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ガンプラと歩んだ40年、ガンダムの生みの親・富野由悠季が語る「“おもちゃ屋スポンサーは敵”という被害妄想」

 日本アニメの金字塔、『機動戦士ガンダム』の第1話が1979年4月7日に放送されてから、本日で40周年を迎えた。長きにわたって愛され続けるガンダムシリーズにおいて、その礎となったのは1980年代前半のガンプラブームだ。では、当時の狂騒的な盛り上がりを、“ガンダムの生みの親”である富野由悠季氏はどう感じていたのか。そしてバンダイが見抜いた、ガンダムという“固有名詞の意味”とは? ガンダムとガンプラが共に歩んだ40年、その舞台裏を富野氏に聞いた。

ガンダムという“固有名詞の意味”を見落としたクローバーと、“世界観”を見抜いたバンダイ

――『機動戦士ガンダム』は40年にわたって愛されてきましたが、ガンプラの果たした役割もあったかと思います。

富野由悠季ガンプラの影響力は“決定的”です。もはや、プラモデルというジャンルさえも「ガンプラ」という名前に切り替えさせてしまったくらい、強力な“事業”になったということです。

――ガンプラを販売するバンダイは、いかにして“ガンプラ”を事業として成功させたのでしょうか。

富野由悠季ガンダムが放送された1970〜80年代、プラモデルを作るということは決して珍しいことではなかった。けれど、ガンダムのプラモデル商品化権を持っていたクローバーは、ガンダムという“固有名詞の意味”を見落としていた。これが決定的なミスです。そして、クローバーがプラモデルの商品化権を手放さざるを得なくなった時に、バンダイというキャラクターグッズで商売をやっていた人たちが、“ガンダムの持つ世界観”を見抜く力があったということなんです。

――それまでのロボットアニメと違い、ガンダムは特別な“世界観”を持っていた?

富野由悠季それまで巨大ロボットアニメといえば、主役ロボットと敵ロボットの1対1の対決というのが定番でした。けれど、バンダイは「あれ?ひょっとしたら20〜30と言わず、もっと多くの人型のプラモデルが作れるのではないか」ということに気づいたんです。ガンダムという固有名詞を利用して、ビジネスを広げようという目先の利くチームがバンダイにはあったのです。

――バンダイにはキャラクタービジネスで培ったノウハウがあったということでしょうか。

富野由悠季もちろんです。クローバーとの差、という部分では、バンダイにはキャラクターグッズ専門の事業を体感している人たちがいて、そういった人達がガンダムの事業としての広がりやマーケットとしての可能性を見抜く力があったのです。なおかつバンダイは、2006年に国内にバンダイホビーセンターというガンプラ工場みたいなものを新規で作ってしまう。「そこまでやる?」という投資や先見性を持っていたわけです。ガンダムを作っているだけのアニメスタッフにはその能力は一切ないわけです!よく、スポンサーとアニメ制作プロダクションの関係について、プロダクション側は「スポンサーに搾取されている」「利用されている」なんていう被害妄想があるのですが、それはまったくの間違いですね。

――バンダイだけがガンプラの恩恵を受けたのではないと。

富野由悠季バンダイにはガンダムのビジネスフィールドを拡大させていく、コンテンツを見抜く力がある。さらに、ガンプラを通じて、“ガンダムの世界観”をバンダイ傘下のガンダムグループが学習していった。そうした流れに対し、アニメ制作をする側が乗っかった、というのが現実なんです。つまり、バンダイとサンライズの関係は、おもちゃ屋のスポンサーとプロダクション、という単純な関係ではありません。かなり“入れ子構造”になったプロダクションワークがあったといことが、“ガンプラの成功”という枠を超えて、ガンダムビシネスという大きな成功に繋がったと言えます。

MSVの作品がアニメ『Zガンダム』に逆輸入、ガンダム史に及ぼしたガンプラの影響

――バンダイのプラモデルについて、富野監督は当初どんな思いがあったのでしょうか。

富野由悠季バンダイがガンダムのプラモデルに参入してきた時、僕は徹底的にクレームをつけました。それは「本気になってプラモデルを作るなら、タミヤに負けてもらっては困る」ということです。ミリタリーものを再現するときの技術論というのは、いわゆる“巨大ロボットもの”の発想と根本的に違うんです。だから、バンダイはタミヤが表現しているようなミリタリーもののディテールが全く出来ていなかったんです。ミリタリーもののリアリズムに負けないような作り方をしてほしいとお願いしました。

――当時、タミヤに負けていた部分というのは?

富野由悠季根本的な問題として金型の問題も承知していました。また、ガンプラがヒットし、模型業界で成功を収めたバンダイがダラしなくなってきているとも感じていました。こんなことを続けていたら飽きられるぞと。一般論的に言わせてもらいますが、機械的構造の再現をどう縮小して再現するのか、という造形を目指してくれなければ困るとお願いしました。

――ガンプラにおけるミリタリー要素といえば、MSV(モビルスーツバリエーション)の存在が頭に浮かびます。MSVがガンダムの世界観を広げ、リアリティを作品に与えたことで、ガンプラを“子ども向け”だと見ていた大人のモデラー層も取り込みました。また、MSVの作品がZガンダムに逆輸入されるなど、ガンプラがガンダム史において多大な影響を持つきっかけともなりました。

富野由悠季MSVの果たした役割はまったくその通りです。ただ、当時から20年、30年と経ったからそう見えるだけで、Zガンダムの頃までは、「こんなものじゃダメだ、ミリタリーものの精度に負けている」とバンダイさんに対してかなり言ってましたよ。バンダイの担当者に「それはギミックが違うので…」と言われれば「うるせーよ!」と言い返していました。いま、当時のスタッフは全員偉くなっているから、みんな忘れているだろうけど(笑)。

バンダイに伝えた“兵器”としての誤解「それはいまだに改善されていません」

――劇場版『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙』(1982年)からTVアニメ『機動戦士Zガンダム』(1985年)の放送まで3年間空白がありました。この間もガンプラはMSVを中心に展開されていました。そのクオリティに関して、どこかのタイミングで納得する部分はあったのでしょうか。

富野由悠季当初、ガンプラは可動部分の問題が多かったのですが、それでもシルエットはかなり向上しました。当時のMSVを全肯定はしませんが、「まあ許せる」というレベルにはなったと思います。人型兵器として“らしく”なったねと。それでも、宇宙ものの兵器として、「あなた達が絶対に誤解していることがあるんだけど」と伝えていたことがあります。そして、それはいまだに改善されていません。

――それはなんでしょうか?

富野由悠季MSのランドセルが小さすぎます。あれでは、宇宙空間で一週間とか10日間、パイロットが支援無しで生き延びなければならなくなった時、MS単体で活動を続けるのは難しいでしょう。

――アニメではあっても、兵士が命を託す兵器としてディテールにはこだわるべきだと言うのですね。そういった視点で言えば、現在富野監督が製作されている劇場版アニメ『ガンダム Gのレコンギスタ』に登場するMSには、コクピットにトイレが設置されています。宇宙空間での戦闘や移動を考えればコクピット内に長時間いるわけで、排泄問題は深刻です。こうした細かな描写やディテールの積み重ねが、ガンダムを“絵空事”じゃないリアルロボットアニメに育てたわけですね。

富野由悠季例えば、街の風景や街灯がそこに立っている意味、つまりは物事の形が持っている意味は、なんとなくではありません。それを認識し、考えることが必要です。ただのSFモノ、巨大ロボットものをやっている目線ではなく、アニメにおいても“文化論”を意識する必要があります。そしてそのことが、“ガンダムがここまで生き延びられた”理由のひとつと言えると思います。
◆「富野由悠季の世界」展
6月22日(土)より、福岡市美術館ほか5都市にて実施
富野監督のオープニングイベント参加決定!
詳細は公式HPにて→http://www.tomino-exhibition.com

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