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オリコンニュース
声優・鈴木達央、5年ぶりに音楽活動本格再開「はじめまして、SHINKIRO&Co.のボーカルTa_2と申します」【インタビュー】
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音楽活動再開に向けた複雑な心境 決め手はファンの存在
Ta_2 バンド活動を終了した後ぐらいに堀江晶太と会う機会があって、「Ta_2さん、次何やるんですか」と聞かれて。その頃は自分の中でまだまだ何も考えられていない状態だったので、「今はちょっと考えていない」と返しました。背中を押されたものの、前に進むことには至らずみたいな感覚でしたね。
――その気持ちはどのように変化していったのでしょうか?
Ta_2 それとは別にMC Booちゃんにも「どうするの次は?」と声をかけられて、「いや考えていないけど」と言ったのですが、そんなことがどんどんつながっていったんです。いろんな人に会うと「次どうするの?」「音楽やらないの?」と聞かれることが増えていく中、前のバンドのメンバーやPAチームと同窓会のようなことをする機会があって、そのときにも「次どうするのか」って。
――皆さんからの言葉をTa_2さんはどう感じられたのでしょうか。
Ta_2 なんだか不思議でした。その頃は言い方が難しいのですが、自分の中では一つピリオドがついた状態だったので。誤解を恐れず言うと、自分自身が歌とまた向き合うことに、ちょっと疲れてしまったみたいなところもありました。そういう気持ちもあったので、背中はたくさん押されているけど、どうしてもそれをちょっとスカしてしまう自分がいました。
そんな頃に、お誘いいただいてステージで歌う機会が何度か続く中で、ファンの方がバンドのときのTシャツを着ていたりマフラータオルを掲げてくれていたりするのが目に入って。もしかしたら自分自身が思い違いをしているのかもしれないと考えるようになりました。
――思い違いとは?
Ta_2 自分の中では「終わったこと」と思っていた部分がありましたが、音楽活動を楽しみにしてくれている人もいることを取りこぼしていたのではないかなと。そこに思い至ったとき、やってもいいのかなという思いが出てきました。その時点ではリリースの予定も何にもありませんでしたが、背中を押してくれた堀江晶太やバンドでもお世話になったebaなど、みんなを集めて食事会を開きました。
――どのような話をされたのでしょうか。
Ta_2 「みんなで持ち寄りで音楽やらないか」と。小さな楽しみだけで作っていくことをやりたいと提案をしました。提案をすることに緊張していたのですが、「いいじゃん。やろう!」と、次どこに遊びに行こうか的なノリの感覚で、あっさりみんなOKしてくれました(笑)。そのときに感じた「あれ?なんか変だぞ」みたいなのを形にしたのが収録曲の「ケセラセラー」と「レグルス」なんです。実はもう2〜3年前にできていました。
メンバーを固定しない、出入り自由な「SHINKIRO&Co.」
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Ta_2 みんなでメッセージアプリのグループを作ったのですが、何にも名前ないのも嫌だなと思って、何か名前考えると言ってつけたのが「SHINKIRO」でした。その後、アリス九號.のヒロトから誘われてライブにゲスト出演したのですが、それを見ていたレーベルの方に「SHINKIROで活動しませんか」というお話をいただきました。
――そのお話しをされた際、どう感じましたか。
Ta_2 話が進んでいく中、僕も「いいですね」とは言いながらも、どういうふうにステージに立ったらいいのか、落としどころがついていなくて……。探っているというか、まだわからないみたいな部分がありました。
6月に開催したファンミーティング「空中楼閣のラボラトリ」の直前に、自身のYouTubeチャンネルで「シャルル」をカバーで歌わせてもらったのですが、どう受け取ってもらえるのかわからず、あまり見てもらえないだろうと思っていました。ところが自分の予想と反して多くの方に見て、聴いていただけて、初めて「音楽をまたやろう」という芯が自分の中にできました。
――音楽活動の再開までには長い道のりがあったのですね。
Ta_2 話が長くなりましたけど、これだけ話さないと、そこにたどり着かないぐらい、めちゃくちゃ回り道をしました。今回CDに「空中楼閣のラボラトリ」の映像を収録したBlu-rayをつけていますが、自分が迷っている状態の時期だったので、何とも言えないというか、本当にこれからという姿が映っています。スタッフにも「これから頑張ります」と言いました。多くの方に背中を支えてもらいながら、自分の場所ってここにあったのかなと、やっと思えるようになりました。
――「SHINKIRO&Co.」は「出入り自由」とのことですが、その狙いは?
Ta_2 メンバーを固定しないことが自分の中でのコンセプトでもあって。関わっているみんなもそうですし、今回「インビジブルダンサー」の作詞作曲をしていただいた雨良 Amalaさんもそうですけど、数多くの楽曲を提供されていますし、自身もアーティストとしてやっている方も多い。だから、このメンバーで固定してやっていきましょうというのは難しい部分も出てくると思います。それに、みんなにも自由にやってほしいので、バンドをやろうというよりも、みんなと楽しい時間を過ごせることをやろうという気持ちの方が強いですね。だからこそ、ファンの方々と力を貸してくれているミュージシャンの両方を含めて、カンパニーの「&Co.」をプロジェクト名につけました。
そういう意味で言うと、各々が他ではやったことがないことがプロジェクトではできるとか面白いことを提案したらできるんだとか、現状でも言われますが、「それも歌えるんですね」ということも面白さの一つかなと。それならやりようはいくらでもあるなと思っています。
作家陣に長文の手紙「責任を持って“次”に向かいたかった」
Ta_2 いざ始まってみると、自分で納得ができないとか、こうしたいということが次々と出てきています(笑)。実は「レグルス」や「ケセラセラー」もそのままシングルにしましょうみたいな話もあったのですが、まだこれじゃ出せないのでと、一度盤面をひっくり返してしまいました(苦笑)。それこそ単なる一つのソロプロジェクトになってしまうのも嫌だなと。
要するに、バンド活動を終了した上で始める意味合いが大切で、“次”に行っていないといけないし、“次”に行っている形は何だろうというのをしっかり考えないといけないなと。ライブデモ音源を収録した「レグルス」や「ケセラセラー」はある意味で実験的にやったもので、熱量をパッケージングできてはいるけど、リスナーに対しての“次”を提示している曲ではないなとは考えています。
――Ta_2さんが考える“次”を実現するため、どのようなことをしたのでしょうか?
Ta_2 自分で作るだけではなく、多くの方のお力を借りました。その際、リファレンスシートという名の長文の手紙を作家の方々にお送りしました。どういう曲を作りたいか含めて、「どうして僕がこういうことを改めて始めるのか」「なんでこういう曲にしたいのか」「歌詞の内容はこうしたい」とか、必要な情報をありとあらゆる形で盛り込みました。責任を持って“次”に向かいたかったからです。
――曲作りはどのように作業されたのでしょうか。
Ta_2 実に何度も打ち合わせを重ねました。「僕のように」で言うと、どう作りたいかを作家さんと僕で抽象的な言葉だけで話し続けました(笑)。僕は1回入り込んでしまうとずっとそういう話をしちゃうので。
例えば、1番が終わって、2番に入って間奏に行くところでは、「ロケットが飛んでいって第一宇宙速度を超えて、第二宇宙速度を超えて、ロケットが1段ずつパージされた状態で、それが間奏に行ったときに、1回キラッとオゾン層を抜けたところの重力を振り切ったところでのふわっとした感じが欲しい」みたいな感じですね(笑)。そんなことをずっとしゃべっていました。あれだけやるかどうか悩んでいたのに、出てくるものは熱いというか、確かに今までもこういう熱量で作ってきたなということも含めて、いざ蓋を開けてみると何にも変わっていない自分がいましたね。
――他の曲のエピソードもあれば聞かせてください。
Ta_2 堀江晶太が作曲した「蝋燭」は、アレンジを神田ジョンにお願いして。1時間予定で打ち合わせしたのですが、頭の20分は2人でしゃべっていたのに残りの40分は僕が独壇場でしゃべり続けていました。やりたいのはロックでもポップスでもないけど、自分のやってきたロックが香るような形でありたいというような話をしました。言ってしまえばオンライン上で完結できる環境も含め、それを逆手に取りたい、面白さとして出したいという要望も伝えました。そういう意味でどうしてこういう音にしたいかなど、しゃべり続けていましたね。
「インビジブルダンサー」の雨良 Amalaさんとの打ち合わせもそうで、いい意味で言うと凝り性ですけど、端的に言うと、「この人面倒くさいな」って思われそうなことの連続でした(笑)。