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注目芸人・ANZEN漫才インタビュー「“第2のウド鈴木”みやぞん&“俳優芸人”あらぽん、凸凹コンビを徹底解剖」
憧れのとんねるずと共演、石橋貴明には収録後もイジってもらえた
あらぽん みやぞんは、すごく変わったんじゃない?
みやぞん うん、そうかも〜! 地元でも声を掛けてもられるようになったし。
あらぽん 本当にうれしいね。
みやぞん 昔、出身地の東京・足立区に「東京マリン」というレジャープールがありまして、夏になるとよくとんねるずさんが番組のロケで来ていたんです。プールの近くまで行って「見えるかな?」とかやったりして、お2人のことは昔から大好きだったので、出演させてもらった時はフワフワ足が浮いていました。
あらぽん 不思議な感覚だったよね。目の前で行われていることすべてが、テレビの中のことのようで…。そういえば収録が終わった後、貴明さんがわざわざみやぞんに話しかけに来てくれたんだよね。
みやぞん そうなんです。「キャラがいい」って!
あらぽん その時の放送では、みやぞんが「え?分かんない」を連発していたんですけど、それをすごく楽しんでくれていたみたいで、「お前、本当に何も分かんないのかよ?」って裏でもイジってくださっていて。
みやぞん 「遠投はどれくらいできるの?」とか、一緒に野球の話もさせてもらいました。僕は90メートルくらいなんですけど、貴明さんは「俺は昔100メートルくらい飛ばしてたぜ!」って。
あらぽん ありましたね(笑)。実は収録中はもっといろんなハプニングがあったんですよ(笑)
――みやぞんさんのことは、伊集院光さんも結構前から自身のラジオ『深夜の馬鹿力』(TBSラジオ)で“おもしろ脳”などと紹介していたり、南海キャンディーズの山里亮太さんがSNSで「とんでもなく面白い」と絶賛していらっしゃったりしていました。
あらぽん それにも感謝しかないです。
みやぞん 本当に恩を感じています。
――ネットなどには、「スタッフさんが扱いに困りそうなキャラ」という指摘もありました(笑)。実際のところどうですか?
みやぞん 分かんない…。でも確かに、ちょっと困ってたかもしんない(笑)
あらぽん 打ち合わせは、基本的に僕が担当しています。みやぞんには何も考えさせないで本番に放り込んだ方が、あの(天然の)感じが出るなと思っていて。僕は彼の持ち味を消したくないんですよね。
結成当時はスーツ姿で“正統派”漫才を披露していた
あらぽん そう、なんだかんだ1、2歳のころからずっと一緒なんですよね。
みやぞん 保育園、小学、中学と同じ学校なんだよね。…あの、アレ聞きたいですよね? どっちが「コンビ組もう」って言い始めたのか?とか。
あらぽん え? それ、自分から聞く?(笑)
――(笑)ぜひ、お聞かせください!
みやぞん (ドヤ顔で)あらぽんからです!
あらぽん 中3の卒業文集で、将来の夢を書くところに僕が「みやぞんとお笑いコンビを組む」と書いたんです。その時、みやぞんは何を書こうか迷っていたので、「俺とお笑いを組むって書け!」と(笑)。そこがコンビとしての始まりなのかな?
あらぽん 高校時代は、好きなことをやって遊びまくりました(笑)。みやぞんは、劇団やバンド。僕は友人のラッパーたちと遊んで(笑)。芸人として初めて舞台に立ったのは、高校卒業後の18歳。みやぞんのお姉ちゃんがバンド活動をしていたので、その前説をやらせてもらったんです。僕が30分ぐらいの漫才ネタを作って、バンドの音合せの最中に漫才を披露するっていうスタイルで、この生活を4年間ほど続けました。
――その頃、みやぞんさんのギターは?
みやぞん 私生活では弾いていましたが、ネタの時はまだ持っていませんでした。
あらぽん ギターを始めたのは、高校の時に複雑骨折をしたのがきっかけだったんだよね。
みやぞん そう、何もないところで転んで(笑)。暇だったから「ギターを始めてみようかな」って。
――当時は、いわゆる正統派の漫才をやっていたんですか?
あらぽん そうです。シュッとしたスーツを着て、髪型もキメて。
みやぞん あらぽんの作る漫才は構成が複雑で。ミルフィーユのように緻密に畳み掛けていくトークで、秒刻みのテンポで演じていました。
あらぽん 練習はよく荒川の土手でやっていました。でも、僕たちが漫才をやっていると喧嘩しているように見えるらしく、お巡りさんが見廻りに来て職務質問をされたこともあります(笑)。身分を明かした後、ネタを見てもらったんですけど、その時ちょうど練習していたネタのタイトルは「痴漢」でした(笑)