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東京ばな奈、お土産なのに全国コンビニ販売 コロナ禍で変わる“東京土産”の新たな可能性
かつて憧れの食材だったバナナをおみやげに サイズや価格に込めたこだわり
もともと“食に関する楽しいことをやる”というコンセプトの会社だったのですが、当時はまだ“ザ・東京みやげ”という感じのものが世に出ていなかったんです。それなら、自分たちで一から作ってみようという夢からスタートしました。
――当時、他のお土産品も作られていたのですか?
70年代からお菓子は手掛けていましたが、バブル真っ盛りだったので高級品や贈答品が中心でした。もっと身近で、おやつに食べられるようなお菓子も作りたいと、新たに土産品を開発することになりました。
――70〜80年代頃のおみやげの定番は、どのような感じだったのでしょうか?
それ以前は日本列島の移動に時間がかかる時代だったので、お土産は日持ちするものが定番でした。『赤福』さんや『萩の月』さんなど例外もありましたが、ほとんどが乾き菓子で日持ちするものが多かったですね。『東京ばな奈』が誕生する頃はもうだいぶ交通機関が発達していたので、おやつケーキのようなものでもいいのではないかという認識に変化していたんです。
東京には特産品があまりない中で、誰もが親しみやすいお菓子を作りたいという思いから、世代や性別を問わず愛されているバナナを選びました。社長は今70代なのですが、当時40代で、世代的にバナナは憧れの食材だったんです。小さい頃は舶来品で、風邪で寝込んだ時に特別に食べさせてもらえるようなものだったそうです。
――開発時、工夫された点やこだわった点はありますか?
当時はバナナ味のお菓子が少なく、あっても香料だけを使っているものがほとんどでした。バナナ本来のおいしさを味わえるものにしたいという思いが大きかったので、本物のバナナを使うことには一番こだわりました。ただ、バナナは加工したり、時間がたつと茶色になってしまうのが大変で。悩みましたが、最終的にはおいしさを優先して、フレッシュなバナナから作った本物の味にこだわり抜いて作りました。あとは、価格設定ですね。
――価格はどのようにして決められたのですか?
おみやげを買う時は、飛行機や新幹線の時間を気にして、時間がないことも多いと思ったんです。そこで、1000円札を出したら、1円お返しするだけでいいように、999円に設定にしました。サイズも、当時のおみやげにあまりなかったA4より少し小さいサイズに。出張時のブリーフケースにすっぽり入るように、運びやすさとコンパクトさを意識しました。
商品名に『東京〇〇』がつく土産品の先駆け 社内の反対を押し切ってまで採用した思い
女性やビジネスマンを中心に、当初からすごく反響をいただきました。期間限定のポップアップストアのような形で駅などに出店させていただいたのですが、初登場でそれまでの記録を塗り替えるような高い成績を出すこともありました。
――いろいろな東京土産がある中で、人気が出た理由はなぜだと思われますか?
クリームが入ったスポンジケーキが、どの年代にも愛していただけたのではないかと思います。子どもから、堅いものが食べられないご年配の方まで、どの年代にも楽しんでいただけた部分が大きかったです。
そうですね。昔は日持ちさせるパッケージの包装技術や衛生環境が整っていなかったので、フレッシュな生菓子を持ち運ぶことはなかなか難しくもありました。技術や環境が整うにつれて、そういったお土産が増えてきたのだと思います。あとは、みなさんに覚えていただけた『東京ばな奈』という名前もよかったのかなと思います。
――名前に込められた思いはありますか?
当時は、土産品でも『東京〇〇』という商品があまりなかったんです。弊社はそれまで高級なラインナップのお菓子ばかりだったので、そんなカッコ悪い名前でお客様が受け入れてくださるのかと、社内からも反対の声が挙がりました。それでも、時間がない中で買ってくださる時に、どんな物なのか考えさせてしまうよりは、分かりやすい方がいいのではと。“バナナを使った東京みやげなんだな”ということが、買う方にも受け取った方にもわかりやすくて親切なのでは、という思いから決まりました。