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益若つばさ、読者モデルを“一般化”させた功罪「いつ干されても悔いはない」

22日に公開された話題の映画『翔んで埼玉』に出演した益若つばさ 撮影:近藤誠司 (C)oricon ME inc.

22日に公開された話題の映画『翔んで埼玉』に出演した益若つばさ 撮影:近藤誠司 (C)oricon ME inc.

 先ごろ、平成のギャルブームをけん引し、2014年6月に休刊した渋谷系ギャル雑誌『egg』(大洋図書)が5月、復活号を発売すると発表し話題となった。時代ごとのトレンドはあれ、「ギャル文化」が日本のポップカルチャーとして認知され、定着するに至った要因として、益若つばさの存在を抜きに語ることはできないだろう。「つばさ売れ」というヒット現象は、その経済効果が100億とも1000億とも言われる。何より、2008年から10年以上にわたってTV出演を続け、「読者モデル」という存在を世間に“一般化”させたのは彼女の功績によるところが大きい。一方で、10代の頃は世間からの誹謗中傷に「死にたい」とまで思い詰め、いまも「雑誌やTVの価値を下げてしまった」と、悩むことがあるのだという。

“平成ギャル”の頂点に未練なし「子育てに専念するために雑誌を全部卒業」

『egg』や『ポップティーン』(角川春樹事務所)で読者モデルとして活躍し、他の人にはない“独自”のセンスでトップモデルとしての地位を築いた益若。特に『ポップティーン』においては、企画やアイデア出しで裏方の楽しみを知ったという。

 「当時は、日サロのバイトをしながら読者モデルもやっていました。ポップティーンでは編集の人と一緒に企画会議のアイデア出しみたいなこともやっていたり。それが、編集の方が考える企画の切り口とは違ったみたいで、編集長からは「大穴だ」って言われていました(笑)」

 黒肌で元気なのがギャル…そんな固定概念があった時代、益若は「バービー人形みたいな可愛らしさ」を求めたファッションで注目を集め、女性からの熱狂的な支持を集めた。2008年には、自身が表紙となったポップティーンが41万部を突破し、史上最高の売り上げを記録する。しかし、彼女にとってひとつの転機が訪れる。

「子どもを授かって、子育てに専念するために雑誌を全部卒業しました」

 カリスマモデルの地位をスパっと捨てた益若は、パートで働くことも意識しながら、「お金をどうしよう」、「将来どうしよう」といった漠然とした不安を抱えていた。そんな時、知人から「プロデュースの仕事をしてみないか」とオファーがあったのだという。しかし当時の益若は「プロデュースって何ですか…?」と聞き返す、普通のギャルだった。

 元々、コスメやファッションなどが好きで、読者モデルとしてアイデアを出す楽しさをしっていた益若は、“プロデュース”という未知の分野への挑戦を決意。その決断の裏には「家でもできる仕事だから」という助言もあり、「それなら子育てしながらでもできるかな」という思いがあったという。

「死にたいな…」と思い悩んだ10代、悶々とした日々を突破した理由

 雑誌モデルとしてだけではなく、プロデュース業でも結果を残し、周囲の大人たちからの信頼を勝ち得た益若。折しも当時はギャル&ギャル男による読者モデルブーム全盛期。『アメーバブログ』のタレントランキングの上位を読者モデルが占める、そんな時代でもあった。もちろん、益若もアメブロの1位に名を連ねる存在だった。

 だが、脚光を浴びることは色濃い影を作ることと同義であり、アンチにとっては“叩きやすい”格好の的でもあった。益若も「子どもを産んだ時も相当叩かれたました。ただ、私みたいなタイプは、嫌いな人は嫌いなのかなって思います。今では慣れました」と苦笑する。

 とはいえ、10代の頃は「死にたいな…」と思い悩んだという。「自分の価値って何?」、「自分はブサイクだよな…、言われる通りだよな」。そんな自問自答の言葉が頭の中をグルグルと回る日々。こうした考えから脱却するのに「2、3年かかかった」とも。高校時代に読者モデルになり、20歳くらいまでは心ない誹謗中傷にずっと傷ついていたという益若。「今も傷つきはするけれど、全員から認められることは無理」と、開き直ることで悶々とした日々を突破したと語る。

 「どんなに好感度に気をつけている人気タレントさんでも、100人中100人に好かれる人はいないんだってことに気づいたんです。あんなに頑張っているタレントさんでも無理なんだから、私なんかが全員に好かれるなんて無理にきまってる。そう割り切れるようになりました」

 だったら、自分らしく生活して、遠くから誹謗中傷する知らない人の言葉ではなく、信頼してくれる周りのスタッフや家族や友達、そんな仲間たちからのダメ出しを受け入れて成長しよう。そう心に決めたのだという。

“TV映え”しない自分を理解「出過ぎないことで“消費”されずにすんだ」

 読者モデルという存在が、まるで芸能人かのような注目を集めていた2000年代の“読者モデルバブル”。益若は「実感は全然なかったんですけど…」と当時を思い返しつつ、「読者モデルブームに関わろうとする大人たちが増えたな」と感じていた。「この商品を紹介して」、「この洋服を着てほしい」と、これまで絡まなかったことにお金が絡む。それこそTVに呼ばれることも大きな変化だった。

「2008年に『情熱大陸』(TBS系)に出させてもらったんですが、番組のことをまったく知らないで出てしまったんです」と恥ずかしそうに語る益若。「おじさんのスタッフさん達に3ヵ月間密着されて、TVに出たことがなかったので当時は長いな〜と思っていました」と笑った。

 だが、泡はいずれ、そして必ず弾けるもの。各メディアを賑わせた読者モデルバブルは終わり告げた。読者モデル出身者で、2000年代からいまも変わらずにタレント活動をしているのは益若を含めごくわずか。では、その明暗を分けたものとは一体なんだったのだろうか。

「私が今もこうして仕事をやれているのは『情熱大陸』の存在かもしれません。ただ、当時は番組への出演も断ろうと思っていて、それよりも『学校へ行こう』(TBS系)に出たい、って思っていたくらい無知でした(笑)」

 その時、周りの言葉を聞き入れたことが益若にとって人生の転機となった。

「『人生変わるよ』って言われて出てみたら、本当に人生が変わりました。プロデュースも周りに勧められて挑戦したし、私は周囲の大人に恵まれていたんだと思う」と、感謝を口にする。また、TV番組の出演に関しても、トークやバラエティ番組でのやり取りが得意ではなかった益若に対し、周りのスタッフが「TVに出過ぎない方がいい。出過ぎると飽きられちゃうから」と助言。元々シャイでトークがあまり得意ではない益若の性格と、この売り出し方がマッチ。読者モデルバブルの時代に“消費”されずにすんだことは、この10年間のタレント活動における“キーポイント”になっている。

私がTVや雑誌を安っぽくしてしまった「全部を失ってもいい“覚悟”がある」

 益若ら読者モデルがTVに出始めた10年前に比べ、演者は変われど、今やギャルモデルや読者モデルをTVで見ない日はない。その歴史を紐解いたとき、益若の存在は間違いなくエポックメイキングとなっている。『情熱大陸』に出演し、100億とも1000億とも言われる経済効果でその価値を示した。ギャルモデルのTVにおける存在価値を高め、“素人”である読者モデルをタレントとして“一般化”させた功績は、益若の存在によるところが大きいだろう。

 しかし、当の本人は「TVの価値を下げしまったのかなって思うこともある」と心の内を明かす。「だって、読者モデルって限りなく素人さんに近い存在。私の中で芸能人は別格。私は自分のことを今でも一般枠だと思っています。だから、私のせいでTVに出ることのハードルが下がったのかなって。一般の子も出やすくなって、夢は広がったのかもしれないけど、私みたいな人が出ることで番組や雑誌を安っぽくしてしまった。読者モデルを“一般化”したと言われても、それが良かったのかどうかは分からないですね」

 シャイなのか、冷静なのか、自分のことを冷めたような目線で分析する益若。そこには、彼女なりの決意が隠されたいた。

 「今の自分には、10代や20代前半の頃の、勢いのあった自分には勝てないって思っています。だから、いつ干されるか分からないし、明日になったら急に全部仕事が無くなるかもしれない。でも、そうなってもいいやって気持ちでやっています。それくらい悔いなくやれている。仕事に対してすがりついて、自分をすり減らしたくない」そう前を見据える益若。ある種の達観とも言える割り切りの理由は何なのだろうか。

「10代の時の私って今より全然尖っていて、昔のインタビューを読むと、なんでこんなに尖ってんの?って思うくらい(笑)。でも、その芯の部分が今でも染みついているんです。読モになってからずっと、『いつか私だって飽きられる』、『見捨てられる』、そう思ってやってきました。なので、いつ全部を失ってもいいっていう“覚悟”があるんです。こうした切り替えができるポジティブさは、10代の頃に『egg』や『ポップティーン』で身につけた“ギャルマインド”のおかげなのかも(笑)」
 プロデュース業では“自分が表現したいもの”をとことんこだわってきた益若。しかし、22日から公開中の映画『翔んで埼玉』にメイド役で出演した際、自分の中で新たな発見があったようだ。

「演技をするときって監督さんの言うことをすべて聞きます。それは私が経験したことのない世界でした。私がやってきたプロデュースって、基本、自分の意思を持って決定するのが仕事。でも、映画は他人の意見に染まらなければいけない。その部分がとても不思議な感覚でした。『もっとこうして』、って指示されて、「はい!」ってなる自分が新鮮で(笑)。他人の要望に染まる新たな自分の発見でした」

撮影:近藤誠司

■映画『翔んで埼玉』公式サイト→

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