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ORICON NEWS
【連載 1】SMAP解散がもたらした喪失感 終わらないことは“残酷”なのか?
待ちわびた25周年ライブの年は、解散騒動と共に幕を開けた
1991年9月9日にデビューしたSMAP。彼らのライブツアーといえば、ほとんどが夏だった。木村拓哉が結婚を発表した2000年のライブは秋から冬にかけてで、香取慎吾がNHK大河ドラマ『新撰組!』で1年間主役を務めた2004年はツアーを行わなかった。2年連続で国立競技場でのライブを行った翌年の2007年もツアーはなく、2008年以降は、“2年に1度”のペースが定着した。だとすれば、今年はツアーの年だった。しかも、デビュー25周年を迎える、記念すべき夏になるはずだった。
SMAPファン、通称“スマヲタ”は、ツアーのない年は“来年こそ、SMAPに会える!”と思って、次の夏を待ちわびる。2015年の夏、全国の、全世界のSMAPファンたちは、“来年はどんな夏になるんだろう?”と、期待に胸を膨らませていたに違いない。
でも年が明けて、その期待は、積み上げてきたワクワクは、ガラガラと音を立てて崩れ落ちた。突然の解散騒動。“解散騒動”という表現を使うことさえもためらわれてしまうような、伝聞と憶測ばかりが入り乱れたニュースが飛び交った。どうしてこんなことに? SMAPに、ジャニーズ事務所に何が起こったのか、真実は不透明なまま、5人の謝罪会見が放送された。SMAPファンはもちろん、一般視聴者でさえ、それまで一度も目にしたことのなかった“チーム感”の一切感じられないSMAPがそこにいた。胸がつぶれる思いがした。
それでも、メンバーの脱退や不祥事など、いくつものトラブルを乗り越えてきた彼らのことである。ステージに5人が揃えば、あのご来光のような輝きで、私たちの心を照らしてくれるはず。ついこの間まで、そう信じていた。夏だし、SMAPだし。彼らは絶対やってくれる、と。
“解散”の喪失感、それはSMAPがいかに大きな存在だったかを物語る
解散が発表されてからの“喪失感”は、途方もないものだった。つらいとき、悲しいとき、寂しいときにそっと手を差し伸べてくれる救世主がいなくなる。心の中である一角を占めていた絶対的な存在が。