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「大衆から個人へ」 30年目の『東京ウォーカー』編集部に聞く、平成雑誌文化の熱狂と衰退

  • 平成2年『東京ウォーカー』創刊号(左)、平成30年『おひとりさま専用Walker』(右)

    平成2年『東京ウォーカー』創刊号(左)、平成30年『おひとりさま専用Walker』(右)

 東京のトレンド情報をけん引し、最盛期には週刊80万部を誇った『東京ウォーカー』が30年目に突入。本誌は平成の最後に“おひとりさま”へとコンセプトチェンジし、生き残りをはかっている。そこで、『おひとりさま専用Walker』の担当でもあるKADOKAWA編集の中村茉依氏に、平成雑誌バブルの熱狂と衰退、そして情報誌が進むべき方向性について聞いた。

“雑誌バブル”の熱狂、最盛期は「広告売り上げ年間120億」「週刊80万部」

 1990年(平成2年)3月創刊の『東京ウォーカー』は、2019年3月20日でまる29年、“30年目”に突入した。平成と共に歩み、東京のトレンドをつぶさに見てきた本誌は、“元祖リア充雑誌”として知られているが、実は2017年12月に「おひとりさま専用」をコンセプトにしたムック本『おひとりさま専用Walker』を発売し、それが4刷りのヒットに。こうした時代の変化を受け、18年10月に本誌をリニューアルし“おひとりさま”へとシフトチェンジ。そして、昨年12月に発売された『おひとりさま専用Walker2019』が大ヒットし、異例の“3日で重版”という反響を見せたのだ。

 リア充雑誌がおひとりさまへシフト…。一見、大きな変化ではあるが、本質的には「これまでと変わらない」と中村氏は強調する。なぜなら、これまでも時代に合わせて情報誌の役割も変化してきたからだ。「バーゲン、イルミネーション、花火、紅葉、桜の花見、クーポンなど…、今も雑誌やネットで続いている人気コンテンツは、ウォーカーが作ったムーブメントです。時代に合わせてウォーカーも変化してきました」と中村氏は解説する。

 事実、本誌は“東京のトレンド”をいち早く発信し、その情報が多くの支持を集めてきた。93年、『東京ウォーカー』通常号で実売40万部となり、年末年始号は実売60万部を超えた。その勢いで翌94年に『関西ウォーカー』を創刊すると、いきなり30万部を実売。販売率は98%(返品は2%台でほぼ完売状態)という驚異的な数字を残した。最盛期は『東京ウォーカー』の通常号で実売60万部。その後も96年に『東海ウォーカー』、97年に『九州ウォーカー』、98年に『横浜ウォーカー』を創刊。2000年にはウォーカーの広告売上が年間120億円強に達した。ページ数も400Pを超えて「中綴じの限界」といわれるまでになり、その半分は広告が占めた。広告営業は広告出稿の申し込みのお断りに追われたという。

 表紙を旬のタレントが飾っていたことも印象深い。ちなみに、29年間の表紙登場回数1位は中山美穂で、次点は上戸彩。雑誌コンテンツが盛り上がっていた平成前期において、表紙モデルはアイコン的存在だった。しかし、2000年台後半から雑誌業界の減衰が顕著となる。“出せば売れた”時代は過去となり、雑誌は厳しい冬の時代を迎えた。

売れるとは1ミリも思わなかった、社内から「読者を傷つける本だ」と批判も

 出版不況の時代に差し掛かり、WEBに推移するメディア、付録商戦に挑戦するなど各誌は生き残りをかけてさまざまな取り組みを行う。では、『東京ウォーカー』にとって「おひとりさま」は生き残りの為の戦略だったのだろうか。

 「1990年〜2000年代は“情報を買う”という文化がまだあった時代です。価値ある情報をしっかり掲載すれば、何を出しても売れた」と中村氏は当時を振り返った。一方で、1999年には「2ちゃんねんる」が登場し、ネットから得る情報の価値が高まっていく。右肩上がりのネット業界の隆盛に反比例するかたちで、雑誌業界は凋落の一途をたどる。それは、価値のある情報をどこで手に入れるか、“消費者が選ぶ時代”になったからだ。

 出版不況の波は『東京ウォーカー』にとっても同様で、「正直、何をやっても駄目だったんです。ネットやSNSでエゴサ―チをしてもアイデアが出てこない」と、低迷時の苦労を語る中村氏。事実、『東京ウォーカー』は数万部まで落ち込んでいたという。そんな中で活路となったのは2017年に試みた「おひとりさま」企画だった。とはいえ、この試みはあくまでチャレンジであり、大ヒットするとまでは考えていなかったのだという。

 「17年当時、『東京ウォーカー』の本誌が“おひとりさま”にシフトするということはまったく話にでていませんでした。ただ、東京の未婚率が50%になると予想されていることをうけ、“東京は、一人でも楽しい。”という、これまでとは異なるコンセプトを打ち出すことになり、正直なところ私もびっくりでした」

 第1弾は「珍しがられた、という部分が大きかった」と中村氏は分析するが、第2弾では“おひとりさま”企画のファンになった読者の反響が凄かったという。

 「第2弾では『今年も待ってました』『やっぱり私のための本だった』という読者の声をいただきました。でも正直、売れるなんて1ミリも思っていなかったんですよ(笑)。“おひとりさま”って言葉自体が相手によってはネガティブにとらえられることもあるかと思います。社内外の人からは『読者を傷つける本だ』『炎上する』なんてことも言われました。

雑誌が“紙”である必要はない「読者に、雑誌を“自分の分身”だと思ってほしい」

 平成を振り返ると、エンタメコンテンツとしてCDや雑誌が売れた時代だった。みんなが同じものを見て、聞いて、共通の話題にしていた“大衆の時代”とも言える。しかし、「今は個人からいかに共感を得るかが雑誌としても大切」だと中村氏は明かす。

 「私個人としての考えですが、今の時代の雑誌の価値は“自分の分身”だと思います。いかに共感してもらえるコンテンツが載っているのか。“おひとりさま”を作ってそう感じました。読者に『これって私のことだ!』って思ってもらうことが重要だと思います」

 続けて、中村氏は情報誌の“未来”についても言及した。

 「ウォーカーブランドが絶対に紙じゃないといけないとは思っていません。今の読者は昔から愛してくれる人がたくさんいて、よく言えば親子で読んでくれている方もいらっしゃいます。ずっと愛してくださった方たちと一緒に企画を考えたりできることが、歴史ある雑誌の価値であり強みなのかなと思います。そして、今後はイベントや、人と人をつなぐサービスといった、雑誌だけではなく、ブランドを生かした「+α」を提案していくことが大切なのではないでしょうか。昨年末、ウォーカーでやった独身忘年会はものすごく盛り上がったんです。また、3月31日には独身限定の“平成チョベリグ祭り”を開催しました。そんな風に読者の方との距離を近づけつつ、ウォーカーのことを『自分の分身だ』と思ってもらえるよう、雑誌を作っていきたいですね」

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