる子どもたちの家での様子が数多くアップされている。『アナと雪』は、思い出として、映画の“原風景”として、子どもたちの心のなかで生き続けることだろう。
冒頭で述べた映画の可能性とは、数字を超えて、まさに子どもたちに計り知れない心の豊かさを与えたことでもあったろうか。『アナと雪』は、映画の歴史を作った。
(文:映画ジャーナリスト・大高宏雄)
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2014/06/06