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テレビにおける“リアル”と“リアリティ”の境界線とは?

 TOKYO MXでスタートした『THE HOUSE first season』が、「内容がゲスイ」などネットで話題になっている。海岸沿いのオシャレな一軒家で初対面の男女8人がシェアハウスする、と言えば誰もが『テラスハウス』(フジテレビ系)と思うだろう。実際に番組プロデューサーは、「パクリではなくオマージュ(尊敬する作品と似たようなアプローチの作品を作る)です。こっちはね、“ゲスイ”です」と発言。同作は、男女の確執や嫉妬、修羅場、さらには気に食わないヤツは退場させるといった、人間関係を克明に伝える“リアルなリアリティ番組”だという。では、“リアルなリアリティ”とはどういうことなのか、“リアル”と“リアリティ”の境界線はどこにあるのか?

日本における“リアリティ・ショー”として大ブームを巻き起こした『テラスハウス』(左から菅谷哲也、島袋聖南、小田部仁/写真:草刈雅之)

日本における“リアリティ・ショー”として大ブームを巻き起こした『テラスハウス』(左から菅谷哲也、島袋聖南、小田部仁/写真:草刈雅之)

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◆演出やヤラセの要素が入った作品も“リアリティ番組”の枠内に入る

 「リアリティ」を直訳すれば、現実、事実、真実性といったことになるが、実際は“現実感”や“現実性”といった意味で使用される場合が多く、創作物に関しては“現実味がある”くらいに解釈されているようだ。「リアル」は単純にその形容詞ということになるが、クリエイターが使う場合は、現実の“本質そのもの”を指すことが多く、リアリティに比べればはるかに“生々しさ”がともなう言葉として受け止められる。「リアリティ番組」と言った場合は、「演技や台本やヤラセのない素人出演者の行動をカメラが追う番組」といった定義になり、アメリカなどで大流行した手法だが、実際には何らかの演出やヤラセの要素が入った“リアリティ番組風”の作品も、リアリティ番組の枠内に入るのが現実だ。

 先の『テラスハウス』は、かつて「台本はなくても大まかな筋は決められている」などと週刊誌にも書かれたが、フジテレビ社長はこれを全面否定。ただ一方で、“リアリティショー”については、「バラエティの立派なジャンル。報道番組でもドキュメンタリーでもないと思っている」と発言した。本人の知らないところで、全て隠しカメラで撮られているならまだしも、テレビカメラが入る番組である以上、出演者が何かしらの演技をするのは当たり前だし、その時点である種の見世物・ショーである。決して“リアル”とは言えないのだが、バラエティというジャンルを考えれば、そう目くじらを立てることでもないのかもしれない。むしろ、ある程度の演出やシナリオがあるリアリティ番組を、普通に楽しむことができる視聴者が増えてきたということなのだろう。ただ、ドキュメンタリー番組となると事情は異なる。

 1992年、NHKで放送された『奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタン』において、スタッフが高山病のマネをしたり、現地人に金銭をわたして雨乞いのマネをさせるなど、ヤラセが発覚。大問題となり、後日NHKは2分30秒にわたる訂正放送を流すことになる。事件に対して『ゆきゆきて、神軍』などで知られるキュメンタリー映画の大御所・原一男監督は、「ドキュメンタリーにはヤラセがつきものであり、ヤラセを乗り越えることにより、事実が見えてくる」とコメント。実際に自作でも、撮影対象に対して演技指導をしている姿をそのまま流している。一方、オウム真理教を追った森達也監督のドキュメンタリー映画『A』は、オウム真理教の一信者に密着し、日常に起こる出来事をそのまま撮り続けた。意図的な演出がないぶん、何が起こるかわからない緊張感が漂う内容だった。

◆“リアリティ”をいかにエンタテインメントに昇華できるのかが課題

 多少の演出があってもなくてもドキュメンタリーの場合は、すでにある“リアル”な現実をレポート・報道することに主眼がおかれるのに対し、リアリティ番組は基本的にバラエティであり、視聴者を楽しませることが目的だ。極端に言えば、本当に“リアル”なものはドキュメンタリーや報道の扱いになるだろうし、それをエンタテインメントにしようと意図したときに“リアリティ番組”になるということかもしれない。そうした意味では、先の“リアルなリアリティ番組”という表現は、リアルに見せようとしているエンタテインメント番組である、ということをあらかじめ宣言しているとも言えるし、あるいは、リアリティ番組のドキュメンタリー、ということなのかもしれない。

 いずれにしろ、演出やヤラセの要素があったとしても、隠さず放映すればドキュメンタリーとも言えるだろうし、リアリティ番組にしても、出演者のリアルな瞬間は必ず番組内でも捉えられるはずだ。要は視聴者がどう受け止めるかである。最終的に面白くなければ、リアリティ番組もドキュメンタリー番組もあったものではない。番組の制作側の意図がどこにあるのか。バラエティ的なリアリティ番組であるのにドキュメンタリー風を装ったり、逆にドキュメンタリーのはずなのに、バラエティ並みに作為を入れすぎたりすれば、結果的に中途半端なものになり、視聴者は離れていくのだ。

 ORICON STYLEでは、10代から50代の男女を対象に、『“リアリティ番組”に演出があることについてどう思いますか?』という調査を実施。その結果、【賛成】が39.8%、【反対】が60.2%と反対票が半数を超えた。主な反対票として、「感情移入して真剣に観ているので、余計な演出は加えないでほしい」(福井県/30代/女性)、「台本があって演出があるならドラマだけで十分」(奈良県/30代/男性)といった声が大多数を占めた。一方の賛成票では、「演出がないと何も起こらない、全然おもしろくない番組になりそう」(大阪府/20代/女性)、「視聴者が観て不快だなと思う演出さえなければ、多少の演出は許せる」(東京都/40代/女性)とある程度の演出は必要という声もあがった。

 視聴者の目が肥えている現在、巧妙なウソやヤラセはいっさい通用しなくなっている。今後のテレビ番組は、いかに“リアル”な素材をテーマにできるのか、あるいは“リアリティ”をいかにエンタテインメントにできるのかが、重要な課題になってくると思われる。

(文:五目舎)

【調査概要】
調査時期:2015年10月9日(金)〜10月14日(水)
調査対象:合計500名(自社アンケート・ パネル【オリコン・モニターリサーチ】会員10代、20代、30代、40代、50代の男女)
調査地域:全国
調査方法:インターネット調査

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