サラリーマンでありながら海外の映画祭でグランプリを受賞した長久允氏。その思考法と脚本術を存分に伝える『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室』が発売となりました。佐久間宣行さん、ラランド・サーヤさんも大絶賛する同書から、抜粋・再構成して特別公開します。
身の丈以上に格好つけない
企画や文章を「書けないぞ、まいったな」というときは、往々にして「上手にやろう。うまく見せよう」としているときではないでしょうか。
自分の身の丈以上に格好つけると、逆に縮こまって、いつものスキルも出すことはできません。
そして、これはみんなあまり気づいていないことなのですが、「うまいこと」ってそんなにいいことなんでしょうか。
「うまいこと」は「すごいなぁ」とは思うけど、心を震わすとは限らないと私は思っています。
「吊り橋効果」を活用する裏技
誤解なきように補足させてもらうと、伝統と鍛錬により洗練された芸術の素晴らしさは、もちろん理解しているつもりです。
しかしたとえばこれは本当に個人的な話ですが、美しい「バレエ」や「能」よりも、小学生の不安定な合唱のほうが心が動きます。
プロによって細かく的確に描かれた風景画より、5歳児の絵画のほうがときめきます。完全にピッチの合った美しい旋律よりも、不協和音やノイズに心臓を鷲掴みにされた経験もあります。
それは不安定さや危うさからくるものだと思いますが、「不安定な出し物」からは、ある種の吊り橋効果と近い現象が起きているのだろうと推測しています。
さらに、それは「へたでも構わないから、これを発露したい」という衝動の証明ともとらえることができますし、そういうものが私は好きなので。
「うまい」を捨てれば作れる
ちなみに「バレエ」や「能」も、危ういところまで洗練されたものは、同等かもしくはそれ以上の衝撃を与えてくれますが、これを同じ「作り手」の目線で見たときに、素人の私たちが参考にするのは無理だなと思っています。
だって何十年もかかりすぎる。
でも「不安定な出し物」ならば、気持ちひとつで誰にでも作れる。
だからあえて、自己暗示として短絡的に結論づけていくべきではないかと思うのです。
「芸術は、うまいより、へたなほうが、いい」と。
だから私たちはぐちゃぐちゃにはちゃめちゃに、脚本を書いちゃっていいのです。