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歌舞伎町を象徴する“カオス”、祖父が作った『王城ビル』継ぐことを決めた三代目の覚悟「ここをスタバにしたら終わり」

”あぶれてしまう人”の受け皿が歌舞伎町「『あーこの街にいてよかった』と思ってもらえるものを生み出していきたい」

 新宿という街は、不思議な街だ。西口に出れば都庁を中心とした高層ビルが立ち並ぶオフィス街、南口は代々木エリアに向かう落ち着いた印象や近年は新宿バスタによって地方と東京を繋ぐ玄関口としての役割も果たしている。そしてそれらの真ん中に、日本最大の歓楽街、新宿東口・歌舞伎町があることで多様性をもたらしている。

 1970年代にはタモリや寺山修司といった逸材を輩出し、その後もメジャーからアンダーグラウンドまでさまざまなカルチャーを生み出してきた新宿。しかし近年は歌舞伎町にたむろする若者、通称トー横キッズの補導、路上で売春を行う”立ちんぼ”の増加など深刻な社会問題を生み出す場としての側面も色濃い。そうした新宿、特に歌舞伎町のイメージについて方山さんはこのように話す。

「いつの時代も、どこにでも、”あぶれてしまう人”という存在はいる。先ほどからお話してきた街の画一化がそうした状況の一端を担っているとも言えるかもしれません。だからこそ、そういう方々の受け皿としての役割が歌舞伎町にはあると思っています。今、自分にできることは『あーこの街にいてよかった』と思ってもらえるものを生み出していくこと。この街ってやっぱり楽しいよね、誰かが受け入れてくれるよね……漠然とですが、そういう空気感を作り上げていけたらと思っています。
 
 ”トー横キッズ”といったキャッチーなワードが取り上げられがちですが、『なんかよくわかんないけど人生に迷ってる』そんな思いを抱える人だってたくさんいて、誰かにこの思いをぶちまけたい、ただダラダラとしゃべる場所がほしいと考えたりするのって普通にあること。名前をつけて『弱者』として区切ってしまうこと自体がナンセンスだと考えます。むしろ誰もが弱者であり、その誰をも受け入れることのできる最後の街が歌舞伎町という場所。そうでなきゃ、ゴールデン街があれだけ盛況になることはないですよね。社長も学生もみんなが同じ目線で談笑することが許されるような空間、場所をちゃんと作ってあげるというのが僕の中では大きな仕事のうちのひとつだと思っています」

 そうした思いが形となった王城ビルの「アートセンター構想」。今回の企画に際し、東急歌舞伎町タワーにも協賛という形で参加してもらった。今年5月にオープンした東急歌舞伎町タワーは飲食店や劇場、映画館、ライブハウスなどを有する大型複合施設。地元で長年自社ビルを経営してきた王城の仕掛けるアートイベントとは一見相反するようにも見えるが――。

「新しい大型施設ができることで、多くのお客さんを呼び込み、街を活性化させることができるのが大企業資本の強み。でも逆に、大企業ではできないような挑戦的なことを、僕ら王城ビルや、ゴールデン街、新宿ロフトのような老舗ライブハウスはできる。対立するのではなく共存することで、それぞれのカラーを持ったお客さんやクリエイター、そして文化が大手と中小間で回遊していくことを期待しています。目指す構造はブロードウェイとオフ・ブロードウェイに似ているかもしれません。

 今回のイベントは1ヶ月半の会期中にのべ1万8000人の方にお越しいただきました。イベントの手応えは自己採点で80点です。今後はより安定した収益を確保していくことが課題かなと。やっぱりそれがないと、持続可能になっていかないですから。「ナラッキー」は1万8000人を巻き込んだ壮大な実験なんです(笑)」

 来年2024年で王城ビルは築60年を迎える。方山さんの野望は尽きない。

「今回とはまたガラッと変わった様相でやってもいいだろうし、まだまだ考えることはたくさんあります。きれいな内装に変えてしまってもおもしろくないでしょうし。よく、『ビルの1階、スタバにすればいいのに』と言われることもあるんです。でも、ここをスタバにしたら終わりだと思っています。それは王城ビルがやりたいこととは違う。なぜ歌舞伎町のこの地・この時に何をやっているのかを考え、形にしていくことがとても重要なんですよね。「なぜ王城ビルにスタバ作ったの?」と言われて、答えられる自信がありません。もし今後王城ビルの1階がスタバになってたら、僕は死んだと思ってください(笑)。そりゃ、きっとものすごく儲かるとは思いますが。

 今回の展示では4階をカラオケルームにして、来場者の方が自由に曲を入れて歌えるエリアを作りました。夜になると結構盛り上がるんですよ。ステージがあって、カラオケの機械があって、最初はみんな『え?歌っていいの?』って戸惑って。でもだんだんお調子者が現れて、じゃあ私も、僕も、ってどんどん歌って仲良くなって、出会うはずのない世代や価値観を持った人同士が仲良くなって、気づいたらインスタ交換したりしてて。歌舞伎町という地がなかったら絶対に絡み合うことがなかった人たちがこのひとつの部屋に放り込まれる。それは、今の銀座でも、丸の内でも、きっと渋谷でも実現しない、いかにも歌舞伎町っぽい構図だと思うんです」
(取材・文/田中春香)

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