鈴木敏夫プロデューサーインタビュー『初の外国人監督による“ジブリ作品”制作舞台裏 』
ジブリ作品を外国人監督にオファーした理由
鈴木敏夫アニメーション制作の実作業に関しては、すべてヨーロッパのスタジオで行いました。日本でやるかどうかは最初に話し合ったのですが、言語などの問題から、マイケルがヨーロッパでやりたいと。そこは僕らもこだわるところではなかったので、向こうのスタジオでやってもらいました。僕と高畑さんがそれぞれのプロデューサーという立場で参加しています。
――2000年に公開され、米アカデミー賞短編アニメーション映画賞を獲得したマイケル監督の短編『岸辺のふたり』に感銘を受けた鈴木さんが、マイケルさんに長編を撮ってもらいたいということで、監督のオファーを出したと聞きました。それはどのタイミングでそう思われたのですか?
鈴木敏夫本人と知り合ってからですね。人間的にとてもいい人なんですよ。ジブリの監督たちとは違って(笑)。語弊があるかな……。思索的な人というか、頭に浮かんだことをすぐに口にしないというか。それが僕のなかで大きかった気がします。とにかくいい男。宮崎駿もそう言っていましたね。彼の家族も美男美女ばかりでした(笑)。
鈴木敏夫フランスのヌーベルバーグがあって、それ以前と以降で、映画は変わったと思っています。もともと映画は作るのにお金がかかるものだから、商業主義を入れざるを得ない。だからみんながエンタテインメントをやりながらも、そうではない部分も入れ込んで1本の作品のなかで両立していました。それがヌーベルバーグ以降は、商業主義を外して作っていいという流れができて、エンタテインメントとそうではないアート系や社会派などの映画と大きくふたつにわかれました。高畑さんにしろ、宮崎駿にしろジブリ作品というのは、実はヌーベルバーグ以前の映画を作っているんです。要するに、ひとつの作品のなかに両面を入れる。というふうに僕は思っています。
――これまで短編しか撮ってこなかったマイケルさんに長編を撮らないかと提案したそうですが、これまでの鈴木さんのジブリ作品でのお仕事ぶりを拝見すると、クリエイターを刺激するというやり方を貫いている気がします。挑発しているという言い方もできるかもしれませんが。鈴木さんにとっては、挑発することこそがプロデューサーの仕事であるという考えなのでしょうか?
鈴木敏夫ある意味、挑発ですし、そういうのが好きなんでしょうね。ただ、この『レッドタートル』に限って言うと、今までとはまるで違う。今までは高畑さんや宮さんにしろ、作ってもらわないとジブリがやっていけないということがありましたけど、マイケルの場合はそうじゃなかった。本当に素直に彼の長編作品が観たいと思っただけなんです。その違いはありましたね。結果として公開までに8年かかってしまいましたけど、僕はこの映画をすごく気に入っています。いろいろな人に見せたいな、という気持ちが大きいんですよ。
ジブリといえば夏のアニメ…今作が秋公開の理由とは?
鈴木敏夫なんでそうなったのか、正確なところは覚えていないんですけど、ホテルではなくて、アパートみたいなところを借りられないか、という話になったんです。それでジブリの近くにあった、作業用のアパートをマイケルに提供したというわけなんです。好奇心の強い人だから、日本のことを知りたかったんでしょうね。そこからジブリに通うマイケルと高畑を中心に、いろいろな話し合いを重ねて内容を練って、シナリオから絵コンテまで作りました。
――公開時期としてはいかがですか? ジブリ映画といえば夏公開というイメージが大きいですが。
鈴木敏夫東宝の夏のアニメは決まっていましたから、僕が『レッドタートル』を夏公開でと言い出したら困るだろうなと思って。そこは気を遣ったんですよ(笑)。でも実は、いつ公開にしますか、と言われたときに、夏前に公開しようか、という案もあったんです。でも結果として(宣伝の)時間もあったから秋で良かったですけどね。
――今回の作品は百数十スクリーン規模での上映となりましたが、どのように宣伝展開をしようと思ったのでしょうか?
鈴木敏夫この規模のスクリーン数でやろうといったのは東宝なんです。僕の方からはとくに、どれくらいでやりたい、という要望は出していません。だいたい僕は昔からそうなんですよ。言われたことに合わせて、そこからどうしようかなと考えるということです。だからこの規模で公開することになり、がんばらなきゃな、とは思いましたけどね。