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【連載7】SMAP 5人の役割を考察:木村拓哉 バッシングされるスーパースター、逃げない男の真実
どんな中傷にも、どんな報道にも、5人は無言を貫くことに決めた
自分のことを中傷されているわけではない。でも、真実かどうかもわからない伝聞や憶測で、自分が大切に思ってきた人たちが、まるで人が変わってしまったかのように語られていくことが、腹立たしくて、もどかしくて、悔しくてたまらない。一介のファンでさえこんなに胸が痛いのに、連日あることないこと書かれてしまうSMAP5人は、その一人歩きする報道を目にしたとき、どんなに苦しいことだろうか。
5人が解散を決意するまでの経緯はおそらく、報道されている内容よりももっとややこしくて生臭いはず。こればかりは推測になってしまうけれど、仮にも“ファンに夢を与える”ことを目的とするアイドルが、自らの口から語るのは憚られるような複雑な経緯なのだと思う。しかも、SMAPの5人は、解散を誰かのせいにしたり、ましてや誰かを悪者にすることなど望んではいない。だから、どんな悪意ある報道がなされたとしても、無視を決め込むことにしたのではないか。どんなバッシングにも、虚偽の報道にも、無言を貫くことに決めたのではないか。
中居とは違うやり方で、SMAPを守ろうとしているように見える
木村ほど、この平成の時代に、バッシングやアンチ、偏見に晒されたスターはいない。先日、“ビストロSMAP”(『SMAP×SMAP』内・フジテレビ系)に小池百合子東京都知事が出演した時は、都知事が少し木村のコメントを遮っただけで、「小池百合子に冷たくあしらわれた」と報道されてしまったほどだ。ネットというのは不思議なもので、好意より悪意の方が広がりやすい傾向がある。木村が試食の際に、「一番美味しい状態で食べて欲しい」と思うあまりに前のめりになることなど、20年前から見られた光景だし、実際に番組を観ていても、木村にだけ知事の態度が違ったなどということは一切なかった。色眼鏡で見る人の目には、そう映るのか。
不完全さの魅力、スーパースターだけにのしかかる重圧をはねのけてきた
誤解を恐れずに言えば、もし品行方正で、明るくて、いつも笑顔で、社交家で、背もスラリと高くて、あの顔立ちとあの声で、しかも超絶歌や芝居が上手かったとしたら、木村はここまでのスターになっていなかっただろう。アイドルに興味を持てない人たちは、何かにつけて欠点を指摘したがるけれど、その不完全さもまたアイドルの魅力である。“スペック”では語りつくせない魅力が、今も昔も木村拓哉という人にはあるし、スーパースターだけにのしかかる重圧を、ライブやドラマや映画の中の自分の“表現”で、軽々とはねのけてきたのが、木村拓哉という男なのだ。