2月23日から27日まで、北海道夕張市で開催された『ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2012』。期間中、ほかのどの映画祭ゲストよりも映画祭行事に参加し、メディアのインタビューにも数多く応じていたのが、地元・夕張市の鈴木直道市長だった。映画祭の期間中だけ販売され、いまや名物となっている夕張メロン味のポップコーンも、2008年に鈴木氏が考案したものだ。「映画といえばポップコーン。夕張といえば夕張メロン。すごく安易な発想ですよね」と話す。
思いつきは安易でも、形にするのは容易ではなかった。「夕張メロン」は夕張市農業協同組合の登録商標。「夕張メロン」味を名乗る商品を勝手には作れない。
「もともと夕張にいる人たちは、頼んでも無理だと言う人もいましたが、余所から来たばかりだった私は、聞いてみないとわからないのでは?と、勢いだけで夕張メロン味のポップコーンを作りたいので、果汁を分けて欲しいと農協に頼みに行きました。案の定、けんもほろろに断られましたが…」。
そこで、あきらめても構わなかったはずだ。たかがポップコーン。しかし、鈴木氏はあきらめず、何度も農協に足を運び、協力を求めたという。「全国各地から1万人近くが映画祭に訪れる。冬でメロンは売ってないが、夕張メロン味のポップコーンを食べれば、夏に本物を食べに来ようと思ってくれるかもしれない。ポップコーンを売りながら、ギフトの販促もしますと、口説き落としました。以来、映画祭限定という条件で果汁を出してもらっています」。自分たちのまちを変えるのは自分たち。鈴木氏はまず行動したのだった。
食べてみると、驚くほど夕張メロンの味がする。
「今日のはちょっとベトベトしていましたね。キャラメルや水分量で微妙に出来上がりが変わってくる。手作りなので大変なんですよ」。
◆予想できる人生なんて面白くない
鈴木氏は東京都の職員として2008年に全国唯一の財政再生団体となった夕張市に派遣され、市民課で働くかたわら、映画祭などの地域活動にも積極的に取り組んできた。そこを見込まれ、都庁に戻ってから数ヶ月後に市長選への出馬要請を受けた。都庁を辞め、夕張に移住。昨年4月の統一地方選挙で当選し、当時全国最年少の30歳1ヶ月で就任した。
「出馬要請は青天の霹靂。夕張から戻って、実家のある埼玉の三郷に家を買って、彼女にプロポーズした矢先でした。人生、何が起こるかわからないし、予想できる人生なんて…とも思う。人生を賭けることで、夕張が変わる可能性があるなら、賭けてみようと思いました。いろんな人がいていいと思う、どの世界にも」と語る。
市長就任からもうすぐ1年。若さゆえの経験不足を懸念する向きもあったが、「昔から若い者はダメだと言われ続けて来た。ダメだと言われて反発し、それが新しい時代を作ると、そういう気概を持った人がいっぱいいたほうが面白いんじゃないですかね」と気持ちは強い。
「夕張をどう建て直すかが重要。今回、初めて市長という立場で映画祭に参加しましたが、はるばる夕張まで集まって来てくれた人たちが映画を語るだけでなく、夕張の課題にも向き合ってくれていることがすごくありがたいことだと思いました。1年目でいろいろな種を撒きましたし、今年はさらに取り組みを前進させて、全国のみなさんにも情報発信していきたいと思っています。辛い自治体は全国にたくさんある。夕張が再生する過程が参考になれば」。
穏やかな語り口で、市政のこともわかりやすく話してくれた鈴木市長。都庁勤務の頃は、今の奥さんと六本木の映画館で映画を観て、デートを楽しんでいたそうだ。「映画館で観るのが好きなんですよね。日常のことを忘れて、その世界に集中できるのがいい」と話していた。
思いつきは安易でも、形にするのは容易ではなかった。「夕張メロン」は夕張市農業協同組合の登録商標。「夕張メロン」味を名乗る商品を勝手には作れない。
「もともと夕張にいる人たちは、頼んでも無理だと言う人もいましたが、余所から来たばかりだった私は、聞いてみないとわからないのでは?と、勢いだけで夕張メロン味のポップコーンを作りたいので、果汁を分けて欲しいと農協に頼みに行きました。案の定、けんもほろろに断られましたが…」。
そこで、あきらめても構わなかったはずだ。たかがポップコーン。しかし、鈴木氏はあきらめず、何度も農協に足を運び、協力を求めたという。「全国各地から1万人近くが映画祭に訪れる。冬でメロンは売ってないが、夕張メロン味のポップコーンを食べれば、夏に本物を食べに来ようと思ってくれるかもしれない。ポップコーンを売りながら、ギフトの販促もしますと、口説き落としました。以来、映画祭限定という条件で果汁を出してもらっています」。自分たちのまちを変えるのは自分たち。鈴木氏はまず行動したのだった。
食べてみると、驚くほど夕張メロンの味がする。
「今日のはちょっとベトベトしていましたね。キャラメルや水分量で微妙に出来上がりが変わってくる。手作りなので大変なんですよ」。
◆予想できる人生なんて面白くない
鈴木氏は東京都の職員として2008年に全国唯一の財政再生団体となった夕張市に派遣され、市民課で働くかたわら、映画祭などの地域活動にも積極的に取り組んできた。そこを見込まれ、都庁に戻ってから数ヶ月後に市長選への出馬要請を受けた。都庁を辞め、夕張に移住。昨年4月の統一地方選挙で当選し、当時全国最年少の30歳1ヶ月で就任した。
「出馬要請は青天の霹靂。夕張から戻って、実家のある埼玉の三郷に家を買って、彼女にプロポーズした矢先でした。人生、何が起こるかわからないし、予想できる人生なんて…とも思う。人生を賭けることで、夕張が変わる可能性があるなら、賭けてみようと思いました。いろんな人がいていいと思う、どの世界にも」と語る。
市長就任からもうすぐ1年。若さゆえの経験不足を懸念する向きもあったが、「昔から若い者はダメだと言われ続けて来た。ダメだと言われて反発し、それが新しい時代を作ると、そういう気概を持った人がいっぱいいたほうが面白いんじゃないですかね」と気持ちは強い。
「夕張をどう建て直すかが重要。今回、初めて市長という立場で映画祭に参加しましたが、はるばる夕張まで集まって来てくれた人たちが映画を語るだけでなく、夕張の課題にも向き合ってくれていることがすごくありがたいことだと思いました。1年目でいろいろな種を撒きましたし、今年はさらに取り組みを前進させて、全国のみなさんにも情報発信していきたいと思っています。辛い自治体は全国にたくさんある。夕張が再生する過程が参考になれば」。
穏やかな語り口で、市政のこともわかりやすく話してくれた鈴木市長。都庁勤務の頃は、今の奥さんと六本木の映画館で映画を観て、デートを楽しんでいたそうだ。「映画館で観るのが好きなんですよね。日常のことを忘れて、その世界に集中できるのがいい」と話していた。
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2012/03/05