北野武監督の映画論「単なるエンタテインメント。考えるのは楽しませることだけ」
無常の美学を封印したヤクザ・エンタテインメント
北野武1作目の『アウトレイジ』(10年)で1本撮ったら終わりだと思ってたんだけど、最後の最後に会長を裏切って、若頭が頭になったときに、どうもこのまま終わったら嫌な感じがして。このグループ(暴力団組織の山王会)は絶対にまた、裏切られて潰されるなと思って。そうそそのかしたのは警察なんだけど。その刑事を、2作目の『アウトレイジ ビヨンド』(12年)で主人公の大友(ビートたけし)が殺してしまう。あまりにも余韻を残してしまったので、こりゃ3本目を作らなきゃしょうがないなって。
――惹句に偽りなし、今回も登場するのは“悪”ばかり。シリーズ最大スケールとなる日本と韓国を舞台に、チャチな面子や利権をめぐり、ベテラン役者陣が繰り広げる裏切り、駆け引き、騙し合い。前作に続き登板した花菱会の西野(西田敏行)と中田(塩見三省)は、若頭と若頭補佐に出世。年月を重ね、すごみの増した演技に圧倒されました。
北野武本番が始まったら、一気にいくからね。大したもんだなあと思った。やっぱり根性が違うよ。(10年ぶりの北野映画出演となる)大杉(漣)さんも、技量をわかった上で役にあてはめてるから、ほとんどNGがない。キレイにセリフが言えなくても、そういう芝居に見える。実際に人がしゃべるとき、全部はっきりした言葉で、きっちり話すことなんてないし。なるべく一発本番の緊張感で、テンションを上げて撮っていったんだ。その方がおもしろいから。
北野武言葉の罵り合いでやり合うところに、機関銃をぶっ放すシーンが入るのもどうかなとは思ったんだけど、最後だから、打ち上げ花火っぽく華々しくやるかって。ドテッ、ドテッと人が倒れていくのも生々しいからハイスピードで撮った。あのシーンは、映像的にはどうしても屋上とかハレーションがある感じになるんだけど、『ソナチネ』(93年)のイメージを外すためにもう少し乾いた感じでやろうとしたんだ。最後に大友が、ヤクザ映画らしく、みんな撃ち殺してやろうかってくらいで。
――古い殻を脱ぎ捨て、新しいことにチャレンジするのが北野流。本シリーズでは、海外で絶賛された無常の美学を残しつつ、痛快なヤクザ・エンタテインメントに徹しています。
北野武どこの国でもそうだけど、“悪”はエンタテインメントの対象になる。でも今回はとくに、ヤクザというより、拳銃と暴力をなくしたら「普通の社会だな、これ」っていうのを描こうとして。ヤクザだから「あのヤロー、殺せ!」ってなるけど、「うまく取り立ててやるから、あいつをなんとかしろ」っていう上とのやりとりは、普通の企業でもある。国会も同じ。それをヤクザで表現しただけ。今はそういう時代だと思う。
◆筋を通した結果の末路に一般社会にも通じるアイロニー
北野武張グループは最初「うちはヤクザじゃないんで」って筋の通し方をするんだけど、実はそっちの方がヤクザ的だったという(笑)。張会長の子分を殺した、花菱会の花田(ピエール瀧)が謝りに来たとき、「金持って帰れ!」っていうのは、昔からうちの近所ではあって。金を持って謝りに来た相手に対して、その金額が気に入らなかったら、同額分を足して「これ持って帰って、親父にちゃんと聞いてこい!」と突き返してたんだ。「こんな金がお詫びのつもりか?普通はこれくらい持ってくるだろう!」って意味なんだけど、はっきり「金が少ない」とは言わないんだよね、下品だから。それをやられて、お金が増えたって喜ぶ花田のバカさ加減がおもしろいと思ってね。
――礼儀知らずの花田の一件を契機に、これまでの因縁に決着をつけるべく、大友が韓国から帰国するというわけですね。
北野武大友は昔風のヤクザだから。裏切りも何も一切せず、単純で、自分の親分や兄弟分がやられれば復讐するし、不義理をしたら指を詰めて謝りに行く。今回も、世話になってる張会長が狙われたんだから、自分なりの考えで、やり返しに行かなきゃって。それがヤクザの仁義だから。シリーズ3作通して、めちゃくちゃ残酷なことをしてきた大友が、最後にヤクザらしく、自分でけじめをつけるエンディングで、うまく収まったなって思う。
北野武花菱会とかいろいろな組織が裏であれこれと画策するなか、大友だけは相変わらず、昔ながらに世話になった人への義理を通す。それを美学とも思わず、当たり前のこととして、ただ単純に義理を果たすっていうか。要するに成り上がることを知らないバカなんだけど。何も色のついていないキャンバスみたいなもんだよね。実際にはいろいろな色が塗りたくってあるから見えないんだけど、たまに白いところが見えるみたいな感じかな。
――裏切りがバレれば悪、バレなければOKという、正義の定義さえ曖昧な組織のなかで、大友然り、警視庁の繁田刑事(松重豊)然り、組織の末端にいる者ほど筋を通した結果、そこから離脱せざるを得なくなる構図にも、ある種のアイロニーを感じます。
北野武トップに上がるためには、責任は取らない。自分のせいでも人のせいにするってことは多いから。大会社の社長も、官僚も、みんなそうだよね。総理大臣を連れてきたら、これよりスケールのでかい映画になると思うよ(笑)。
――スケールだけ大きくなっても、大友がいないと全然笑えないですよ。
北野武そこに入ると、大友は全然ダメだな(笑)。
今は新作の準備をしたい。舞台劇にもなる脚本も構想中?
北野武映画って、単なるエンタテインメントだから。観客からお金を取って観せるんだから、考えるのは楽しませることだけ。社会に対する何とかなんて、後からつけた理屈だよ。言いたいことは、映画を使わなくたって言えるしね。
北野武(自分が出演する際には)狂言まわしとして映画に出ることが多いんだけど、このシリーズでは、物語をやや大友の立場で見ていたね。義理人情に厚い、古いヤクザの大友の目線で、近代ヤクザのマヌケさを「あんなやり方、おかしいだろう?」って感じで見て、映画全体を作ったつもり。
――そう聞くと、大友に会えなくなるのは、やはり淋しいですね。
北野武試写を観た人からは「哀しかった」って声がシリーズでも一番多かったね。やろうと思えば、ストーリーはいくらでも作れるんだけど、新しい映画も撮りたいしなあ。
北野武やっぱりまずは新作の準備をしたいね。それから車を売り払って、一台だけいい車を買いたい。ゴルフとか、運動もしたいな。最近運動してないなと思って。昨日家捜ししてたら、シドニー・ルメットの『十二人の怒れる男』(57年)に対抗して書いた『十二人のイカレたヤクザたち』って脚本が出てきたんだよ。ノート4冊分くらい。ついに全国制覇した親分の初会合に、全国から集まった12人のヤクザが撃ち合って、全員死んじゃうの。やっと到着した親分が、死体だらけの会場を見て「やっぱりバカだな、こいつらは」と言って終わり(笑)。その罵り合いを、西田さんや塩見さん、うまい役者の怒鳴り合いでやれたらって。舞台劇にもなりそうだなと思うんだ。
――次は演劇界に挑戦ですか!? お話を伺っているだけで、古希を迎えるのが楽しみになってくるような、仕事に対するエナジーですね。
北野武年を取ったなりに、生活から削ぎ落としたものもあるからね。酒の量もわざと減らしてるんじゃなくて、飲みたくなくなった。いい酒をちょっとだけでいい。あと女にもまるっきり興味がなくなったりとか。年相応にやってて最近、オレだけテレビの放送コードが違うんじゃないか?って思った。炎上しそうなことをめちゃくちゃ言っても怒られないんだよね。たぶん諦めだね。いくら怒ってもあいつはダメだっていう(笑)。
(文:石村加奈/撮り下ろし写真:逢坂 聡)
アウトレイジ 最終章
監督・脚本・編集:北野 武
出演:ビートたけし 西田敏行
大森南朋 ピエール瀧 松重 豊 大杉 漣 塩見三省 ほか
全国公開中 【公式サイト】(外部サイト)
(C)2017『アウトレイジ 最終章』製作委員会