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【ガンプラ ビフォーアフター】“ガンプラ世界一”を日本に取り戻した男 モデラーとの邂逅で到達した境地とは?
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ガンプラは小学生時代の“キラキラした思い出”「日本人が世界3位で悔しかった」
シュンウェブクリエイターをやっています。基本的に何でもやりますが、最近は Web 関係が多いです。なので、プラモ制作は仕事後やおもに週末に制作しています。
――ガンプラに目覚めたのはいつ頃なんですか?
シュン小学生の頃に大ガンプラブームが来て、僕も周りの友達と同じように作って遊んでました。その後はほとんどプラモに触れる事がなく、再度作るようになったのが2012年です。
――実に20年以上のブランクがあったわけですね。
シュン当時、スポーツ中にケガをしたこともあって、何か別の趣味を探しているところでした。そんな時、たまたま『GBWC(ガンプラビルダーズワールドカップ )』が2011年に開催されたんですね。それを Yahoo ニュースで見て、ガンプラの世界大会があることに驚きました。子供の頃に作っていたガンプラがいまや世界でも売られていて、そしてその世界大会があることに。
――当時、作品のクオリティの高さが話題になりましたね。
シュンはい、ただ2011年の大会で日本人の最高位は3位。ガンプラはMade in Japanで、そして僕らの小学生時代のキラキラと輝いた楽しい思い出だったので、外国人の方に取られるのはすこし悔しいなと率直に思ったのがガンプラを再開する一番のきっかけです(笑)。
――20年ぶりのガンプラです。最初に作った作品は?
シュンガンプラ復帰作は『機動戦士ガンダムUC』に登場するリゼル。以前のガンプラは、ファーストガンダムやザクなど、すこし丸っこくシンプルなフォルムが特長でした。でも、最近のガンプラは複雑な多面体になってるモデルが多く、そこで、リゼルを作ることで、プラモの処理を一つひとつ学んでいこうと思ったんです。
――実際に20年ぶりのガンプラはどうでしたか?
シュン驚愕しました。可動域の変化や、美麗なプロポーションに惹かれて、その後は一週間に一体くらいのペースで作っていました。
モデラー仲間との邂逅「ガンプラに優劣はないと思うようになった」
シュン第2回大会は出場せず、練習や研究の期間にあてました。国内大会は20作品ほどがファイナリスト作品としてバンダイのイベント開場などで展示されます。まずはそこでどんな作品が評価されるのか? どんな流行があるのか? どこまで作り込む必要があるかなど、優秀作の傾向を把握しました。そして、そのうえで作り始めたのがνガンダムです。
――第3回大会の優勝作品ですね。νガンダムを選んだ理由は?
シュンまず登場作の映画『逆襲のシャア』が大好きだったからです。しっかり作り込むのは根気も必要なので、単純に「好きなものじゃないと打ち込めない」っていう理由もあります(笑)。
――νガンダムの製作期間は?
シュン本体を作成するのに4カ月、ベースに1カ月の計5カ月です。
――凄まじいクオリティですが、費用はどれくらいかかりましたか?
シュン工具は別として実際の費用としてはそんなにかかっておらず、1万円位だったと思います。ガンプラ製作コンテストなので、工作と塗装、そしてアイデア。この三つの採点基準を意識し、極力自分の手で作っていきました。
――その後、大会には出ていますか?
シュン2013年以降はすべてのコンテストに参加していません。というのも、最初は「ガンプラ世界一を日本に持ってきたい!」という思いで参加しました。ですが今は、モデラーにはそれぞれの作り方やこだわり、楽しみ方があって、それは上手い下手で語るのともすこし違うかなと。ガンプラを作り始めてモデラー仲間もできましたが、それぞれがガンプラに対して熱い思い入れやこだわりを持っていて、そこには優劣はないと思っています。
――モデラー仲間とはどんな交流があるんですか?
シュン気の合う仲間とたまに会って、ガンプラの勉強会じゃないですけど作った作品を見せ合っています。今は、こうした交流が最高に楽しいですね。
取材協力:バンダイ (C)創通・サンライズ