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二階堂ふみ『濃密な時間を過ごせたから むき出しでいられた』
関係性を象徴するような不気味な感触
二階堂いつも、その時にしかできない作品だと思って、全力を尽くす。どの作品に対しても、向き合うスタンスは同じですし、そうやって積み重ねながら、できなかった役ができるようになっていければと思っています。『私の男』に関しては、いつかこの人と一緒に映画を作るまでは、絶対にこの仕事を続けなきゃいけないと思っていた熊切和嘉監督の映画であること。そして中学生のころからずっと、耽美的な美しさに惹かれて拝読していた桜庭一樹先生の小説が原作であること。私のなかでそんな偶然が重なって、すごく運命を感じました。役が決まってから撮影まで1年くらい時間があったので、いつも花のことを考えながら1年間を過ごしたことも、特別な経験だったと思います。
――満を持して臨んだ撮影。厳冬のオホーツク海を目の当たりにした1年半前の気持ちを、今も鮮烈に覚えているそうですね。
二階堂寒いな、冷たいなって思いました(笑)。冬のオホーツク海も、流氷も、生で見たことがなかったから、本で読んだときには何の違和感も感じませんでしたが、流氷って危険なんだなって。でも危険だけれど、美しかった。雪景色もきれいだなあって。雪のなかで踊るシーンの撮影では、隣で熊切監督も一緒にスイスイ踊っていて、楽しかったですね(笑)。監督と通じ合っている感じがして、幸せでした。現場では感じなかった、完成作の、淳悟と花との関係性を象徴するような不気味な感触も改めてよかったなって。
――禁断の愛にふさわしい、辺り一面雪に覆われた北の大地。しかし閉塞感は感じなかったのだとか。
二階堂ふたりの愛の形には、何の違和感もありませんでした。理屈ではなく、ふたりだけの世界にひっそりと生きている、愛に浸っているふたりなのだと。淳悟とふたりでいるときの安心感は、現場でも感じていましたし、映画からもその雰囲気は流れていたと思います。原作の持つ耽美的な世界を、監督や(淳悟役の)浅野忠信さんと模索しながら、映画にすることができました。
女性としての自然な変化を経て対峙する
二階堂撮影中ずっと、監督や浅野さんと言葉じゃないところでつながっている、(つながりを)感じ合うことのできる関係でいることができました。濃密な時間を過ごせたからこそ、淳悟といるときの花は、むき出しでいられたのだと思います。
――愛の物語は、冬の北海道から、春を経て、東京へと舞台を移します。北の最果ての行き止まり感ではなく、東京でのふたりの距離感を息苦しく感じたとか。
二階堂紋別で暮らした家は、まさにふたりきりの世界でしたが、東京の汚い家に移ったとき、花の周囲だけがきれいで、淳悟のスペースは混沌としていて。秘密を共有して東京に逃げてきたふたりの距離が、逆に生じているということが、部屋から伝わってきました。ああいう世界の存在すら知らない美郎(高良健吾)が、家に入ってきて、ギョッとする姿もおもしろかったですね。
――東京編から色濃くなっていく、映画ならではの展開で、死ではなく、未来へ向かって綺麗になっていく花の姿が印象深いです。
二階堂映画に流れる時間のなかで、花は、少女から女になっていったのだと思います。それって特別なことではなくて、女の人なら誰もが経験すること。大人になるために失っていくものや、逆に大人になったから見えてくること、そういう女性としての自然な変化を経て、ラストシーンで再び淳悟と対峙する。最後まで、ふたりの浸かっている大きな愛を見せたい。そんな気持ちで、最後の撮影に臨みました。
――ラストシーンで、3年ぶりに再会する淳悟と花。世間との絆を絶たれ、醜く老いてゆく男と、成長とともに失われた痛みを知ったうえで、逞しく生きている元・少女。対照的なふたりからは、どこか同じ匂いが漂います。そして淳悟との深い結びつきを確かめた花からこぼれる、完璧な微笑み。息をのむほどの超然とした美しさは、二階堂ファンのみならず、映画ファンにもぜひ劇場で目撃していただきたいです。
二階堂いろいろな人、作品と出会うのが楽しくて、役者という職業を続けていますが、この作品との出会いは心の支えになっています。今の段階で、私のキャリアにこの作品が入ったことはこれ以上にない幸せなことだと思っています。
(文:石村加奈/撮り下ろし写真:片山よしお)
私の男
関連リンク
・<映画予告映像>理屈を超えた禁断の愛のかたち
・『私の男』公式サイト