2万人をみてきた組織開発コンサルタント・勅使川原真衣氏の著書『組織の違和感 結局、リーダーは何を変えればいいのか?』が刊行。坂井風太氏も「革新性がある」と絶賛した同書の内容をもとに、抜粋・再構成して特別公開する。
同じ言葉をかけられてもこんなに違う2人
ある会社で同じプロジェクトチームに所属する2人の中堅社員がいました。
2人は大きなプレゼンに挑んだのですが、惜しくも他社に案件を奪われてしまいます。
会社に戻った2人を待っていたのは、部長からの激しい叱責でした。
そのとき、2人はそれぞれこう反応しました。
内省するか、反発するか。実に対照的な反応です。
「とりつくろえない場面」で自分がわかる
これは、突発的なストレスやプレッシャーを受けた状況下における反応の違いがよくわかる、典型的な例です。
ストレスがかかる状態とは、普段ある意味「とりつくろっている」状態からちょっと隙が見える場面。
社会性で普段はコントロールしていても、いざとなるとその人のクセが強く出やすくなります。つまり、無意識のうちに「素」が出てしまうということです。
この事例を見て、こう思われた方がいるのではないでしょうか?
「わかるわかる。最近の若いやつはこんなのが多くて、困ったもんだ」
「よくそんなに簡単に頭を下げられるな。プライドはないのか」
「職場で感情的になるなんて、大人の対応とは言えない」
これこそが、自分の主義と反する、大事な価値観とずれた、というサインです。
問題の悪化を食い止めるのは「違和感」
ただ、それは価値観の深い部分に根ざしているため、違和感として表出しない限りは、まるで海に沈む氷山のように、自分からも見えにくいものです。
事前にわかっていればズレがないような環境や相手を選んでいけるのですが、それが難しい。
私たちは、率直に感じたことを出すことのないように教育され、社会に順応してきました。「自分のことがわからない」「やりたいことも楽しいこともわからない」というのは、まさにその副産物です。
でも本当は、「ん?」と引っかかることがあるのなら、いったんその違和感を受け止めたい。
思えば、生まれて3〜4歳ぐらいまでって誰もが違和感の塊だったと思うのです。その年齢の子は、「なんでなんで」ってずっと言っていますよね。
でも次第に学校で「こういうものだ」というのを植えつけられて、家でも「いつまで言ってるの」と怒られたり。そうするうちに、あるときから何も言わなくなってしまう。
今の私たちが生きるのは、違和感を無視する訓練をしつづけた先の社会です。「小さいことにくよくよするな」「いつまでそんなことで泣いてんだ」って言われてきた、マッチョな世界。
でも、わかりやすいものしか問題として認定しないのは、わかりやすくなるまで悪化を待つことに他なりません。
「できない人は辞めればいい」なんて、そんな簡単な話じゃない。結局みんなでやらなきゃいけないのは変わらないのですから。
それを無視できる強さのある人だけが頑張るとなると、組織は分断まっしぐら。
だから、みんなで解決策を練ろうではありませんか。