9日に亡くなった昭和の大女優・山田五十鈴さん(享年95)の通夜が11日、東京・青山葬儀所でしめやかに営まれ、俳優の市村正親、高嶋政伸ら約600人が参列した。生涯女優を貫いたその姿に多くの芸能人が学び、憧憬の的として慕われた山田さん。涙ながらにお別れの言葉が寄せられた。下記は主な著名人のコメント。
市村正親(63)「これが最後のお別れなので、出会ってからのことを考えながら(遺影に)話してきました。出会ったのは帝劇で初演の『ミス・サイゴン』をやった時。楽屋に訪ねてきてくださって、そこから、おっかさんとの付き合いが始まった。いっぱい“養子”がいるけど、僕はイッちゃんと呼ばれてた。お酒も一緒に飲みました。常に笑みを浮かべて、素敵な艶っぽい女性でした」
高嶋政伸(45)「1999年にお会いしたのが最初。こういう日が来ないと思っていたのが、思いもかけず来てしまった。僕にとって神様みたいな人だった。山田先生とお付き合いさせていただいた10年以上の期間は役者として、人間として大きな財産。これからも忘れずに役者を精進していきたい」
草笛光子(78)「覚悟はしていたけど、いなくなるとつらいですね。公私共に師匠でした。人生の師匠でした。恋多き方で、それは真似ができなくてうらやましかった。思い出がいっぱいある。隠さずにいろんなことを教えて下さって、女優の真髄を見させてもらいました」
浜木綿子(76)「ご立派な方だった。舞台の仕組みから立ち方まで教わって、一番尊敬しておりました。もう一度お会いしたい。いろんなことを教わって真似しようとしたけど、真似できなかったです」
三田佳子(70)「毅然としてて、優雅で、圧倒的な存在感を持っていた。近づきたいと思わせる芸風で、王道を行っておられた方。一途に進んでおられた。母と同い年だったので、寂しい。大きな支えを無くした気持ち」
萬田久子(54)「“養子”がいっぱいいるけど、養女は私が初めてなんです。だけど『“ヨウ”は妖怪の“妖”よ』って言われたけど。お茶目な方でしたね。私も「養子会」に呼ばれたけど、目を合わせていたのは男性陣ばかり。ずっとかわいい方で、上品な色気があって、学ぼうと思いましたね。養女の資格? 酒量かな。お付き合いさせていただいて、ものすごく“財産”を頂いた。とっておかず、使っていきたいです」
沢口靖子(46)「1990年に舞台『女ぶり』で共演させていただいたのが最初。とっても大らかでお食事に誘ってもらいました。私のような新人にも同じ目線で話しかけてくださって、器の大きい方だと思った。気品があって妖艶で、大きな方でした。(2002年に山田さんが体調不良で『仁淀川』を降板し)ご一緒できる話がかなわなかった。もっといろんなことを教わっていればと思いました」
市村正親(63)「これが最後のお別れなので、出会ってからのことを考えながら(遺影に)話してきました。出会ったのは帝劇で初演の『ミス・サイゴン』をやった時。楽屋に訪ねてきてくださって、そこから、おっかさんとの付き合いが始まった。いっぱい“養子”がいるけど、僕はイッちゃんと呼ばれてた。お酒も一緒に飲みました。常に笑みを浮かべて、素敵な艶っぽい女性でした」
草笛光子(78)「覚悟はしていたけど、いなくなるとつらいですね。公私共に師匠でした。人生の師匠でした。恋多き方で、それは真似ができなくてうらやましかった。思い出がいっぱいある。隠さずにいろんなことを教えて下さって、女優の真髄を見させてもらいました」
浜木綿子(76)「ご立派な方だった。舞台の仕組みから立ち方まで教わって、一番尊敬しておりました。もう一度お会いしたい。いろんなことを教わって真似しようとしたけど、真似できなかったです」
三田佳子(70)「毅然としてて、優雅で、圧倒的な存在感を持っていた。近づきたいと思わせる芸風で、王道を行っておられた方。一途に進んでおられた。母と同い年だったので、寂しい。大きな支えを無くした気持ち」
萬田久子(54)「“養子”がいっぱいいるけど、養女は私が初めてなんです。だけど『“ヨウ”は妖怪の“妖”よ』って言われたけど。お茶目な方でしたね。私も「養子会」に呼ばれたけど、目を合わせていたのは男性陣ばかり。ずっとかわいい方で、上品な色気があって、学ぼうと思いましたね。養女の資格? 酒量かな。お付き合いさせていただいて、ものすごく“財産”を頂いた。とっておかず、使っていきたいです」
沢口靖子(46)「1990年に舞台『女ぶり』で共演させていただいたのが最初。とっても大らかでお食事に誘ってもらいました。私のような新人にも同じ目線で話しかけてくださって、器の大きい方だと思った。気品があって妖艶で、大きな方でした。(2002年に山田さんが体調不良で『仁淀川』を降板し)ご一緒できる話がかなわなかった。もっといろんなことを教わっていればと思いました」
2012/07/11