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『キングダム 大将軍の帰還』大ヒット 漫画の実写映画化を次々と成功させる佐藤信介監督を大解剖
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佐藤信介監督(撮影:松尾夏樹) (C)ORICON NewS inc.
佐藤「PFF」には受賞監督を対象にしたスカラシップがあって、それで新作を作って劇場公開まで行けたらよかったんですが、僕はスカラシップの審査は落選してしまって、3年くらい自分の商業映画作品は撮れなかったんです。
――生活に困るようなことは…。
佐藤上映会に誘われることが多く、大学時代の4本目の自主映画『正門前行』(せいもんまえゆき)がテアトル新宿でレイトショー公開してもらえることになって、そうした自主映画を見てくださったプロデューサーから「何か一緒にやらないか」と声をかけてもらい、いろいろ企画を一緒に考えたり、そうした流れから、深夜ドラマの演出をしたり、「PFF」で賞をとった時の審査員だった市川準監督から脚本を依頼され、とにかく多忙でした。脚本家としては『東京夜曲』(97年)がデビュー作になったのですが、それ以来、行定勲監督の『ひまわり』(2000年)など、脚本の仕事はいろいろ入り、脚本家としては順調でした。ただ、自分の監督作品となると、なかなか商業映画デビューはできませんでした。
――はからずも物書きになりたかった…という夢は実現できたんですね。
佐藤自分以外の人が監督する作品の脚本は、監督の気持ちもわかるし、その思いを最大限に汲んで、自分なりのエッセンスも入れて、完成に導けた。そうした作品は、実際に公開されていきました。でも、いざ自分の作品となるとうまくいかなかった。何がダメなんだろう、と悩みましたね。そんな20代があって、30歳になるまでに1本でいいから自分の作品を撮らなければ、と焦りましたね。それで発想を変えて、脚本を依頼された作品の監督をやらせてもらえないか、とプロデューサーに頼んでみようと思ったんです。そうしたらちょうど監督がまだ決まっていないオリジナル脚本の依頼があって、プロデューサーに今までの自主映画などを見せて、アピールしたら、すんなり「いいよ」って。それで監督・脚本を務めさせてもらったのが『LOVE SONG』(01年)、商業映画デビュー作になりました。
佐藤いや、デビューはできたんですけど、自分がやりたいことをうまくアピールできない、という課題は残ったまま。「どういう映画を作りたいの?」と聞かれた時に、大学時代、自主映画で作っていたような日常の世界を超えて、もっと子どもの頃見ていたワクワクする映画を作りたい思いが頭をもたげて来ていました。子ども頃、しきりに空想していたような映画です。ただそれをうまく言葉で表現できなかった。「面白い映画を作りたい」と答えても、「それじゃあ、やりたいことがよくわからない」と返される。自分にとって面白い映画といえば、西部劇だったり、『インディ・ジョーンズ』みたいな活劇だったりするんだけど、「日本映画でそれは無理」となる。「エンタメがやりたい」と言っても、「そう言われてもね…」みたいなリアクションで。プロデューサーが乗ってくるような、これだ!という企画がうまく出せなくて。
あるプロデューサーからは、「怖いとか、笑えるとか、そういう感覚にフィットした作品を作りたいという話ならわかる」と言われたことがあって、そういうふうに映画を見ていなかったことに気づいたんですね。自分は映画で人を怖がらせたいのか、笑わせたいのか、何がしたいのか。考えた結果、わかりやすく言うと、自分は西部劇を見て育ってきたこともあってか、決闘の場面が見たい、見せたいんじゃないかと思ったんです。そういう中に興奮やドラマがある。思えば、自分の好きなどんな作品の中にも、闘う場面がありました。脚本でも必ず、AとBの対立を作り出し、話を転がしていました。でも、「西部劇」や「決闘」などと言ったところで、おそらくピンとこないだろう。わかりやすく伝えるには、何と言えばいいのか、いろいろ考えて見つけたキーワードが「アクション」だったんです。
当時90年代後半でしたが、「アクション」といえば香港映画のイメージが強く、日本ではまだあまり作られていなかった。そこで「次、何やる?」とプロデューサーに聞かれた時に、「アクション映画をやりたい」と答えたら、一発で響いたんですよ。
【佐藤】大きな変わり目になった作品です。それまで作っていた自主映画や『LOVE SONG』は日常の世界で完結する映画でしたし、脚本を担当した『東京夜曲』は大人のラブストーリーだったこともあって、手がける脚本作は、概ね、青春映画だったり、恋愛映画でした。それがいきなりSFアクション映画をオリジナルで作るなんてどうしちゃったの?とびっくりされた方も多かったのですが、初めて商業映画で自分がやってみたかったことに挑戦できた作品。反省点もありましたが、やっと一歩踏み出せたという感じだったんです。