きょう10月9日は、ビートルズのメンバーとして、またソロアーティストとして活躍したミュージシャン、ジョン・レノンの誕生日。1940年にイギリスで生まれた彼は、生きていれば83歳。1980年12月8日にニューヨークの自宅前で凶弾に倒れ、この世を去ったのは40歳の時だった。
ジョン・レノンが、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリソン、リンゴ・スターとともに結成したビートルズは、20世紀を代表するロックバンド。彼らの自作自演のスタイルや長髪ファッションなど、その後のさまざまなアーティストへ与えた影響ははかり知れない。
ビートルズは、1962年に英国でデビューし、70年に解散しており、活動期間はわずか8年間。世界中で売れまくっていた彼らはどうして解散したのか。解散直前、ジョン・レノンは何を考えていたのか?「ビートルズに終止符を。息の詰まる思いだった」とジョンが胸中を語る音声や、レノン夫妻の事務所「アップル・コア」でのブラウワーとジョンとの実際のやりとりが本邦初公開となるドキュメンタリー映画『リバイバル69 〜伝説のロックフェス〜』が、今月6日より劇場公開中だ。
映画は、ジョン・レノンにとって事実上、ビートルズとの訣別&自身の新たな旅立ちとなった音楽フェスの開催までの舞台裏を描いたもの。その音楽フェスとは、ウッドストックと並び称される「トロント・ロックンロール・リバイバル1969」のことだ。
1969年、カナダ。当初はロック・レジェンドが一堂に会したフェスになる予定だったが、“チケットが売れない”という危機的状況に。当時大人気だったドアーズをブッキングしてもチケットは売れなかった。
主催者のジョン・ブラウワーは、音楽プロデューサーのキム・フォーリーから「ジョン・レノンに連絡しろ。レノンはチャック・ベリーとリトル・リチャードのファンだぞ」と説得され、MCとして急きょジョン・レノンとオノ・ヨーコへ打診することに。
その頃、ロンドンにいたジョンは落ち込んでいた。「長くライブから遠ざかっていて、人前での演奏が恋しかったんだろう」と当時仕事の仲介人をしていた芸術評論家のアントニー・フォーセットは振り返る。「今週土曜日のフェスにMCとして来てほしい」とブラウワーが伝えたのは、すでに公演までのカウントダウンが始まっていたギリギリのタイミングだった。
出演者の名前を聞いたジョンは、出演料がゼロにもかかわらず、フェスにMCではなく出演者として参加することを快諾。すぐに協力してくれるメンバーを集め始める。声をかけたのはエリック・クラプトン、アラン・ホワイト、クラウス・フォアマンの3人。それはジョンにとっては、妻オノ・ヨーコと前々から計画していた「プラスティック・オノ・バンド」具体化の瞬間でもあった。公演前日にオファーし、翌日飛行機の中で簡単なセッションをするという驚愕のエピソードが本編では詳細に語られる。
結果として、ロックの創始者たちだけでなく、当時の人気バンドやジョン・レノンまでもが参戦し、新旧のロック・スターたちによる圧巻のパフォーマンスが繰り広げられた「トロント・ロックンロール・リバイバル1969」。その成立をめぐってはドタバタ劇を通り越してもはやカオス。情熱と偶然、危機と奇跡が織りなす笑いと涙の舞台裏を、関係者からの証言コメントや未公開のバックステージ、コンサート映像で構成された映画として、後世に伝えていく。
(C)ROCK N' ROLL DOCUMENTARY PRODUCTIONS INC., TORONTO RNR REVIVAL PRODUCTIONS INC., CAPA PRESSE (LES FILMS A CINQ) 2022
★YouTube公式チャンネル「ORICON NEWS」
ジョン・レノンが、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリソン、リンゴ・スターとともに結成したビートルズは、20世紀を代表するロックバンド。彼らの自作自演のスタイルや長髪ファッションなど、その後のさまざまなアーティストへ与えた影響ははかり知れない。
ビートルズは、1962年に英国でデビューし、70年に解散しており、活動期間はわずか8年間。世界中で売れまくっていた彼らはどうして解散したのか。解散直前、ジョン・レノンは何を考えていたのか?「ビートルズに終止符を。息の詰まる思いだった」とジョンが胸中を語る音声や、レノン夫妻の事務所「アップル・コア」でのブラウワーとジョンとの実際のやりとりが本邦初公開となるドキュメンタリー映画『リバイバル69 〜伝説のロックフェス〜』が、今月6日より劇場公開中だ。
映画は、ジョン・レノンにとって事実上、ビートルズとの訣別&自身の新たな旅立ちとなった音楽フェスの開催までの舞台裏を描いたもの。その音楽フェスとは、ウッドストックと並び称される「トロント・ロックンロール・リバイバル1969」のことだ。
1969年、カナダ。当初はロック・レジェンドが一堂に会したフェスになる予定だったが、“チケットが売れない”という危機的状況に。当時大人気だったドアーズをブッキングしてもチケットは売れなかった。
主催者のジョン・ブラウワーは、音楽プロデューサーのキム・フォーリーから「ジョン・レノンに連絡しろ。レノンはチャック・ベリーとリトル・リチャードのファンだぞ」と説得され、MCとして急きょジョン・レノンとオノ・ヨーコへ打診することに。
その頃、ロンドンにいたジョンは落ち込んでいた。「長くライブから遠ざかっていて、人前での演奏が恋しかったんだろう」と当時仕事の仲介人をしていた芸術評論家のアントニー・フォーセットは振り返る。「今週土曜日のフェスにMCとして来てほしい」とブラウワーが伝えたのは、すでに公演までのカウントダウンが始まっていたギリギリのタイミングだった。
出演者の名前を聞いたジョンは、出演料がゼロにもかかわらず、フェスにMCではなく出演者として参加することを快諾。すぐに協力してくれるメンバーを集め始める。声をかけたのはエリック・クラプトン、アラン・ホワイト、クラウス・フォアマンの3人。それはジョンにとっては、妻オノ・ヨーコと前々から計画していた「プラスティック・オノ・バンド」具体化の瞬間でもあった。公演前日にオファーし、翌日飛行機の中で簡単なセッションをするという驚愕のエピソードが本編では詳細に語られる。
結果として、ロックの創始者たちだけでなく、当時の人気バンドやジョン・レノンまでもが参戦し、新旧のロック・スターたちによる圧巻のパフォーマンスが繰り広げられた「トロント・ロックンロール・リバイバル1969」。その成立をめぐってはドタバタ劇を通り越してもはやカオス。情熱と偶然、危機と奇跡が織りなす笑いと涙の舞台裏を、関係者からの証言コメントや未公開のバックステージ、コンサート映像で構成された映画として、後世に伝えていく。
(C)ROCK N' ROLL DOCUMENTARY PRODUCTIONS INC., TORONTO RNR REVIVAL PRODUCTIONS INC., CAPA PRESSE (LES FILMS A CINQ) 2022
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2023/10/09