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勝者の“黒歴史”に学べ! BS11『偉人・敗北からの教訓』で武田三代から学ぶ「敗北白書」
偉人たちの「敗北」に学ぶ歴史の教訓 ――武田三代スペシャルで読み解く、栄光と崩壊の真実
そんな同番組が、ついに放送100回を迎え、これを記念して、『武田三代スペシャル! 〜信虎・信玄・勝頼の足跡を訪ねて〜』(7月19日(土)よる8時から放送)を2時間スペシャルで放送。戦国時代に名を馳せた甲斐の名門・武田家にスポットを当てている。
初代・信虎、名将・信玄、そしてその跡を継いだ勝頼――三代にわたって勢力を拡大し、一時は天下取りを視野に入れながらも、やがて滅亡の道をたどることとなった武田家。その興亡のドラマに潜む“敗北”の本質をひも解き、現代にも通じる深い示唆を探っていく。
果たして、彼らの栄光と転落の裏にあったものとは? そして私たちは、そこから何を学ぶべきなのでしょうか。100回目にふさわしい重厚なテーマで放送される。
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武田三代 信虎・信玄・勝頼(イメージ図)
【改めて、振り返ってみよう!】“戦国最強”武田家に何が起きた?
暴君か、先見の名君か? 信玄の父・武田信虎の“もうひとつの顔”

暴君のイメージ!?武田信虎(イメージ図))
永正16年(1519年)、信虎は相川扇状地の躑躅ヶ崎(つつじがさき)に新たな館を造営し、本拠地を移転。これと並行して、有力土豪たちを城下町に集住させる政策を推し進めた。さらに城下町の東西の出入口には市場を設け、物資の流通を活性化させるなど、経済と政治の両面で画期的な都市計画を実施していった。
このような整然とした都市づくりは、それまでの甲斐国では例を見ないもので、信虎の支配体制が飛躍的に拡大していたことがうかがえる。もっとも、甲府開創直後には土豪層の反抗もあり、信虎の一円支配が完全に確立していたわけではなかった。
それでも、甲府盆地を一望できる躑躅ヶ崎への本拠地移転には、北条氏や今川氏といった有力な隣国勢力に対抗するための、信虎の明確な戦略意図があったと考えられている。暴君として片付けられがちなその人物像の裏に、甲斐統一と都市政策を成し遂げた「先見の名君」としての一面が、いま再評価されている。
戦国屈指のプロデューサー 英傑・武田信玄が築いた「統制・外交・経営」の才

戦国の英傑 武田信玄(イメージ図)
中でも注目されるのが、「信玄堤」の築造。釜無川の氾濫を抑えることで新田開発を可能にし、領民の暮らしを守るインフラを整備していった。こうした民政への深い配慮が、信玄を“民に慕われる英雄”たらしめた所以といわれる。今も郷土の象徴としてその名は語り継がれている。
さらに、甲府への商人・職人の集住を促し、信玄の時代に城下町は南方へ大きく拡大。駿府や小田原と並び称される、東国有数の都市へと発展を遂げた。寺院の数も50を超え、善光寺に至っては市中に用地を確保できず、山を隔てた板垣郷に新たに建立されたほどといわれる。
甲府を起点とした交通網の整備にも余念がなく、往還沿いには荷継ぎ用の馬を配備した宿場町が次々と発達。経済流通と地域統治の両面から、信玄はまさに時代を先読みした「統制者」であり「経営者」であった。
そして、財力の面で大きな力となったのが金山であった。甲州の豊かな鉱山資源を巧みに開発し、その経済力をもとに軍備を整え、領国の拡大を推し進めていった。まさに“戦国総合プロデューサー”の名にふさわしい、資源活用の妙がここにある。
番組では、甲斐黄金村・湯之奥金山博物館を訪ね、その実像に迫るとともに、信玄が深く信仰したとされる善光寺如来の足跡もたどる。信玄の“経営力”と“精神性”を読み解く鍵が、そこには隠されている。
偉大な父・武田信玄の影を超えられたのか? 苦悩と矜持の人生を歩んだ男・武田勝頼

父が偉大過ぎた!?武田勝頼(イメージ図)
勝頼が武田家当主となった直後、高天神城を攻略。これは信玄ですら果たせなかった難攻不落の城であり、その戦果は多くの武将たちに衝撃を与えていった。
しかし、織田信長・徳川家康の連合軍と対した長篠の戦いでは、武田軍の騎馬隊が鉄砲隊の前に壊滅。ここから武田家は徐々に衰退の道を歩むことになる。劣勢を挽回すべく、勝頼は北条氏や上杉氏との同盟を模索し、外交面でも活路を見出そうと奔走した。
内政においては、信玄時代の施策を継承。商人や職人の城下集住策を進めるとともに、升や秤といった度量衡を統一して、生産・流通体制の整備に努めた。『甲陽軍鑑』によれば、城下の富裕商人の中には政治に影響を及ぼす者まで現れたとされている。
だが、度重なる戦いと離反の連鎖により、支配体制の維持も行き詰まり、勝頼は追い詰められていく。
織田・徳川連合軍に追われ、山中をさまよった武田勝頼が最期を迎えた地が景徳院である。天正10年(1582年)、甲斐・天目山を目指す途中、勝頼は嫡男・信勝、正室・北条夫人、家臣らとともにこの地で自刃。栄華を誇った武田氏はここに滅び、跡地には徳川家康の命により菩提を弔うための寺院が建立された。
今回、番組では、この歴史的な現場・景徳院を訪ね、武田家の滅亡を改めて見つめ直す。戦国を駆け抜けた武田家三代の軌跡から、現代にも通じる「教訓」をひも解いていく。
甲斐・武田氏のお膝元 山梨県甲府市で全編オールロケ!

番組ナビゲーター 伊東潤(歴史作家)、中西悠理(キャスター))
“敗北”から読み解く、真のリーダーシップとは? 伊東潤が独自の見解で武田三代の実像に迫る!
武田信虎は、乱国状態にあった甲斐を統一し、躑躅ヶ崎館を中心とする城下町・甲府の礎を築いた人物。暴君とされがちなその評価の裏に、いかなる先進的な都市計画と政治手腕があったのか――信虎が目指した“街づくり”の真意を探る。
続く武田信玄は、「風林火山」の旗印とともに戦国最強と謳われた武田軍団を率いた名将。わずか2度しか敗北を喫していないとされる信玄の強さの本質とは?一方で、嫡男・義信による予期せぬクーデターという家中の乱れが、武田家の崩壊を早めた可能性も。家督継承の難しさと、組織における信頼関係の危うさに迫る。
そして武田勝頼。偉大な父・信玄の急死により、四男という立場ながら家督を継承。父の方針を強引に引き継ぎ、領国の拡大を図るも、長篠の戦いで織田・徳川連合軍に惨敗。ここから武田家は急速に衰退し、やがて滅亡へと至る。その背後には、どのような戦略的・組織的な過ちがあったのか?
番組では、歴史作家・伊東潤が歴史学の視点から、三代にわたる武田家の栄光と失敗を読み解く。「敗北」こそが、次の時代への最大の学び――現代を生きる私たちに刺さる、リーダーシップと決断の本質に迫る必見の歴史情報番組となっている。

「武田三代SP 信虎・信玄・勝頼の足跡を訪ねて」場面写真

「武田三代SP 信虎・信玄・勝頼の足跡を訪ねて」場面写真

「武田三代SP 信虎・信玄・勝頼の足跡を訪ねて」場面写真

「武田三代SP 信虎・信玄・勝頼の足跡を訪ねて」場面写真

「武田三代SP 信虎・信玄・勝頼の足跡を訪ねて」場面写真

「武田三代SP 信虎・信玄・勝頼の足跡を訪ねて」場面写真
『偉人・敗北からの教訓』
7月19日(土)よる8時〜9時55分 BS11にて放送
番組ホームページ:https://www.bs11.jp/entertainment/ijin-haiboku-kyoukun/