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清原果耶インタビュー 特集ドラマ『マンゴーの樹の下で〜ルソン島、戦火の約束〜』
戦時中を再現「大変じゃない日は一日もなかった」
主人公の奥田凛子は、昭和19年、商社のタイピストとしてマニラに赴任。そこで、日本人(父)とフィリピン人(母)のハーフで、通訳として働く綾と出会い、友情を育む。しかし、第二次世界大末期の激しい戦火に巻き込まれていく。
清原戦争を経験していないので、すべて実感できるかといったら、そうはいかなくて。それが自分の足りない部分として出てしまうのではないか、と不安に思ったのですが、(日下部綾役の)山口まゆさんと戦争を知らない世代の2人が演じることによって、私たちと同世代の方が、戦争のことをもっと知るきっかけになるんじゃないか、とポジティブに考えることにしました。責任はすごく感じました。
――戦後74年。視聴者もほとんどが戦争を知らない世代です。さらに今回のドラマで描かれる内容はあまり知られていないかもしれません。
太平洋戦争中、日本の占領下にあったフィリピンには6000人以上の民間の日本人女性がいた。ドラマの主人公・凛子のようにタイピストなどの“職業婦人”として活躍している女性も少なくなく、窮乏生活の本土に比べ安定した暮らしが営まれていた。しかし、昭和19年、米軍のフィリピン侵攻にともない状況は一変。マニラを脱出した女性たちは、ルソン島の密林をさまよう地獄の逃避行を強いられる。米軍の爆撃、ゲリラの襲撃、そして飢餓…。多くの女性や子どもたちの命が失われ、生き延びたにしてもそれは筆舌に尽くしがたい体験だった。
清原そうですね、大変じゃない日は一日もなかったです。物語の舞台はフィリピンですが、撮影はすべてタイで行いました。出演者の皆さんも、スタッフの皆さんも慣れない環境で、ヘトヘトになりながらも力の限りを尽くして撮影していたという感じでした。ただ、地元のスタッフ・出演者の皆さんが優しくて、おおらかな方ばかりで、言葉の壁も気にならなくなるくらいフレンドリーに接してくださったので、大変だった中でもすごく励まされていました。
――特に印象に残っていることは?
清原終戦のビラが降ってきた後、(捕虜として)連行されるシーンが、精神的にしんどかったです。凛子は必死に生き延びたけれども、現地の村人たちから野菜などを投げつけられたり、「お父さんを返せ」といった恨みの言葉を浴びせられたりするので。
現地のエキストラの皆さんが協力してくださったんですが、本気で投げたモノが当たる痛さ以上に、心が痛かったです。凛子が初めて日本が戦争中にフィリピンの人たちに対してやってきたこと、その罪の大きさに気づく場面であり、この作品の中で一番大事なシーン。撮影が終わった後、山口まゆちゃん(凛子と一緒に生き延びる日下部綾役)と「そういうことか…」と、つぶやき合って、その後は何も言葉にならなかったです。
清原拡大版(BSプレミアムで8月21日放送)では、密林をさまよっているうちにいよいよ食べるものがなくなって、虫を食べるシーンが入っているんです。実は、私、虫が大の苦手でして…。指先で虫を掴んで針で糸を通していくシーンを撮っていた時、この世の果てに来てしまったような感覚になりました。後になって気づいたのは、凛子も同じだったのではないか、ということ。もう虫しか食べるものがないという、生きる希望を失った、凛子の絶望感とうまくマッチしていたらいいな、と思いました。