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90年代ファッション“振興ブランド”が「裏原」に集まった理由 「賃料月20万」「Macで作ったグラフィックをプリント」

 スニーカーをあらゆる側面から解説した『スニーカー学』(KADOKAWA刊)が発売された。著者は、スニーカーショップ「atmos」創設者で、スニーカービジネスの表と裏を知り尽くす業界のキーパーソンとしても知られる本明秀文氏。二次流通、プレ値、SNS消費 インバウンド 投資 NFT 真贋鑑定 コラボ テック系といったキーワードをもとに、スニーカーブームのからくりや、「投資財」としての役割なども解説する。同書から、90年代にストリートブランドが「裏原」に集まった理由を解説した内容を、一部抜粋して紹介する。

90年代のファッション動向を解説した「atmos」創設者の本明秀文氏

90年代のファッション動向を解説した「atmos」創設者の本明秀文氏

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■若者発の新興ブランドが、90年代の裏原に集った理由

 明治神宮の門前町として発達してきた原宿・表参道。明治神宮が造営された翌年の1921年に植えられたけやき並木は樹齢80年を優に超え、その木漏れ日のなかを散歩しながらハイブランドのウィンドーショッピングができるのは、他の都市にはない特別な買い物体験と言えます。

 では、80年代から90年代の若者たちが服を買っていたのはどこかと言えば、そこから5分ほど路地を歩いた奥のエリアの裏原。まず90年にオープンした「グッドイナフ」を皮切りに93年にNIGO氏と高橋盾氏が共同で開いた「ノーウェア」、94年に滝沢伸介氏の「ネイバーフッド」と、次々にストリートウェアのショップがオープン。また、僕も95年にキャットストリート沿いのジャンクヤードにスニーカーの並行輸入(※)店である「チャプター」をオープンしました。

 裏原は表参道と違い、この場所にしか存在できない変わり者の街であり、おしゃれな場所というよりも異端の街というイメージでした。

 これほどまで今に知られるブランドやショップが裏原に集まった理由が、その一帯は表参道や明治通り沿いといったメインストリートと比べて賃料が安かったこと。実際に僕がジャンクヤードに2.7坪のテナントを借りた時は既に裏原ブームが起こっている最中でしたが、それでも保証金20万円に賃料月20
万と東京のなかで最も注目が集まっているファッションタウンとしては破格の賃料でした。

 そしてもうひとつ、若者がブランドを立ち上げることができた理由として外せないのが、家庭用パーソナルコンピューターの普及です。84年に「アップル」が初代Macintoshを発売して以降、95年に発売された「マイクロソフト」のOSであるウィンドウズ95、98年に登場したiMacと、より高性能で安価なパソコンやOSが普及するにつれてデザインやグラフィックの制作が簡単になると、裏原ブランドの数も増えていきました。

 そもそも従来の服作りは、まず工場に生産を依頼するための仕様書を書いてサンプルを作って……と、アパレル企業での企画生産の知識や経験が無ければできないことでした。しかし、裏原ブランドに限らず多くのストリートファッションのブランドにおいてよく見られる立ち上げ当初の製作手法は、ありもののTシャツを探してきて、それにMacで作ったグラフィックをプリントし、タグを付け替えて自分たちのブランドのアイテムとして売り出すといった、極めてインディーズなもの。文化服装学院などの学校やスタイリストとして働くなどして服飾について学んだ経験はあるものの、企画生産の経験がほとんど無い裏原ブランドのデザイナーたちでもアパレル生産ができる社会がやってきたのです。

 また、当時の消費者の目は縫製の質やボディのシルエットよりも、どのブランドの服を着ているかという点に注がれていたこともあって、アイコンになるキャラクターやロゴを大きくプリントしたアイテムが好まれたことも、ストリートブランドにとって追い風になりました。

 そして、ハイプスニーカーを語る上で欠かせないコラボレーションという手法を根付かせたのも、裏原カルチャーの功績のひとつです。それまではティファニーのロゴ入りロレックスなどごくわずかな例を除いて、異なるブランド同士が一緒にモノづくりをおこなうことは非常に稀なことでした。

 しかし裏原ブランドのデザイナーたちは裏原という地縁で結ばれた人脈によって、それぞれのブランドが得意とするデザインやアイテムを持ち寄って、積極的にコラボレーションをおこなっていった。その結果、お互いの強みを活かしつつ新しい発想でのモノ作りが可能になっただけでなく、裏原というカテゴリーのなかに組み込まれていくことでお互いのブランドの価値も高まっていったのです。言い換えると、インディーズ的な立場だったからこそ、裏原のデザイナーたちは既成概念に囚われることなく、アパレルにおける常識をぶち壊してみせたと言えるでしょう。

 もちろん、ブランドが大きくなるに従ってデザイナーたちも経験を積み、裏原ブームが到来してからは企画生産の経験があるスタッフが参加するなどして、本当の意味でオリジナルで洗練されたアイテムを作るようになっていきました。僕も並行輸入店の「チャプター」時代は家族で店番をやって、アメリカでの買い付けの際は何十足ものスニーカーをハンドキャリーで抱えて帰っていましたが、最終的に「アトモス」で正規販売店としてメーカーと直接取引をするようになりました。当時の裏原には実績の無い若者が意欲ひとつでファッションビジネスに参入できる夢が広がっていた、と言えるでしょう。

※並行輸入…メーカーと輸入販売契約を結ばずに海外から輸入・販売すること。商品自体は基本的には正規品と同一だが、修理などの保証が受けられないことも多い

■本明秀文プロフィール
atmos創設者。元Foot Locker atmos Japan最高経営責任者。1968年生まれ。90年代初頭より、米国フィラデルフィアの大学に通いながらスニーカー収集に情熱を注ぐ。商社勤務を経て、1996年に原宿で「CHAPTER」をオープン。2000年に「atmos」を開き、独自のディレクションが国内外で名を轟かせ、ニューヨーク店をはじめ海外13店舗を含む45店舗に拡大。2021年8月、米国の小売大手「Foot Locker」が約400億円で買収を発表。スニーカービジネスの表と裏を知り尽くす業界のキーパーソン。

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  • 90年代のファッション動向を解説した「atmos」創設者の本明秀文氏
  • 『NIKE AIR MAX 95 OG イエローグラデ』
  • 『NIKE AIR MAX 95 OG greedy』
  • 『スニーカー学』(KADOKAWA刊)

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