時代や環境変化の荒波を乗り越え、永続する強い会社を築くためには、どうすればいいのか? 会社を良くするのも、ダメにするのも、それは経営トップのあり方にかかっている――。
前著『戦略参謀の仕事』で経営トップへの登竜門として参謀役になることを説いた事業再生請負人が、初めて経営トップに向けて書いた骨太の経営論『経営トップの仕事 戦略参謀の改革現場から50のアドバイス』(稲田将人著)がダイヤモンド社から発売。特別編としてお届けする対談形式の第3回。対談のゲストは、元豊田自動織機代表取締役社長・会長の磯谷智生氏。磯谷氏が二十数年にわたり直接指導を仰いだ大野耐一。その大野耐一がつくり上げたトヨタ生産方式には、豊田佐吉と喜一郎が大きくかかわっていたという話の前編。好評連載のバックナンバーはこちらからどうぞ(構成/高野倉俊勝)。
トヨタ生産方式の大元になったアイデアは、
繊維機械のものづくりにあった
稲田将人(以下、稲田) たしか大野耐一さんは、もともとは豊田紡織の方でしたよね?
磯谷智生(以下、磯谷) そう。大野さんは、当時の名古屋工業専門学校、今の名古屋工業大学を出てから、当時の豊田紡織に就社された。
稲田 以前、磯谷さんからうかがったんですが、トヨタ生産方式の大元になったアイデアは、織機、つまり繊維機械のものづくりにあったと。
磯谷 当時の日本の紡績業界は、さまざまな最先端の知恵と技術が結集されていた。当社も研究を重ね、日本の繊維産業を世界のトップレベルに押し上げることに貢献した思う。そして、それまで繊維王国だったイギリスのプラット社に、豊田佐吉の作ったG型自動織機の特許譲渡を行うまでになり、それが豊田自動織機の中での自動車部を設立して自動車づくりをはじめる原資となった。
稲田 自動車づくりに着手できたのは、この、織機の特許の価値によるものということになるのですね。
磯谷 うん。大野さんは、この豊田紡織で先端のものづくりを学ばれた。そして豊田紡織は、昭和16年からの第二次世界大戦中にトヨタ自動車に編入され、大野さんは自動車のものづくりにおいて、トヨタ生産方式を確立することになるんだ。
稲田 そういう経緯があるのですね。
磯谷 トヨタ自動車もそうだが、他の自動車会社にも、繊維機械を起源にして車のものづくりを始めているところがある。スズキ(自動車)なども同じだったと思う。織機に使う鋳物の固有技術が、エンジンを作る際に活かされたという側面もある。当時、さまざまな最先端の生産工学が行われていたのが織物工場だったんだ。そして、労働集約型で人を使ってやっていたから、どうやって人を減らすかとか、どういうふうに自働化していくかという、トヨタ生産方式(TPS)を確立していく際の、さまざまな発想のルーツになっていった。
稲田 なるほど。...