宮城県気仙沼市出身のフリーアナウンサー・生島ヒロシが22日、都内の中目黒駅前で募金活動を行った。東日本大震災により、行方不明となっている気仙沼市在住の妹・亀井喜代美さんの安否について「確認できていない」と語った生島だが、「妹のことはあきらめない」と力を込めた。
仕事先の仙台市内で被災した生島は「戦後最大の震災で、自然の恐さを感じた」と未曾有の事態を振り返り「現地に帰りたいが、道路のこともあって行けない」と沈痛な面持ち。喜代美さんが使用していた乗用車は見つかったものの、「行方はまだわからない。弟が避難所を回っても名前は見つからず、遺体安置所にも確認を入れたが、未だにわからない」と声を落とした。
先月2日に死去した母の四十九日法要と納骨式を都内で行うため、喜代美さんは今月12日に遺骨と位牌を持って上京予定だった矢先の震災。生島は「もうちょっと早く(新幹線に)乗っていたら、と悔やまれる」と語り「おふくろが守ってくれると思う」と唇をかみ締めた。
この日、自身が代表取締役会長を務める生島企画室の所属タレント・優木まおみらと共に通行人に募金を呼びかけた生島は、気仙沼市と友好都市の協約を結んでいる目黒区を通じて、被災地に向けて救援物資を送る。「だんだん食料が無くなってきているみたい」と現状を憂慮するとともに、生島は「気持ち、心が折れないように励ましあって、命を大切に生き残ってください」とメッセージを送った。
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2011/03/22