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ORICON NEWS
女装男子にボーイズラブ…急増するLGBT作品、その背景は?
LGBT作品が急増、女装した俳優の美しさや立ち居振る舞いも話題に
前出の『海月姫』では、女装した瀬戸康史の美しさだけではなく、女性的な立ち居振る舞いはもちろん、役作りでボディクリームなどのケアを欠かさないことも報じられ、その女子力の高さがSNSで賞賛を浴びた。また志尊淳は『トドメの接吻』(日本テレビ系)でも、主人公・エイト(山崎賢人)に歪んだ愛を見せる和馬を演じており、4月放送スタートの朝ドラ『半分、青い』(NHK総合)でも、少女漫画家・秋風羽織(豊川悦司)のアシスタントでゲイ役の藤堂誠で出演。
NHK大河ドラマ『西郷どん』でも、その記者会見で、脚本家の中園ミホが、人間関係にBL(ボーイズラブ)要素があることを告白したほか、先述の2月公開映画『花は咲くか』、また昨年、生田斗真の女装姿とキスシーンが反響を呼んだ映画『彼らが本気で編むときは、』など、LGBT要素のある映像作品が昨今、目白押しで世に送られ続けている。
背景にオネエ系タレントの“市民権”獲得が視聴者の免疫に
今、テレビでその活躍が確認できるオネエ系のタレントといえば、マツコ・デラックスやはるな愛、IKKO、ミッツ・マングローブ、GENKINGなどが筆頭格。少し前ではKABA.ちゃんや楽しんご。古くは美輪明宏、美川憲一、おすぎとピーコ、ピーターなどなど。いまだに少数派ではあるがもはや珍しい存在ではなく、お茶の間でも非常に身近な存在となっている。もちろん彼ら(彼女ら)を“オネエ”と一括りにするにはLGBTの範囲は広く、さらなる理解が必要だ。昭和の時代には、バラエティー・お笑い番組内ではある意味“笑い”の対象であり、悲哀と共にある存在だった。現代では、彼ら(彼女ら)“オネエタレント”の活躍は、世間のLGBTへの抵抗力増強に一役を買い、また真剣に悩む人たちを勇気づける役割も担ってきたように思える。
過去は骨太、現在はライト化の傾向 より物語に“自然に溶け込む”ことが重要に
だが時代が進み『イノセント・ラブ』(2008年)、『ラスト・フレンズ』(同年)、『IS〜男でも女でもない性〜』(2011年)、『オトメン〜乙男〜』(2009年)など、青春ドラマの延長線上で描かれる傾向に。また2015年頃からは映画や舞台で、『5→9〜私に恋したお坊さん〜』の高田彪我など“女装趣味のある男性”、舞台『クラウドナイン』の三浦貴大、舞台『ヴェローナの真摯』溝端淳平など“女性役を男性俳優が演じる”パターンも増加。またアニメ作品やライトノベルなどでも、その葛藤や背景はあれど、必要以上に掘り下げずライトに描く風潮が見られる。
「アメリカの非政府組織GLAAD(中傷と闘うゲイ&レズビアン同盟)が提示したLGBT作品の質の指標には、『LGBTの登場人物が登場し、彼ら(彼女ら)なしには成立しない物語でなければならない。また飾りの要素だったり、笑いを誘うためのネタで扱われてはならない』などとある。つまり、LGBTが登場する場合、物語に“溶け込む”ことが必要で、そこから外れると、先ごろ謝罪騒動に発展した『とんねるずのみなさんのおかげでした』の保毛田保毛男(石橋貴明)のように批判にさらされることになる。すんなりとそこに存在させるには、日本でも今、過度な掘り下げはリスクが大きすぎるのです」(衣輪氏)
ドラマは “時代の写し鏡” “第三の存在”が物語のアクセントに
「これがタブーとされたのは明治以降。欧米列強に時代遅れとされぬよう、キリスト教文化の性的に潔癖であることを良しとする文化が輸入されていき、現在に至ります。前出の歴史学者・氏家氏は当時の日本の性モラルについて『タブーはないが、モラルはある』としており、それは逆に、今欧米が求めているLGBT差別のない理想郷に近いようにも思うのです」(衣輪氏)
そもそも日本人の遺伝子はLGBTに寛容であり、さらに文化でも、オネエタレントらが活躍し、お茶の間に免疫がついてきた現状がある。地上波ドラマは常に“時代の写し鏡”だ。“今”を切り取った作品が増える現状は自然の流れであり、さらには元々、日本文化との親和性も高かった。純粋に“個性”としてのLGBTキャラが“第3の存在”としてストーリー展開を広げる可能性も高いので、この風潮はエンタメ作品にさらなる多様性も生みそうだ。
(文/中野ナガ)