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没後30年の坂本九、輝きを失わない歌の魅力とは
意外にも(!?)初期ドリフターズメンバーだった
坂本九さんの大ヒット曲「上を向いて歩こう」(2011年7月13日発売)
異国で愛された「上を向いて歩こう」はその後も、1981年にアメリカのR&Bバンドのテイスト・オブ・ハニーがカバーし(「Sukiyaki ‘81」)ビルボードのTOP3入り、95年にはR&Bボーカルグループの4P.M.がカバーしやはりビルボードのTOP10入り(8位)を達成している。ポップな中にもセンチメンタルな詩情を漂わせるメロディラインが言葉の壁を越えて支持された代表的な例と言えるだろう。
『甲子園』入場行進曲で史上最多となる6回起用
同じ63年の末には「明日があるさ」も発売されている。2001年にウルフルズと吉本興業のタレントによるユニット・Re:Japanによる同曲のカバーが浸透したことは記憶に新しいはずだ。このほかにも、「幸せなら手をたたこう」「涙くんさよなら」など、現在でもメロディを耳にする機会の多い楽曲を数多く発表している。また、1962年の「上を向いて歩こう」を筆頭に『選抜高等学校野球大会入場行進曲』では、史上最多の6回(ソロ以外も含む)起用されている。
不況や震災……時代が必要とする時、包み込んでくれる坂本九さんの歌声
もちろん、歌詞とメロディだけでは人々の心を動かすことは容易ではない。そこに坂本九という天賦の才能を持った歌手の歌声が加わったからこそ、これらの作品に「命」が宿ったというべきだろう。母親から小唄などの邦楽を学び、高校時代にエルヴィス・プレスリーに憧れてロカビリーの道を志すようになる。独特のしゃくりあげるような歌唱法はそうした様々な音楽との出会いから生み出されたものと言えるだろう。その個性的な歌声と、常に笑顔を絶やさない親しみやすさが、曲のポテンシャルを一気に引き上げたと見ていいのではないだろうか。
「上を向いて歩こう」がヒットした60年代初頭は、敗戦の傷をようやく乗り越え、目の前に迫った東京オリンピックに向けて日本全体ががむしゃらに前へ進もうとしていた時代。「明日があるさ」がカバーされた21世紀の始まりは、バブル崩壊後の日本が不況にあえいでいた時代。「見上げてごらん夜の星を」が様々な芸能人の歌声のリレーによってCMから流れたのは、東日本大震災のもたらした衝撃によって日本全体が深く沈み込んでいた時期。すなわち、日本がもがき苦しんでいる時に坂本九さんの歌は、常に人々に寄り添い、包み込むように励ましていたことになる。日本人の心の「応援歌」、それが坂本九さんの歌であり、時代が必要とする時にいつでもみんなを支えてくれるのが坂本九さんの歌声なのである。
(文:田井裕規)