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トランスジェンダー告白した中山咲月、“ジェンダーレス女子”から「男性として生きていくと決めた」覚悟
女性として受けた取材に「気持ちが抑えられなくなった」カミングアウトまでの壮絶な苦悩
自分としては不安な気持ちがあったのですが、実はファンの方々は自分自身より自分のことを知っていてくれて。「やっと言えたね」「わかっていたよ」みたいに言って下さる方が多数いたことが嬉しくて、絆みたいなものを再確認できました。それに、ジェンダーに悩んでいるファンの方はもともと多かったのですが、「表に出る仕事をしている方でカミングアウトしている人は少ないので、勇気をもらいました」みたいなコメントがあり、思い切って言葉にして良かったなと思いました。
――そもそも告白しようと思ったのは、どんなきっかけからですか。
実は自分がトランスジェンダーだとわかったのは、今年に入ってからなんです。コロナ禍でいろいろな映画を観ていた中で、生田斗真さん主演の映画『彼らが本気で編むときは、』にたどり着いて。カミングアウトの難しさを題材にしている作品で、観終わった後にすごく苦しく、なんともいえない気持ちになったのですが、その気持ちが何なのか突き詰めたときに「あ、自分もそうかもしれないな」と、初めて自分の心がわかったんです。
――「明日が来るのが怖くて眠れない時期を過ごした」とも聞きました。
映画を観て、自分がトランスジェンダーだからこんなにも辛いんだと明確にわかってからは、気持ちが抑えられなくなって。明日が来るのが怖くて、不眠症気味になって。お仕事のインタビューなどで「女性だけど〇〇」みたいなことを聞かれても、その場では我慢できるのですが、家に帰ったあとに全部あふれ出ちゃって。一緒に住んでいる友達に止められなかったら、今、生きていないと思います。実際、半分死んでいるような状態で何ヵ月か生活していたんです。簡単に逃げることができないんだと思ったし、死にたいという感情が初めてわかったんですよね。
――止めてくれたお友達にも相談されていなかったんですね。
はい。でも最初のカミングアウトはその子にしました。「知っていたよ」と言ってくれて救われました。友達は自分のことを性別関係なく、一人の人間として扱ってくれていて、自分の逃げ道を作ってくれていたとも思いました。
「嘘をついていたのは自分に対してが大きい。自分が女だと気づかないようにしていた」
嘘をついていたのは、自分に対しての部分が一番大きいんです。最近思い返してみると、自分を女だと思ったことは今まで一度もなかったし、たぶん怖くて、わざと気付かないようにしていたんだと思います。例えば服に興味を持ち始めた小学生くらいの頃から、パンツスタイルが好きでしたが、親はスカートを勧めますし、小さい頃から友達と話が合わなくても無理やり周りに合わせていたところはありました。その一方で、昔から『仮面ライダー』などはずっと好きで観ていて、確かに男の子みたいだなと思うことは多いですね。
――告白について、ご家族や事務所の方はどんな反応をされましたか。
実は家族にはまだちゃんと伝えられていなくて。家族も大変な時期だったので、今後の方針などがもう少し固まってから話そうと思っています。それから、事務所に伝えるまでも、すごく時間がかかりました。「自分は普通じゃないんだ」という落胆がすごく大きかったし、周りに迷惑がかかるだろし、仕事への影響もあるだろうし、何ヵ月間か言えずにいたんです。それで、本当に限界になったとき、友達に「死ぬくらいなら全部投げだして、わがままになっていいんじゃないの? 今すぐ電話しな」と言われて、マネージャーに電話しました。その後、どんなことを自分が言ったのかは全然覚えていないですが、「今後は一緒に考えながら、中山咲月という人間を伸ばせる活動をしていこう」みたいなことを言われました。
――そこからブログでのカミングアウトになるわけですね。
はい。実はブログは以前から、非公開の状態で、感情があふれ出たときにそのときの感情を書き溜めていたんです。
――今はジェンダーについて公表する著名人などもいて、昔より多様な性理解が広がってきていますが、そういった印象はありますか。
確かにここ1年くらいで変わってきた気はします。1番大きく変わったなと思うのが、当事者のカミングアウトだけでなく、当事者じゃない人たち、生まれた性別と心が一致している方が言及するようになったことに大きな変化を感じます。