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若い才能が夢を持てる世界に 映画監督が抱く危機感「業界全体が今すべきこと」

■「Film makers(映画と人 これまで、そして、これから)」第23回 未来に向けて映像業界がすべきこと

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 映画『最高の人生の見つけ方』のメガホンをとった犬童一心監督。CMディレクターとして数々の賞を受賞する一方で、『ジョゼと虎と魚たち』や『メゾン・ド・ヒミコ』、『のぼうの城』、『引っ越し大名』など、作家性の強い作品からエンターテインメント大作まで映画監督としても成功を収めている。そんな犬童監督だが、自身の経験から「若い才能が夢を持てるような業界にしなければいけない」と強い危機感があるという。

■早熟な映画マニアだった犬童監督

 自身を「早熟な映画マニアだった」と語る犬童監督は、中学生のときに『暗殺の森』を観て「(監督を務めた)ベルナルド・ベルトルッチよりも、(撮影の)ヴィットリオ・ストラーロに惹かれていた」というから驚きだ。ただ中学生では撮影機材もなく「映画を撮る」というところまで発想が進まなかった。その後、高校に入学し、17歳のとき8ミリで処女作を完成させた。その動機は「遺書」だという。「なんとなくですが、僕は20歳ぐらいまで生きていないんじゃないのかなと思っていて、17歳の自分を残しておきたいという思いだけで作りました。とにかくいまの20倍ぐらい、本当に真剣に映画に向き合っていました」。

 出来上がった作品は文化祭で上映されたが、学校の映写機は30分までの尺しか対応していなかった。犬童監督の作品は55分。30分と25分という2ロールになったため、フィルムを変える際、会場の電気がついた。そのときすべての観客は席を立ってしまったという。「僕の作品は誰にも最後まで観てもらえなかったんです」。

■ぴあフィルムフェスティバルで出会った最初の観客と映画仲間

 「観客を一人も持っていなかった」という17歳の犬童少年。そこから再編集したものを、現在、映画監督の登竜門となっているぴあフィルムフェスティバルに応募すると、入選を果たす。審査員が評価をしてくれて、初めての“観客”を獲得できた。当時の審査員は、大島渚監督、寺山修二さん、大林宜彦監督ら。ある意味で最高の“観客”である。

 また同時に、現在も映画監督として活躍する黒沢清監督や手塚眞監督ら、映画作りの友達たちも得た。「高校生当時8ミリ映画のことをよく分かっていなかったので、大学生の作った映画を片っ端から観て勉強していたんです。そんななかで、一人だけ本当にすごい人を見つけました。それが立教のパロディアス・ユニティというグループにいた黒沢清監督。黒沢さんの『School Days』という作品に心底シビれました。まだゴダールに出会う前だったこともありますが、とにかくカッコイイ作品で、PFF入選のコメントでも『School Days』に影響されたと書いた。そこから黒沢さんと知り合ったんです。僕は世界最初の黒沢清ファンです」。

■映画を作ると貧乏になる!

 その後、東京造形大学に進学し、映画仲間と共に数本の自主映画の監督を務めたが、卒業後、映画の世界には進まなかった。

 「当時はまだ、映画監督になる道は、フリーの助監督になるしかなかった。8ミリの自主映画を撮っている人間が、監督になるなんて道筋は基本的にはなかったんです。仲間内で最初に助監督をやるようになったのが黒沢さん。長谷川和彦さんや相米慎二さんの助監督になってから、ピンク映画を撮って、監督デビューしました。そのあたりから、もしかしたら監督になれるかもしれないという感じはあったのですが、それでも確率は低い。僕は映画を作ると貧乏になると思ったので、大学を卒業と同時に広告業界に進みました」。

 犬童監督にとって、映画を作りたい=映画監督ではなかった。純粋に作品を作りたいと心が動かされたら作品を作りたかった。CMディレクターを職業とした犬童監督は、この業界でも才能を発揮し、数々の賞を受賞するが、あるとき「アニメを作りたい」という初めての衝動に駆られ、大学の後輩だった山村浩二氏に相談し『金魚の一生』というアニメーション映画を製作する。この作品は「キリンコンテンポラリーアワード」で最優秀作品賞を受賞し、その賞金で作った映画『二人が喋ってる。』が、映画監督の市川準の目に留まり、その後『大阪物語』の脚本執筆を依頼されることになる。

 そこから映画の仕事が広がっていき、数々の名作を監督するも、2019年に入るまで、所属していたCMの会社を頑なに辞めなかったという。「いくら映画を作っていても、日本映画界というものを信用していなかったんです(笑)。もちろんCMの仕事も好きということもありますが、ちゃんとお給料をもらって広告をやっていた方が安定すると思っていたんです」。

■優秀な若手は、とにかく仕事を与える!

 こうした過去の自分の考えを払拭するには、成功例が必要だと犬童監督は強調する。「僕が映画業界に行かなかったのは、映画では食べられないと思ったから。日本の映画業界的には、若者の“夢”というものに甘えることなく、監督、助監督、スタッフがしっかり食べられるんだということを見せていかなければいけない。それが課題だと思うんです」。

 課題をクリアするためには、現在一線級で活躍している映像作家たちのバックアップが必要だという。

 「その後、さまざまな場所で『ジョゼ』の脚本家渡辺あや、『のぼうの城』の和田竜、PFF出身の高橋泉や、あと今泉力哉、渡部亮平など、どうみても才能がある若い人材と出会いました。そういう人は積極的に自分の仕事に引き入れるようにしてきました。彼らのような人が僕の仕事に携われば、テレビ局のプロデューサーや映画会社の人など、出会う機会が増える。そうして仕事を増やすことによって、食べられるようになる。正直、作り手は自分のやりたいことだけを追い求めてしまうと、才能があっても食べられないことがある。また、能力のない立場だけの人間と出会うことによって、その才能が潰されてしまうこともある」。

 こうした犬童監督の考えは、自身を見出してくれた市川準監督が行っていたことだという。「市川さんは、才能があると思った人は片っ端から全部自分のところにつれてきちゃう。今年大ヒットした『キングダム』の監督を務めた佐藤信介くんも、もとはと言えば市川さんがPFFで見つけて、脚本に参加してもらったのが世に出た最初ですからね」。

 犬童監督は、今年のPFFで最終審査委員を務めた白石和彌監督にも「いい人材がいたら、どんどん自分の仕事に連れて行った方がいい」と話したという。

 「やりたい」と思う若手が多い業界ほど、その熱意や夢に甘え、低賃金、長時間労働という構図が成り立ちやすい。こうしたなか、成功を経験している人々が、率先して道を切り開いてくれることは非常に心強い。

 映画監督である以上「自分の作りたいものを撮り続けていくべきだ」というのは正論ではあるが、例え、自分の企画ではないとはいえ、17歳のときに撮った作品に「一人も観客がいなかった」という映画少年が、42年の歳月を経て、当時から映画界の頂点にいて、多くのファンを魅了してきた吉永小百合という女優と作品を共にしたという事実は、夢を持つ若者に、希望や勇気を与えてくれる。(取材・文・撮影:磯部正和)

関連写真

  • 映画『最高の人生の見つけ方』場面カット(C)2019「最高の人生の見つけ方」製作委員会
  • 映画『最高の人生の見つけ方』のメガホンをとった犬童一心監督 (C)ORICON NewS inc.
  • 映画『最高の人生の見つけ方』メインビジュアル(C)2019「最高の人生の見つけ方」製作委員会
  • 映画『最高の人生の見つけ方』場面カット(C)2019「最高の人生の見つけ方」製作委員会
  • 映画『最高の人生の見つけ方』場面カット(C)2019「最高の人生の見つけ方」製作委員会
  • 映画『最高の人生の見つけ方』場面カット(C)2019「最高の人生の見つけ方」製作委員会

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