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木村拓哉、広末涼子ら火付け役 90年代スニーカーブームが作られた「4つの要素」【スニーカー解説】

 スニーカーをあらゆる側面から解説した『スニーカー学』(KADOKAWA刊)が発売された。著者は、スニーカーショップ「atmos」創設者で、スニーカービジネスの表と裏を知り尽くす業界のキーパーソンとしても知られる本明秀文氏。二次流通、プレ値、SNS消費 インバウンド 投資 NFT 真贋鑑定 コラボ テック系といったキーワードをもとに、スニーカーブームのからくりや、「投資財」としての役割なども解説する。同書から、スニーカーブームが起こる4つの要素を解説した内容を、一部抜粋して紹介する。

『NIKE AIR MAX 95 OG イエローグラデ』

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■マニアからはじまったスニーカーブーム

 2014年以降のスニーカーブームを理解するためには、まずは日本で最初に起こった第一次スニーカーブームの背景を知ることが必要です。

 裏原が盛り上がっていた90年代半ばは、空前の古着ブームでもありました。『Boon』や『asAyan』、『Hot-Dog PRESS』など若者向けの雑誌では毎号のようにリーバイス501の年代ごとのディテール解説の記事が組まれ、他人とは違うジーンズを穿くことが一種のステイタスシンボルでもありました。

 人気が高まるとともに不良在庫としてアメ横や地方のショップで眠っていた古い501があっという間に底をつくと、すぐに日本人バイヤーは海外に進出しはじめます。毎週のように日本人がカリフォルニアのローズボウル(※)で古ぼけたジーンズを買い漁りまくったことでアメリカ人もやっとその価値に気がつき、仕入れ値(ね)も高騰していきました。

 価格があがれば需要が下がるのは商売の常識ですが、ヴィンテージジーンズはその例には当てはまりませんでした。ヴィンテージジーンズに限っては、価格が上がれば上がるほど憧れのアイテムとして需要を増していったのです。

 当時20万円も出せば買えた501XXは、今ではその希少価値と世界的な人気から、デッドストック(余剰在庫)なら数百万円は出さないと買えないほど高騰しました。確かにヴィンテージジーンズは生地の風合いや色落ちの仕方やシルエットなど、現行品には無い特徴を備えています。しかし、興味の無い人からすれば、気づかないほどの違いしかありません。ヴィンテージスニーカーも同様で、「コンバース」のチャックテーラー(※)のヒールパッチのデザインやステッチの僅かな違いで年代が分けられ、値段に大きな差が生まれています。

 では、なぜ日本人が最初にヴィンテージピースに僅かな違いに面白さを見出し、価値を付加することができたのか。僕はその根底に茶の湯の思想と美学があると考えています。かつて武将への褒賞(ほうしょう)として与える土地に限りがあることに気づいた織田信長が、千利休を中心とした文化人を利用して茶の湯を権威づけし、茶碗ひとつを一国に値するほどの価値へと変えて見せたのが、茶道部が価値を持つようになったきっかけです。ただし、古い茶碗や舶来物なら何でも価値を持つかと言えば、そうではない。たとえば井戸茶碗なら釉調(ゆうちょう)や轆轤目(ろくろめ)、梅花皮(かいらぎ)、竹の節高台(こうだい)に……と、その形状や見た目に様々な約束事が決められており、それらに合致するごく僅かなものこそ価値がある、とされていました。それはまさに「60〜70年代のチャックテーラーは当て布にサイドステッチがついて三つ星ラベルで……」と、雑誌や古着屋の店員が細かく解説していたことを思い起こさせます。

 しかし戦国時代に一国と並ぶ価値を持っていた井戸茶碗も元を辿れば朝鮮半島の庶民が使っていた単なる日用品であるように、今では数百万円の価格で取引されているジーンズは昔のアメリカ人が仕事やスポーツの時に穿いていた大量生産品の普段着でしかありません。ましてや90年代に誕生したハイテクスニーカーなど、たかだか40年にも満たない歴史しかありません。

 ただの茶碗や普段着がその誕生当初の想定を超えた価値を持つには、モノそのものに魅力があるだけではダメです。普通の人が手に入れられない希少性を備えていること。次に、千利休のような文化人や雑誌といった魅力や価値を解説する火付け役が存在すること。そして、戦国武将や芸能人のようなトレンドリーダーが高額を払ってでも競って手に入れること。最後に、それを見せびらかすための茶会のような場所があることという4つの要素を満たすことが必要です。

 世界で初めてスニーカーに付加価値を付けたのは、間違いなく90年代の裏原に集まったスニーカーフリークでした。そして、そこに面白さを感じたスタイリストたちが、木村拓哉や広末涼子など当時を代表する有名人がメディアに登場する際の衣装にスニーカーを取り入れていったことでブームが作られていきました。世界的な規模で盛り上がったハイプスニーカーブームは「ナイキ」をはじめとした企業のマーケティング努力によるところが大きいですが、その戦略はまさにこの4つの特徴を兼ね備える形を展開されました。つまりそれは、裏原で巻き起こった第一次スニーカーブームを学び、明らかに意識した上でおこなわれている証拠なのです。

※ローズボウル…毎月第2日曜日にカリフォルニア州オレンジカウンティで開催されるフリーマーケット。現在でも古着の仕入れ先として世界中からバイヤーが集まる。

※チャックテーラー…1920年代に登場した、コンバースを象徴する名作スニーカー。アメリカのバスケットボールプレイヤーであるチャック・テイラーの名前が冠された。

■本明秀文プロフィール
atmos創設者。元Foot Locker atmos Japan最高経営責任者。1968年生まれ。90年代初頭より、米国フィラデルフィアの大学に通いながらスニーカー収集に情熱を注ぐ。商社勤務を経て、1996年に原宿で「CHAPTER」をオープン。2000年に「atmos」を開き、独自のディレクションが国内外で名を轟かせ、ニューヨーク店をはじめ海外13店舗を含む45店舗に拡大。2021年8月、米国の小売大手「Foot Locker」が約400億円で買収を発表。スニーカービジネスの表と裏を知り尽くす業界のキーパーソン。

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  1. 1. 木村拓哉、広末涼子ら火付け役 90年代スニーカーブームが作られた「4つの要素」【スニーカー解説】
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  • スニーカーショップ「atmos」創設者の本明秀文氏
  • 『スニーカー学』(KADOKAWA刊)

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