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「梅酒が売れるわけがない」“家庭で作る”イメージからの脱却、世界に広めたチョーヤ60年の軌跡

 昭和37年の発売から、今年で60周年を迎えるチョーヤの『梅酒』。当初は、違法だったものの家庭で作るのが常識で、「売れるわけがない」と全く酒販店で扱ってもらえなかった。いまや居酒屋でも定番であり、様々なカクテルも女性を中心に人気だが、『梅酒』を日本の家庭から世界にまで広めたチョーヤの軌跡を振り返る。

当初はワインやブランデーを製造していた蝶矢 売れない『梅酒』に反発する社員も…

 チョーヤは大正3年(1914 年)、ブドウ栽培農家から蝶矢洋酒醸造として創業した。初期はワインやブランデーを製造していたが、当時は家庭づくりが一般的だった 『梅酒』を販売するようになったのはなぜだったのだろうか。
「創業者・金銅住太郎がワインの研究でヨーロッパを訪れた際、海外の安価で良質なワインに触れ、将来、輸入が自由化されたら、国内市場の脅威を感じたことがきっかけです。何か日本独自の文化で勝負したい、そして、ゆくゆくはそれを世界に伝えたいと考え着目したのが、梅酒でした。アジアの一部でしか採れない『梅』から作られ、他の国には存在しない、古い歴史を持つ日本独自の文化だったからです。日本では、梅干しと共に食生活に馴染んでいたこともあって、1959年に梅酒を発売しました」(チョーヤ梅酒・森田英幸氏/以下同)
 しかし、当時梅酒は家庭で作るものであり、梅酒が入った大きな瓶を押し入れや台所の片隅に常備している時代。お金を出して買う認識は無く、お店でも同様、なかなか店頭に置いてもらず、やっと置いてもらえても売れない日々が続いた。

 当然社内でも、このまま梅酒を製造していていいのか、他の商品に切り替えた方がいいのではという声も挙がってくる。離れて行った社員もいただろう。しかし、安易に他のものに手を出さなかったことこそ、今日の同社の成功に繋がっている。

「日本独自の文化である梅酒で勝負、そして、その梅酒を世界に広げたい。当たり前にお金を出して買っている味噌や醤油も、かつては家庭で作られていたもの。先人たちは梅酒も必ずそうなる、という信念を貫いたのです」

暗黒の20年…求められた“家庭で作る酒”からの脱却 核家族化と冷蔵庫普及が追い風に

 梅酒作りの材料は、梅、糖類、酒類のみで工場でも家庭でも同じ。“家庭で作るもの”からの脱却には、あえて同じ製法にこだわった。

「まず、商品に梅の実を入れました。実は、梅の実入り梅酒の販売は当社が初めてだったのです。また、いかなる食文化の変化や時代の流れを受けても、代々伝わる梅の品質、量、熟成方法に基づいて、最高の梅、沢山の量、光を当てないように温度管理をした状態での熟成にこだわり、香料や着色料に頼らない 、無添加の梅酒作りを行っています」

 実は梅は豊作、凶作が激しく、収穫は年一度の6月のみ。沢山収穫できる年もあれば、量が確保できない年もあり、価格変動もある。

「創業者が農家出身という事もあり、農作物への思い、理解、品質や無添加へのこだわり、土づくりも含め、消費者のみならず、生産者さんへの配慮、理解、そういうやり取りの積み重ねによる信頼関係によって、高品質な梅の安定供給を生産者さんのおかげで実現できています」

 そして、遂に時代がチョーヤに追い付いてきた…とでも言おうか。1975年頃から都市部への人口が集中し核家族化が進み、梅酒を作る家庭が減ってきた。

「1986年、当初つぼ型だった瓶を冷蔵庫のドアポケットに納まる縦長の瓶に変え、今でも弊社の看板商品の一つでもある『紀州』を発売しました」

 形を変え、冷蔵庫のドアポケットへ躍り出た ことで、台所の片隅などの暗い場所で待機していた梅酒が、ほかのお酒や飲み物と並び、食前酒としても広く親しまれ、その後の躍進の大きなきっかけにもなった。

「飲み方アンケートでは、ストレート、ロック、水割りに次いでソーダ割があり、1987年、瓶入り梅酒ソーダ『ウメッシュ』を発売した結果、20代女性や30代から40代の主婦など、若い新規層を獲得しました。翌88年には、更に手軽な缶入りを発売しました」

 現在は簡単に買える炭酸水も、当時は多くは販売されておらず、さらなる女性客の獲得につながった。炭酸は梅酒の甘みや酸味ともよく合い、若年層にも広まった。

梅酒が世界のバーカウンターへ… 日本古来の文化を受け継ぐチョーヤの強い使命感

 国内では着実にシェアを広げていく一方で、最初の輸出先のアメリカでは全く梅を理解してもらえなかった。

「アジア圏では、元々梅に馴染みがありましたが、欧米では全くなく、梅酒がどういうお酒なのか知ってもらうのに苦労し、広がるまで時間がかかりました。しかしここでも地道な努力を積み重ね、定期的な試飲やプロモーションを行うことで、徐々に欧米でも“日本のリキュール”だという認識を定着させていきました。最初の輸出から21年 、1989年 にようやくドイツに事業所を開設できました」

 決してブレない創業者の思いと先見の明、それを受け入れ、信じてついていった社員の力。梅酒が軌道に乗るまでは、ワインや清涼飲料の売上で忍んだ。しかしそのワインは、梅ワインを残して2007年に販売終了している。ついに2000年、「チョーヤ梅酒」と社名を変更し、同社は梅酒一本で世界に勝負していくことを決めたのだ。
「従来の瓶型から紙パックの梅酒も発売され、飲むと口当たりも良く、梅は体にいいというイメージから、健康志向にも乗って梅酒ブームに。その後の赤ワインブームや焼酎ブームで少し落ち着きましたが、次の地梅酒ブームで再び伸びを見せるという流れがありました」

 2002年からの10年間で市場での梅酒生産量 が約2倍になったが、和歌山の農家の梅酒用の梅の出荷伸び率はわずか8%だった。酸味料をはじめとする添加物の多用などにより、梅酒に梅が十分に使われていないことの動かぬ証拠だった。

「早く、安く、沢山作ろうと思えば、酸味料、着色料、香料で、梅を使わず梅酒風味のお酒ができ、日本以外でも作れる。でも、それは梅酒じゃない。それをやってしまったら世界に勝てない。そんなことをしたら、本当の梅酒をわかってもらえなくなります」
 2015年、大蔵大臣の許可を受けて設立された日本洋酒酒造組合によって、梅、糖類、酒類 のみの梅酒が“本格梅酒”と表記できるようになった。 無添加ではない梅酒との差別化ができるようになったのだ。京都・鎌倉 の梅体験専門店『蝶矢』では、昔ながらの梅酒や梅シロップの作り方、本来の味を体験できる。

「完熟南高梅や白加賀などの梅5種、砂糖もてんさい糖、アガベシロップなど5種、お酒はホワイトラム、ブランデー、ジン、ウォッカの4種から自由に選べるので、各地の梅の個性を楽しみながらぜひ体験して頂きたいです」(1962年の酒税法改定により、家庭で楽しむ梅酒作りは合法に)
 2016年発売の本格梅酒『The CHOYA』は、見た目もバーのカウンターに馴染むほどグッと洋酒っぽくなり、様々なシーンで楽しめるようになっている。2019年には、“常に梅との新しい出会い”をコンセプトに、同社初の常設バーとして梅酒カクテル専門店「The CHOYA銀座BAR」がオープン。『The CHOYA』をベースとしたカクテル梅酒や梅をアレンジ した梅フードなど、100種類以上のオリジナルメニューを楽しむことができる。

 台所の片隅から冷蔵庫のドアポケットへ、そして今では銀座のバーカウンターの上に。今後、日本が世界に誇る梅酒がチョーヤと共にどんな旅を続けて行くのか楽しみだ。

(文=大島薫)

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