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Jホラーブームから20年、『呪怨』清水崇が見た現在地「粗製乱造により自分たちで首を絞めた」
コロナ禍での『犬鳴村』のヒット、第2弾にはネットで流布した都市伝説も
清水崇 いやいや、ヒットしたからですね。ただ、それに気を良くして急いで続編を作ると、だいたいハズします(笑)。とはいえ、こんなコロナ禍ですぐ次を作らせてもらえるというのはありがたいこと。クオリティを下げないことと、『犬鳴村』と同じだと言われないようにと心がけました。
――『樹海村』という題材を選んだ理由は?
清水崇 『犬鳴村』の数字が良く、「第2弾、どんな村にしようか」という話になったときに、樹海というキーワードが出たんです。ただ、この題材には固定されたイメージがあるし、そもそも樹海には人が住んできた歴史がないので物語が紡げない。そこで、別の都市伝説である“コトリバコ”を取り入れて、かつて日本にあった悲しい過去の歴史“口減らし”の要素を入れようと考えました。また、僕自身が東日本大震災で感じた、自然の驚異、自分たちで手に負えないものを作ってしまう怖さなども表現したくて。そんなとき、このコロナの騒動が起こって、「やはり」と実感したんです。
――それら都市伝説はネットでも流布していたものでもありますが、作品を作るときに時代性は意識していますか?
清水崇 ホラー映画は若い人がターゲットになることが多いので、因果関係や人間関係のドラマを抜きに、その場限りの怖さ、わかりやすい怖さも大事です。でも、それだけでは映画として物足りないですよね。若い人が観るのならば、彼らが生活のツールとして使っているものに直結していたほうが怖さも伝わりやすい。だから、以前ならポケベル、携帯電話、今ならスマホやインターネットなどを入口にすることがありますね。
流行から20年、「『リング』の中田監督と『呪怨』の僕にまた持っていかれたらダメじゃないか」
清水崇 国内で盛り上がり、海外からもジャパニーズホラーと呼ばれるようになりましたが、やはり思うのは、調子に乗るとよくないということですね。ヒットしたからと言って、似たような作品を粗製乱造し、自分たちで首を絞めてしまった。これでは、観る人が減るのはもちろん、新しいクリエイターも育ってこないですよね。僕は一般人として『リング』を観て、影響を受けて『呪怨』を作ったんです。偉そうな言い方になってしまいますが、そこから先、中田さんや僕をアッと言わせるような若いセンスが出てくると思ったのですが、出てこなかった。
――ホラー映画界自体が停滞してしまった?
清水崇 常にあるのですが、停滞に見えるのは、一時の盛り上がりに製作側が調子に乗り過ぎてしまったためです。プロデューサー陣が人材や題材を見極める目を持っていない。20年経って、いま『事故物件 怖い間取り』とか『犬鳴村』がヒットしたと言われますが、結局作ったのは『リング』の中田監督と、『呪怨』の僕ですから。そんな監督たちにまた持っていかれたらダメじゃないか、という思いもありますね。
――今後を盛り上げる、生きのいい若手が出てきて欲しいですか?
清水崇 ホラー映画界の未来…なんて大それたことを言うつもりはないですが、純粋に面白い作品を観たいという思いはあります。いままで思いつかなかったような発想、描き方とかを観たいし、悔しがらせて欲しいですよね。海外だと『ミッドサマー』などのアリ・アスター監督なんかは、独特でいびつ。「この人、相当歪んでるな」というような感覚的表現は非常に面白いと思います。いまはスマホで簡単に映像を撮れる時代なので、僕らにはない発想で、とにかく新鮮なものを観たいという気持ちは強いです。
――才能を持つ若い人たちをすくいあげるような活動もされていますが、自分が脅かされるという危機感や悔しさはないのですか?
清水崇 もちろん「こんな発想は自分には思いつかない」という悔しい思いはありますが、嬉しくもなるし、活力に繋がります。作り手も役者も若い世代が時代を創るのは健全な事ですし、感性は世代の違いだけでなく、独自の個性だし、武器ですから。ただ悔しがっても何の創造性も生みません。後輩に嫉妬ばかりして、自分は自分は…という先輩も見てきたので嫌になったというのもありますね(笑)。放っておいても世に出てくる人もいますが、才能があっても社会性に欠けて出てこない人もいる。そういう人ほど、実は人には真似できない感覚を持っているので、どうにか多くの人に知って欲しいと思うし、自分も観たいので。