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2003年10月11日に千葉・幕張メッセで行われたロックバンド、ミッシェル・ガン・エレファントの解散ライブを映画化した『ミッシェル・ガン・エレファント“THEE MOVIE”-LAST HEAVEN 031011-』の完成披露試写会が14日、東京・シネセゾン渋谷であった。上映前には元メンバーと親交の深い歌手のちわきまゆみ、音楽雑誌『MUSICA』編集長の鹿野淳がトークショーを行い、90年代のロックシーンや彼らの最後の日を再び振り返った。
ちわきはミッシェルとの思い出を語りながら「今回の映画を観て、表情をライブでは観ていなかったから、こういう顔を4人はしていたんだ…と思って胸を打たれました」。鹿野氏は「本編が終わったところで、あのアベ君が、あの鬼の形相のアベ君が、子供のような顔をして『ありがとう』と言う。いいもの見せてもらったと思った。ロックを聴いていてよかったと心の底から思いました」と感想を語った。
ミッシェルは、チバユウスケ(Vo)、故・アベフトシ(G)、ウエノコウジ(B)、クハラカズユキ(Dr)の4人組ロックバンドで、1996年にシングル「世界の終わり」でメジャーデビュー。イギリスやアメリカで海外公演を成功させるなど、エネルギッシュなライブは彼らの真骨頂だったが、人気絶頂期のなか解散という道を選んだ。メンバー4人と親交の深かかった鹿野氏は「再結成を望む声が大きいと絶対やらないタイプだと思っていた」。ちわきは「残念ながら、もう再結成はできないけれど…」としんみりとさせた。
今回のラストライブの映画化は、今年7月22日にアベさんが42歳の若さで急逝した訃報がきっかけで立ち上がった企画。わずか3ヶ月ほどで制作し、劇場公開にこぎつけた。鹿野氏は「ミュージシャンは自分が死んでも、音源は死なないと思っているんじゃないかな。自分が作った音楽を、自分が死んだ後も感じ取ってくれればいいな、と願うのがミュージシャンなんじゃないかと。バトンをつないでいくのはファンのみんなであり、音楽好きの生業だと思う」と話していた。
映画『ミッシェル・ガン・エレファント“THEE MOVIE”-LAST HEAVEN 031011-』は、12月19日(土)より同劇場ほかで全国順次公開。
2003年10月11日に千葉・幕張メッセで行われたロックバンド、ミッシェル・ガン・エレファントの解散ライブを映画化した『ミッシェル・ガン・エレファント“THEE MOVIE”-LAST HEAVEN 031011-』の完成披露試写会が14日、東京・シネセゾン渋谷であった。上映前には元メンバーと親交の深い歌手のちわきまゆみ、音楽雑誌『MUSICA』編集長の鹿野淳がトークショーを行い、90年代のロックシーンや彼らの最後の日を再び振り返った。
ちわきはミッシェルとの思い出を語りながら「今回の映画を観て、表情をライブでは観ていなかったから、こういう顔を4人はしていたんだ…と思って胸を打たれました」。鹿野氏は「本編が終わったところで、あのアベ君が、あの鬼の形相のアベ君が、子供のような顔をして『ありがとう』と言う。いいもの見せてもらったと思った。ロックを聴いていてよかったと心の底から思いました」と感想を語った。
ミッシェルは、チバユウスケ(Vo)、故・アベフトシ(G)、ウエノコウジ(B)、クハラカズユキ(Dr)の4人組ロックバンドで、1996年にシングル「世界の終わり」でメジャーデビュー。イギリスやアメリカで海外公演を成功させるなど、エネルギッシュなライブは彼らの真骨頂だったが、人気絶頂期のなか解散という道を選んだ。メンバー4人と親交の深かかった鹿野氏は「再結成を望む声が大きいと絶対やらないタイプだと思っていた」。ちわきは「残念ながら、もう再結成はできないけれど…」としんみりとさせた。
今回のラストライブの映画化は、今年7月22日にアベさんが42歳の若さで急逝した訃報がきっかけで立ち上がった企画。わずか3ヶ月ほどで制作し、劇場公開にこぎつけた。鹿野氏は「ミュージシャンは自分が死んでも、音源は死なないと思っているんじゃないかな。自分が作った音楽を、自分が死んだ後も感じ取ってくれればいいな、と願うのがミュージシャンなんじゃないかと。バトンをつないでいくのはファンのみんなであり、音楽好きの生業だと思う」と話していた。
映画『ミッシェル・ガン・エレファント“THEE MOVIE”-LAST HEAVEN 031011-』は、12月19日(土)より同劇場ほかで全国順次公開。
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2009/12/15