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MONKEY MAJIK、震災後に生まれた新曲「木を植えた男」に込めた想い

 スタジオジブリの高畑勲、宮崎駿両監督に大きな影響を与えたカナダのアニメーション作家フレデリック・バック氏の画業をたどる『フレデリック・バック展』が2日から東京都現代美術館で始まっており、そのイメージソング「木を植えた男」を4人組バンド・MONKEY MAJIKが書き下ろしている。

MONKEY MAJIK(左からtax、Blaise、Maynard、DICK)  (C)ORICON DD inc. 

MONKEY MAJIK(左からtax、Blaise、Maynard、DICK)  (C)ORICON DD inc. 

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 仙台を活動拠点とする彼らは、東日本大震災で事務所やスタジオ、また自宅までもが大きな被害に遭った。同曲は震災後に生まれた最初の曲だ。ボーカル&ギターのMaynardは「すごくいい曲ができたと思う。自分たちで作った曲で泣いたのは初めてじゃないかな。自分で言うと気持ち悪いけど、でも本当にそう。泣いてばっかり」。彼らが負った悲しみや痛みは計り知れないが、現在の心境を語ってくれた。

 カナダ・オタワ出身のMaynardとBlaise(ギター&ボーカル)の兄弟は、幼少期に自然とテレビから流れるバック氏のアニメーションをよく観ていたという。今回の依頼に、「展覧会を楽曲で盛り上げることができるならば」と快諾した彼らだったが、取り組み始めた矢先に大震災が起きた。震災後の混乱の中、一市民として生活の復旧・支援のために彼らも働いた。音楽をやっている場合じゃない…。

 そんな中、MONKEY MAJIKが被災したことを聞いたバック氏から激励のメッセージと1枚の絵が届く。

 「今回のイメージソングはもう作れないだろうとか思い悩んでいたけど、バックさんから『生きていてよかった』とメッセージをもらって、すごくシンプルな気持ちになれた」とMaynard。「僕自身がどう思っているかはこの際どうでもよくて、音楽ができるなら、やれば誰かの助けになるなら、やりましょう。それだけのこと。勘違いしないでほしいのは、僕らは音楽しかできないわけではない。音楽もできる。仕事としての責任もあるし、音楽をやればみんなが喜ぶと思うのも間違いだし、難しいよね。でも、これからどんな曲を作っても、どこかで今回の大震災につながっていくと思うし、ずっと向き合わなければいけないことだから」。

 ドラムのTaxも「バックさんに背中を押されて、この曲にたどり着いたと思う」としみじみ語る。「ライフラインが途絶え、今日明日を生きることしか考えられない状況が続いていた。でもその積み重ねが人生になるんだと思った。バックさんの代表作『木を植えた男』の、1人の羊飼いが荒れ果てた地に何年も木を植え続け、やがては森を甦られせたという物語が、人の一生にも重なると思った。この作品といまこの時に、めぐり逢えてよかったと心から思う」。

 メンバー4人が顔をそろえたのは震災から約1ヶ月後。再会した時のことをベースのDICKは「久しぶりにみんなで曲を作れるってだけで嬉しかった。俺たちの日常を取り戻せた喜びを感じた」と振り返った。

 Blaiseは「アーティストとコラボレーションするのが一番難しい。バックさんが長い時間をかけて作ってきた世界とMONKEY MAJIKの世界をひとつにできるか。すごくいいチャレンジだった。バックさんは87歳…。僕も死ぬまで音楽はやめられないと思うよ」と話していた。

 同曲は着うた、着うたフルで配信されており、6日よりPC音楽配信がスタート。『フレデリック・バック展』と、東京・神保町シアターで公開中の特集上映『フレデリック・バックの映画』、DVD『フレデリック・バック作品集』(20日にウォルト・ディズニー・ジャパンより発売)の応援ソングとして活用される。

★MONKEY MAJIK
Maynard、Blaise、tax、DICKの4人で2000年に結成。仙台を活動拠点とする。2006年1月に「fly」でデビュー。ツインボーカル&ツインギターを務めるMaynard、Blaiseの兄弟が生み出すカディアンロックで音楽シーンに旋風を巻き起こし、2007年「空はまるで」がオリコン週間ランキング初登場3位を記録するなど、人気バンドとしての地位を確立した。2011年2月、東北運輸局より東北における観光振興を推進する「東北観光親善大使」に任命される。東日本大震災の復興プロジェクト「SEND愛」を立ち上げ、7月3日に大阪城野外音楽堂にて売上金の全額を義援金として寄付するチャリティライブを行った。

★フレデリック・バック
1924年当時、国連管理地区であったフランスのザール地方で生まれ、その後、アルザス、パリに移り住む。1941年よりレンヌの美術学校に学ぶ。1948年、カナダのモントリオールに移住。美術学校などで教鞭をとった後、1952年にラジオ・カナダに就職。イラストレーター、セットデザイナーとして働く。1967年モントリオール万博では、受付会場の装飾、地下鉄駅のステンドグラスなどを製作した。1968年にラジオ・カナダでアニメーション部門が設立され、以後、9つのアニメーション作品を制作。1982年『クラック!』、1988年『木を植えた男』で、アカデミー賞短編アニメーション部門を2度受賞。現在もモントレールに住み、創作活動を行う傍ら、自然保護団体の活動などにも参加している。



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関連写真

  • MONKEY MAJIK(左からtax、Blaise、Maynard、DICK)  (C)ORICON DD inc. 
  • アカデミー賞短編アニメーション部門受賞の映画『クラック!』(1981年/15分)より (C) Societe Radio-Canada In partnership with the Atelier Frederic Back, Montreal. 
  • 東京都現代美術館で開催中の『フレデリック・バック展』 1987年 (C) Societe Radio-Canada In partnership with the Atelier Frederic Back, Montreal. 
  • ジャン・ジオノの原作に感銘を受けたバックが、5年半の歳月をかけ、2万枚におよぶ作画作業の大半を一人でこなして作り上げた代表作『木を植えた男』(1987年/30分)より (C) Societe Radio-Canada In partnership with the Atelier Frederic Back, Montreal. 
  • 短編映画『クラック!』は、フレデリック・バックの長女、スーゼルのアイデアをもとに、一脚のロッキングチェアが辿る運命を通じて、失われつつあるケベックの伝統的な生活や文化、家族愛、自然への共感、現代文明批判などをユーモラスに描く。「トゥ・リアン」でのツヤ消しセルに色鉛筆で描く手法は、フレデリック・バックならではのものとして定着した。  (C) Societe Radio-Canada In partnership with the Atelier Frederic Back, Montreal. 

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