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“和菓子離れ”の危機が生んだ「桔梗信玄餅」 “食べられる容器”からも伝わる老舗の常識破り

 明治22年(1889年)創業の和菓子店・桔梗屋が、昭和43年(1968年)に発売した山梨県の名物土産『桔梗信玄餅』。“信玄”は山梨ゆかりの武田信玄に由来し、これまでカントリーマアムやチロルチョコ、様々なキャラクターとコラボするなど、土産以外でも全国的に長年人気を博してきた。先月発売された『桔梗信玄餅 極』は、これまでプラスチックカップだった餅の容器を最中に代え、“容器も食べられる”と話題に。明治時代から進化し続ける桔梗屋の信念を聞いた。

山梨の風習をヒントに洋菓子に対抗、同業者からは「売れるわけない」「非常識」の声も

 1960年代、日本の食生活は欧米化が進み、次々と洋菓子店がオープンしていた。『桔梗信玄餅』の誕生は、当時の三代目社長・中丸幸三が和菓子離れの危機を感じ、洋菓子に対抗するには郷土土産だと思いついたのがきっかけだった。

「山梨県のお土産と言えば生の果物や、それを使ったお菓子で一年を通して販売できるものがなく、非常に不便な状態でした。そこで、一年を通して販売可能なお土産をと開発したのが桔梗信玄餅です」(桔梗屋六代目社長・中丸純/以下同)
 山梨県では古来より、お盆の時期に餅にきな粉と黒蜜をかけた「安倍川餅」を供えて食べる習慣があった。これをヒントに現代風に小さくまとめ、一年中食べられるものに仕上げた。風呂敷を模したビニール包装のデザインは、発売当時から現在に至るまで、全て1つ1つ手作業で包まれている。

「きちんとした包装を機械で行いたかったのですが、当時は高価な機械を購入するお金がなく、仕方なく手作業で結んでいたことが始まりです。今では、手で包む風呂敷包みがトレードマークになっています」

 当時はこれまでにない形態の和菓子だったため、同業者からは「あんな変なものが売れるわけがない」「非常識なお菓子だ」と冷ややかな声が挙がっていた。しかし、甲府駅前の饅頭屋で郷土土産を全面に押し出し売り出すと、瞬く間に売れた。

「風呂敷包みや別添えの黒蜜が『めんどくさい』というイメージがないか心配でした。しかし、遊び心がある新しいお菓子という考えで思い切って発売したところ、すぐにユニークな包装も話題となり、お客様から大変好評をいただきました」
 きな粉餅自体は日本全国で作られているが、「安倍川餅」をヒントに、黒蜜を別添えにしたことで、新しさとユニークさに繋がった。また、同商品は国産の餅粉を使用し、添加物は一切使用していない。そのため、今も変わらずじっくり手間暇をかけており、黒蜜も桔梗屋独特のコクと風味、味わいにこだわっている。

「国産の餅粉を蒸してからグラニュー糖、水あめを30分かけて練り込んでいきます。練り上がったばかりの餅は甘みが強くトロトロと柔らかいですが、1〜2日寝かせて冷まし固めることによって、弾力と甘みが丁度良くでます。黒蜜は、一般的に黒糖をベースにつくりますが、弊社の黒蜜はサトウキビを原料としてつくる蜜をベースに、精製糖と黒糖を加えて炊き上げていく独自の製法で作ります。鉄分・ミネラルを多く含みますが、黒糖独特の苦みや雑味を抑えることで、砂糖本来の旨味を引き出しています」

「容器も食べられるようにして」1通のファンレターの声を半世紀かけて遂に実現

 それまでフルーツのイメージが強かった山梨県の名物土産として人気を確立してからも、『桔梗信玄生プリン』『桔梗信玄餅アイス』『桔梗信玄餅クレープ』といった派生スイーツのほか、『カントリーマアム桔梗信玄餅』や『チロルチョコ桔梗信玄餅』など、あらゆるコラボにより、さらなる支持層を全国的に拡大。現在、1日の生産数は12万個に及ぶ。全国土産の中でも驚異的な人気を誇る、日本を代表する菓子の1つとなった。

「発売当初は箱入りとビニール袋入りの販売でしたが、その後、当時はまったく新しい不織布の入れ物で発売したり、近年は、桔梗信玄餅のお餅、きな粉、黒蜜を使用したロールケーキやプリンなど、桔梗信玄餅のDNAを受け継いだお菓子を開発したり、創業以来ただ伝統を重んじるだけでなく、その時代時代に合わせてお客様のご要望やご期待に沿えるような商品やサービスを提供することを目指した結果だと思います」
 同社の弛まぬ挑戦心を改めて体現していたのが、先月発売した『桔梗信玄餅 極』だ。「容器も食べられるようにしてほしい」というファンレターの声をもとに開発された新商品なのだが、その手紙が届いたのは、発売当初の昭和43年(1968年)。それから半世紀にも渡って、開発に当たってきたというのだ。

「“食べられる容器”を決定するまでに、さまざまな食品を試しました。その中から、餅やきな粉、黒蜜と相性の良い最中を使用すると決め、今度は最中の強度を高めることや作業性、販売価格の問題などでなかなか実現することができませんでした。また、従来の桔梗信玄餅の販売量が年ごとに増加している為、その生産増を実現するための努力もありましたので、桔梗信玄餅極の発売までに約50年かかりました」

 1通の手紙であろうと無下にせず、真摯に顧客に向き合ってきた同社の姿勢が反映された新商品だった。なおかつ、開発に50年以上かけてきた結果、奇しくも現代のSDGsの流れにフィット。12月24日の発売から、販売店では朝から行列ができ、連日売切れが続出した。

明治から常に時代を切り開いてきた桔梗屋の飽くなき挑戦心、コロナ禍も打破なるか

 常に新しい挑戦を試みるも、こだわりのきな粉と黒蜜、手作業の風呂敷包みのスタイルは変わらない。発売から数年後には製造が追いつかず、増産に追われる日々が5年ほど続いた。その際に工場移転とともに機械化を進めたが、トレードマークである風呂敷包みだけは手作業にこだわった。ちなみに、この風呂敷の包装は“本結び”という結び方で行われており、まるで手品のように簡単に風呂敷をほどく方法がある(※動画リンク参照)。
 『桔梗信玄餅』ヒット後も、「お菓子の美術館」開設、当時としては珍しかった食品工場の一般客の見学、規格外の菓子を安く販売するアウトレット販売等で、和菓子業界のみならず、日本の菓子業界・食品業界を牽引してきた桔梗屋。しかし、長引くコロナ禍により、例年何百件と予約が入っていた工場見学のバスツアーはほとんどキャンセル。また、未だに営業時間の短縮や休業をしている店舗もある。それでも、明治時代から大正・昭和・平成と、様々な苦境を乗り越えてきた同社はひるまない。

「これからも山梨の銘菓として、大勢のお客様に愛されるお菓子であるよう努力を続けていきます。また、桔梗信玄餅だけに限らず新しい視点、切り口でお客様が“あっ”と驚くような新商品やイベントを展開していきたいです」

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