架け橋として37年 谷村新司が日中文化交流の今を語る「文化が最後の砦」
80年代から日中の文化交流の要としての活動
当時、人民服で身を固めた中国の聴衆は最初大音量でビートのきいた音楽にとまどい、いささかぎこちない表情だったという。ところが徐々に中国の人々の心は解きほぐされ、最後には観客席も手をつないでの「美しき絆」で幕をおろすことになる。谷村新司は、その日から日中の文化交流の要としての活動を続けてきた。時には政治的問題があり国交正常化の記念コンサートが延期となることもあった。しかし、どんな時も屈せずに両国の末永い友好の必要性を信じてきたのが谷村だ。
今年の中国でのコンサートで谷村自身が感じたことを語ってもらった。
最後は日本語で「昴」の大合唱
――お客さんの反応はいかがでしたか。
谷村 2ヶ所とも満員で、とても印象的だったのは、会場に若い人が多かったことです。半分近くが30代前の若者だと感じました。2010年の上海万博開幕式でアジア大陸代表として「昴」を中国側からの要請で、日本語で歌いました。それ以来若者への認知が広がっているようなんです。みんなとても熱狂的に楽しんでくれていて、涙を流している人も多かった。北京のフィナーレでは、会場のほとんどの人々がスマホをライトモードにして振ってメッセージしてくれて、僕にとっても感動的な場面でした。後日、当日の模様を収録した中国のテレビクルーがお客さんにインタビューしている映像を見せてもらったんですが、笑顔で「国の違いや言葉の壁は関係ないと感じた」とか「思わず涙が流れました」というコメントが多かったですね。また驚いたのは「いい日旅立ち」や「花」や「サライ」「昴」といった曲を中国の人達が日本語で一緒に歌えるという事です。最後は日本語で「昴」の大合唱となり会場中が感動の涙を流しました。