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ORICON NEWS
【連載3】SMAPきょう25周年 記者が見た5人の真実 PART1
「いつ解散するのか、いつ売れなくなるのかって思ってた」
25年前のこの日、「Can’t Stop!!-LOVING-」という8センチのCDシングルで6人のSMAPはデビューした。雨の西武園ゆうえんち。赤と黄色の“ザ・アイドル”な衣装で元気いっぱいにパフォーマンスをする姿は、今もときどき“お宝映像”的にテレビで放送されている。当時、最年長の中居正広が19歳、最年少の香取慎吾はまだ14歳だった。
5年前の9月9日、デビューイベントが開かれたのと同じ西武園でSMAPのデビュー20周年イベントが開催された。アルバム『SMAP AID』の購入者から抽選で選ばれた1万人が招待され、イベントの後には、ファン全員とSMAPとの握手会もあった。中居はMCで、「20年前は、自分たちの今の姿を想像してなかった。いつ解散するのか、いつ売れなくなるのか、いつ歌えなくなるのかって思ってた」と語り、木村拓哉も、「(過去に解散説は)2年に1回はあった。いろんな経験をさせてもらった」とジョーク交じりに振り返っていた。
あれから5年、SMAPをめぐって、さらにいろんなことがあった。
とくに、今年1月の解散騒動から解散発表に至る7ヵ月の間(メンバーにとってはたぶんその前から)に起こった“いろんなこと”に関しては、不確定な情報が錯綜しすぎて、どうして5人が“解散”という結論を選ぶに至ったか、まったくもって不透明なままだ。おおまかな経緯は伝えられてはいるけれど、ファンはどうにも納得できない。まるで、これまでメンバーと主要なスタッフによって綿密に書き込まれていた台本が、突如ざっくりと、何度となく書き換えられ、しかもメンバーごとに書き換えた台本を渡すタイミングがズレてしまっていたために、最後はメンバーが「ショー・マスト・ゴー・オン」は不可能だと判断してしまったような、そんな理不尽さがつきまとうのである。
とはいえ、SMAPにとってもファンにとっても特別な9月9日という日に、私が主張したいのは、解散に対する不服や鬱憤ではない。長きにわたって彼らを見てきたファンが信じていること。それは、解散は“不仲”が原因ではないということだ。もともと、SMAPは自分たちが“仲良し”であることをアピールしたことなど一度もない。常にどこか張り詰めたテンションを保っていることが、彼らの美学でありスター性だと思っていたし、だからこそ、一緒に仕事をするときは特別な高揚感があった。“撮られること”と“話すこと”に集中しているSMAPを見るだけでも、彼らの中の見えない絆を感じることができた。だからこそ、25周年の記念日に、彼らの“SMAP愛”がどんなに誠実で美しいかを、どんなに純粋で奥ゆかしいかを、綴っておきたいのである。
オーラと迫力を感じる撮影現場、5人の“花束”リレーも
「さかさまの空」というシングルのプロモーションでの取材は、そんなに大きくはない撮影スタジオだった。フォトグラファーが「空を見上げる感じで」とオーダーすると、全員が一斉に上を見た。現実に、そこにあるのは天井である。でも、5人はたぶん同じ色の、同じ彩度の空を心の目に映し出していた。彼らが上を見上げた瞬間、まるでそのスタジオが屋外に空間移動したように、5人の頭上に薄青い空が広がったような錯覚があった。
また別の撮影で、一つの花束をプレゼントするようにリレー形式でメンバーに順番に手渡してもらったとき、最後に木村が差し出した花束を、中居がノールックで受け取ったこともある。中居から稲垣吾郎、稲垣から草なぎ剛、草なぎから香取慎吾、香取から木村。それぞれ、渡す場面はフォトグラファーがきっちり押さえていたのだけれど、木村から中居の時に限って、ものすごいスピードで木村は中居に花束を差し出し、気付いた時にはもう花束は中居の手にあった。どうして、あのタイミングがわかったんだろう。どうして、位置がわかったんだろう。どちらの撮影でも、短いイリュージョンを見ているような気分になった。